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「長尾?」
「はい」
先輩はいそいでいるのか、焦っているみたいな声を出した。呼吸が荒いのが、ケータイ越しでもわかる。
「あのさ。もしかしたら、俺、わかったかも」
「え?」
「あの日。長尾がいってたこと」
先輩の背後に、かけ声のようなものが聴こえる。運動部の声だろう。笑い声が耳に響く。
「あの、先輩」
「ちょっと、たしかめてくる。わかったら教えるから」
「先輩」
通話が切れた。
折り返しで電話をかけたけれど、先輩は出てくれなかった。メッセージにも返信がない。
わたしはもう家に帰っていた。外は空が赤くなっている。これ以降の時間帯に外に出たら、両親が心配する。
ちょっと迷い、わたしは戸締まりを確認した。それから、反射材のたすきと懐中電灯を持って、家を出た。先輩はまだ学校に居るらしいから、今からいけば、先輩がなにかをたしかめるのに間に合うかもしれない。兄のことなのだ。わたしには知る権利がある。
違う。先輩に調べてもらってばかりではいけない。わたしがちゃんとしなくちゃいけない。
まだ夕方だけれど、反射材はきちんと身につけた。スニーカーにもはってある。わたしは絶対に、事故にあわないし、事故を起こさない。絶対に。両親に二度と、兄が死んだ時のような顔はさせない。
あの横断歩道で、信号に足止めされた。
どういう訳だか急に胸騒ぎがしてきた。
先輩のいっていることはあっているのかもしれない。わたしと同じ方向から通っている生徒は少ないみたいだった。
部活を終えた生徒達が、箭内先輩がつかっている通学路へ、ぞろぞろと歩いていく。わたしはそれを横目に、校舎裏の自転車置き場へ向かった。学校の敷地では自転車にのってはいけないけれど、わたしはその校則をはじめて破った。
自転車置き場には箭内先輩の自転車はなかった。ほっとしたのと同時に、自分がばかみたいで、呆れた。
なんでもない。箭内先輩はもう学校を出ている。心配なんて要らなかった。電話をうけてくれないのは、自転車にのっているからだろう。
丁度そのタイミングで、ケータイが鳴った。わたしはポケットからケータイをとりだし、画面を見た。先輩からのメッセージだ。
わたしは自転車をその場へほうりだし、校舎へ向かって走りだした。
息が切れている。
わたしは中庭に居た。渡り廊下からはいれるのだ。
空はもうくらい。自転車のかごに放り込んでいた懐中電灯を持ってきていた。だから視野は確保できている。ある程度は。
懐中電灯で照らした桜の木は、それなりに不気味だった。
「長尾さん」
振り返る。
治田先生だ。くらいのに、灯も持たずに立っている。
わたしは後退った。
「生徒がこんな時間まで学校に居てはだめだよ」
「箭内先輩はどこですか」
「箭内くん?」
先生はわざとらしく首を傾げた。「彼ならもう帰ったよ」
「先輩の自転車は?」
「自転車? のって、帰ったんだろう。長尾さん、なにをいってるの……」
「先輩はまだ学校に居ます」
しばらくどちらも黙っていた。
わたしは頭痛を感じている。
ケータイをとりだして、先輩のケータイから送られてきたメッセージを表示した。画面を先生へ向ける。
「これ。読んでください」
「うん?」
治田先生は、やわらかい声でいう。
「勘違いだった。疲れたから帰って寝るよ。長尾もちゃんと錠をかけてから寝て」
唾を嚥む。
「ほら、帰ったんだよ、彼は」
「先輩は、鍵をかけろっていいます」
先生がまた黙った。
先生が走ってきて、わたしは柵を跳び越えて桜の木の後ろへまわりこんだ。
声が出ない。ケータイは落としてしまった。反射材のたすきを外す。スニーカーの反射材シールはどうしようもない。
先生の手がわたしの腕を掴んだ。
「長尾!」
先輩の声だ。それで先生がひるんだ。
わたしは懐中電灯を、一番強い光を出すように調整して、先生の顔へ向けた。