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1月 餃子専門店で妻自慢

「乾杯!」

 ふたりの声とジョッキが重なる。俺はぐいっとビールをあおる。のどを抜けて胃に落ちるアルコールが気持ちいい。家で香織さんと一緒に飲むお酒も美味しいが、外で友達と飲むお酒も美味しいものだ。

 早くもジョッキの三分の一ほど飲んだ鈴木さんが、笑みを浮かべる。

「外、寒いけど、やっぱビールだよな」

「えぇ、そうですね。美味いです」

 タイミングよく料理が運ばれてきた。定番だという焼き餃子、チーズの羽がついたもの、パクチーが添えられたエスニック風。餃子以外ではポテトサラダともつ煮。

 俺は定番の餃子に続いてエスニック餃子をひとつ食べてみた。パクチーが苦手だと思い込んでいたが、食べてみると案外いける。中の具はナンプラーがきいているのか、タイ料理っぽくてくせになる。続けてもうひとつ頬張った。

「美味いですね、これ」

「増井くん、エスニックとかいけるの?」

「んー。これまで苦手かなって思ってましたけど、食べてみると意外といけますね」

「そっか、俺もだよ。俺も舞がエスニック料理作ってくれた時、こわごわ食べてみたら、案外美味かった」

 舞さんというのが鈴木さんの奥さんだ。前にスマホに保存されてあった写真を見せてもらったことがある。とてもかわいい人だというのが俺の印象だが、香織さんの方が好みだということにしておこう。

「奥さん、料理上手なんですね。いいなぁ」

 香織さんとの生活では、俺が料理の担当だ。結婚前から俺の方が少しだけ料理の経験があったし、それに車椅子では掃除も洗濯も満足にできない。だから俺が料理をしている。そのことに不満はないが、奥さんに料理を作ってもらえる鈴木さんがうらやましいと思ったのは事実だ。

 鈴木さんがいったい誰を警戒しているのか、眉間にしわを寄せて左右を確認してから言った。

「いやぁ、今でこそ美味いって思えるけど……。最初の方はけっこう……ね」

「あ……」

「でもさぁ」

 鈴木さんはビールをぐいっと飲んだあと、少しだけ恥ずかしそうな表情になった。

「奥さんさ、俺の健康のことを考えて一生懸命作ってくれるんだよね。そういうのがひしひしと伝わってくるわけ。だから俺も最初は無理して美味そうに食っててさ」

 自分より年上のオッサンである鈴木さんがこの上なく嬉しそうに語る様子に、俺も嬉しくなってくる。俺はチーズ餃子を頬張ってビールをあおった。チーズがぱりぱりしていて絶品。俺も今度作ってみようか。

「で、それがそのうち美味しくなってきたわけですか?」

「そうなんだ。今ではさ、舞の料理は最高」

 満面の笑みを浮かべる鈴木さんに、俺もつられて声を出して笑ってしまった。

 そんな俺に、鈴木さんは少しだけ真面目な顔になって言う。

「増井くん、ようやく肩の力抜いて笑ってくれた」

「え……?」

 いきなり核心をつくひとことに、俺は言葉を失った。

 だが、どういうわけかバツの悪そうな表情になり、左手を頭のすぐ側の空中に浮かせて鈴木さんは続ける。

「でもさぁ、何だか増井先生の顔がこのあたりにちらつくんだよね……」

「……?」

「いや、『増井くん』って呼ぶたびに、増井先生の顔がね」

「あぁ。それなら俺のことは下の名前でも何でも呼んでくれたらいいんで……」

 俺もその方が嬉しいかもしれない。いくら香織さんを通して知り合った鈴木さんでも、俺の友達なのだから。

「じゃあ、真也な」

「いきなり呼び捨てですか」

「だめ?」

「いや、いいですけど……。っていうか、気に入りました」

 ここで鈴木さんは追加のアルコールと料理を注文した。俺がグレープフルーツサワーで、鈴木さんがハイボール。俺と鈴木さんは、ジョッキを空けるタイミングが全く同じだった。

「ってか、真也さー。どうやって竜崎先生のハートぶち抜いたわけ?」

 銃で撃つ真似をする鈴木さんに、俺は苦笑する。竜崎というのは、香織さんの旧姓だ。

 麻酔科の竜崎先生。絶望の淵にいた俺にもう一度生きる意味を与えてくれた竜崎先生は、鈴木さんにとっても印象深かったらしい。

「鈴木さん、もしかしてもう酔ってます?」

「酔ってない」

 そう言って鈴木さんは運ばれてきた水餃子を頬張って、その熱さに悶絶している。そんなに熱いのかと思って俺も頬張ってみると、やはり熱かった。ふたりしてしばらく悶絶した。

 舌の上で熱い水餃子を転がしながら俺は思い出す。交通事故に遭って重傷を負い、運び込まれた病院で俺たちは出会った。最悪な患者だった俺と、優秀な麻酔科医である竜崎先生。

「最初会った時、『何だよこの女医』って思ったんです」

「あぁ、確かにできる女医っぽい」

「『っぽい』んじゃなくて、できる女医です」

 ついむきになる俺に、今度は鈴木さんが苦笑する番だ。

「ごめんごめん、竜崎先生は非常にできる女医だ。で、ドラマに出てきたら、失敗しなくて敵がたくさんいるタイプ」

「もう、ドラマじゃないんですから。……まぁそんな雰囲気もなきにしもあらずですけど。で、俺、その頃素行の悪い患者だったんですよ。病室に来るあらゆる人に敵意むき出しって感じで」

「え。そうなの?」

 俺は鈴木さんが譲ってくれたもつ煮をさらえながら話した。もう二度と歩けないと知って絶望感にさいなまれた俺が、検査や手術を拒否していたことを。塩味のもつ煮は、添えられていた柚子胡椒をつけて食べると美味しかった。

 一方鈴木さんは、ポテトサラダと追加注文したちくわ餃子を食べながら聞いていた。ちくわ餃子は、餃子の具を詰めたちくわに衣をつけて揚げたものだ。からしを溶いた醤油とよく合った。

「そんな俺に彼女、『あたしの麻酔を信じてください』って」

「ひゃー。そんなこと言われたら、俺でもしびれるわ」

 俺はこほん、と咳ばらいをした。

「鈴木さんはしびれないでください。……で、竜崎先生だったら、信じてもいいんじゃないかって。それまで俺、麻酔から醒めるたびに気持ち悪かったんで」

「全身麻酔ってそんなにつらいの?」

「麻酔科医との相性ですよ」

 胸を張ってそう言うと、鈴木さんはあははと乾いた声で笑った。

「はいはい、ごちそうさま」

 俺は少し恥ずかしくなり、グレープフルーツサワーをあおった。大丈夫、気持ちよく酔えているし気分もいい。鈴木さんも気持ちよさそうにハイボールのジョッキを傾けている。

 ふいにジョッキを置き、鈴木さんが切なそうな表情になった。

「でも、真也はそんだけたくさんの手術を乗り越えてきたってわけだよな」

「脊髄やってるし、両足とも折れちゃってましたから……」

 さっきの気持ちよさとは裏腹に、何だかしんみりしてきた。いやいや、今日はこんな会ではない。

 俺は鶏皮餃子をひとつ口に入れて、笑顔を繕った。鶏皮だからしつこいかと思いきや、大葉の香りが口に広がってさわやかだった。一緒についてきたポン酢がよく合う。この居酒屋は、それぞれの餃子によく合うタレも一緒についてくるのがいい。

「それでね。手術のあとの回復室で、毎回竜崎先生が笑顔を見せてくれるんですよ。『よく頑張りましたね』って」

「あぁ、それは反則。めったに笑わない竜崎先生にそんなことされたら、そりゃ惚れるわ」

 しんみりとした空気も去り、俺は鈴木さんの言葉を聞いてにやけてしまった。

 麻酔科医としての香織さんはあまり表情の変化がなく、正直冷たい印象だった。だが手術後に枕元に来てくれる香織さんは、優しく俺に接してくれるように思えた。惚れた欲目なのだろうか。

「それでそれで?」

「俺、動けなかったしほかにやることもなかったので、竜崎先生の顔を見るだけで生きていけるっていうか」

「まさに命の恩人だね」

「えぇ」

 鈴木さんの言う通り、香織さんはまさに命の恩人だった。自らの境遇を受け入れられなかったものの、俺はこれまでの態度を改めて、少しずつではあったが主治医や看護師に感謝できるようになっていた。そして、本格的なリハビリが始まってからは、香織さんに認めてもらえるように死にもの狂いで取り組んだ。

 テーブルの上がきれいになってきたので、俺はメニューを広げた。そんな俺を見て鈴木さんもハイボールのジョッキを空ける。

「真也もまだいけそうだな」

「はい。次は俺、梅酒にします」

 鈴木さんがメニューをのぞき込んできたので、俺は彼に向けた。

「けっこう変わり種もあるな。真也さ、アボカドとかいける?」

 鈴木さんが示したものは「エビとアボカドのピザ」と書いてある。写真を見ると、餃子の皮をピザ生地に見立てたもののようだ。

「俺、アボカド大丈夫です。香織さんが好きなんで」

「へぇ。笑わないドクターMもアボカド女子ってわけか」

「やめてくださいよ」

 俺は笑いながら手を左右に振った。

「で、先生にアボカド料理とか作ってあげるわけ?」

「たまに作りますよ。海鮮と一緒に漬けにしてどんぶりとか」

「いいねぇ」

 俺もグレープフルーツサワーを飲み切った。それを見て、鈴木さんは店員を呼んで注文をしてくれた。注文を取り終えて空いた皿を片づけようとする店員に、ジョッキなどを渡す。

 店員が去るのを見送ってから、俺は鈴木さんに問いかけた。

「そういう鈴木さんは? アボカド食べられるんですか? ってか注文しちゃいましたけど」

「食べるよ。俺も、舞が食べてみろって言うからさ」

「出た、舞さん」

 冷やかしてみると、鈴木さんは目尻が下がって本当に嬉しそうな顔をする。

「アボカドって、栄養価が高いんだって」

「鈴木さんの健康を考えてくれているわけですね」

「そうそう」

 鈴木さんは宙に視線を巡らせた。

「そういやいっとき、あいつスムージーに凝ってたな。今はさっぱりだけど」

「けっこう飽きっぽいんですか? 舞さん」

「そういうとこ、あるなぁ。でも俺への愛情は飽きないみたいでさ」

 手を頭の後ろにやって、にやにや照れている鈴木さん。オッサンのくせにけっこうかわいいかもしれない。

 だが、俺はさっきの仕返しとばかりに、棒読みで感想を述べておいた。

「ごちそうさまですー」

 注文したものが運ばれてくる。俺の梅酒に鈴木さんのウィスキーロック。料理はエビとアボカドのピザ、ラザニア、たこ焼き餃子。酔いも進んだ俺たちは、調子に乗って変わり種ばかりを注文した。ラザニアは餃子の皮をラザニアに見立てたもので、たこ焼き餃子は紅生姜とキャベツたっぷりの肉だねを包んだ焼き餃子に、ソースとマヨネーズをかけたものだ。もちろんたこも入っていて、トッピングされた鰹節が躍っている。

 テーブルに並んだ料理を見て、鈴木さんが笑った。

「これさ、もう餃子屋じゃないな」

「確かに……」

 俺は手づかみでエビとアボカドのピザを頬張った。エビとアボカドはマヨネーズで和えているようだ。焦げた粉チーズが香ばしい。これ、カレー粉を加えてカレー好きの香織さん仕様にアレンジできないだろうか。咀嚼しながら、俺はふとそんなことを考えた。

「それで、真也は竜崎先生に猛アタックしたんだ?」

 鈴木さんの言葉に一瞬動作が止まった。香織さんのことを考えていただけに。

「さっきの話ですか……」

「うん」

「リハビリ病棟に移る時、竜崎先生に彼氏がいるかって聞いて、いないっていう答えもらって、それで『俺が好きになっていいですか?』って聞きました」

「おおっ。やるねぇ真也くん」

 鈴木さんが身を乗り出す。照れる俺。

 照れ隠しに、添えられていたスプーンでラザニアを取り分けて、一口食べた。ちゃんとしたものを食べたことがないので、正しいラザニアがどういうものか俺にはわからないが、これはいける。ミートソースとホワイトソースのバランスがいいし、餃子の皮ももちもちだ。家で作る料理ストックに追加しておこう。

 一方鈴木さんはたこ焼き餃子を頬張っている。

「あぁ……。俺、今ちょっと混乱してるわ。脳が餃子だと認識してくれない」

 俺も興味を引かれ、ひとつ口に入れた。

「うん。これはたこ焼きでいいと思います」

「だな。で、晴れてつき合いが始まったの?」

 いきなりの言葉に、危うくたこ焼き餃子をのどに詰まらせそうになった。俺は咳き込み、梅酒ではなくてグラスの水を一気に飲む。

 鈴木さんが心配そうな顔で俺をのぞき込んだ。

「真也、大丈夫か?」

「……大丈夫です。だけどいきなり話題を再開させるの、やめてくださいよ……」

「すみません」

 鈴木さんがしゅんとした様子で頭を下げた。あぁ、そうか。鈴木さんは俺の身体を案じてくれているんだ。

 俺は鈴木さんに笑顔を向ける。

「大丈夫ですって。ちょっとびっくりして固まっただけですから」

「そうか? ならよかった」

 とたんに顔を上げて人懐っこい笑顔に戻った鈴木さんに、俺はズッコケそうになる。

「……つき合いが始まったのは俺が退院してからですけど。けど香織さん、何かと俺の病室に来てくれるようになって……」

「そっかぁ。竜崎先生らしいっちゃ、らしいか」

「まぁ、俺みたいなのとつき合うのって、相当な覚悟がないとだめですし」

「確かになぁ……」

 俺は梅酒を飲み切ろうかと思案した結果、結局残りを一気にいった。

「真也、けっこういけるねぇ。もう一杯、いっとく?」

「鈴木さんは?」

「俺も今日は調子がいいから、あと一杯だけいっとくわ。料理も次で締めでいいよな」

「はい」

 店員を呼び、梅酒ふたつと餃子ラーメン、アップルパイを注文した。アップルパイももちろん餃子の皮を使ったものだ。

「そう考えると、竜崎先生って相当すごい人だよなー」

「そうですよね。やっぱり香織さんはすごいです。最高です」

「その縁、大切にしないとな。……ってか、わざわざ俺が言うことでもないか」

 しみじみとした口調で、鈴木さんが言う。タイミングよく追加の梅酒と料理が運ばれてきて、さっそくふたりで梅酒のグラスに口をつけた。

 鈴木さんが餃子ラーメンを取り分けてくれた。千切りのゆずの皮と水菜がトッピングされた、あっさりとした塩味のラーメンだ。チャーシュー代わりの餃子にもにんにくが入っておらず、まさに締めにふさわしい。俺も鈴木さんもあっという間に食べ切った。

「だけど、香織さん、俺の苗字が決め手になったって」

「苗字?」

「はい、麻酔の増井」

「ますいのますい」

 いまいち理解していないと見受けられる鈴木さんに、俺は空中で文字を書いた。

 数秒遅れて、鈴木さんがのけぞる。

「はあっ? まじでそうなの?」

「どんな動機でもいいんです。だって俺たち、今すっごい幸せですから」

 満面の笑みを浮かべた俺に、鈴木さんもつられて笑った。

「そうだな。幸せのきっかけなんて、どうだっていいんだ」

「そういうことです」

 俺はアップルパイを頬張る。餃子の皮に包まれたりんごのフィリングは甘くて、まるで俺と香織さんのようだった。

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