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 先輩が兄の事故を知ったのは、事故の翌日だった。だから、先輩は兄との会話を、凄くざっくりとだけれど、動揺もなく書いていた。




 「ナガオがボール拾いしてたから手伝った。ナガオまじめだ。テスト勉強やる約束。土曜。

 あと桜の木のこと。ボーシ屋がどうとかいってたけど、よくわからん。」




「帽子屋?」

 日記から顔を上げると、先輩は肩をすくめていた。

「それ、日記読み返して、思い出したんだ。なんだっけな……帽子屋が隠してるとか、桜がなんとかとか、そういうの」

「かくしてる……」

 ハードカバーの日記をたたんで、先輩へ返した。先輩はそれを鞄にいれる。

 わたしはケータイで、帽子屋、とメモする。箭内先輩はちらっと、わたしの部屋のなかを見た。

「なんですか?」

「あ、いや、女の子の部屋はじめてだから」

「はあ」

 箭内先輩はそわそわしているように見えた。わたしはケータイをベッドへ置いて、コンビニの袋をひきよせる。

「先輩、プリン食べます?」

「食べる!」

 先輩の意識はすぐに、部屋から離れた。




 先輩は庭に出て草をむしっている。

 フランス窓の向こうで額に汗している先輩をたまに見ながら、わたしはたまねぎを切っていた。先輩は、いつものお弁当のお礼だと、草むしりを買ってでてくれたのだ。

「それくらいでいいですよ」

「大丈夫、家でも草むしりしてるから、間違わないよ」

 そんなにたいそうな庭ではない。草だらけだ。兄がしていた草むしりを、今は誰もしない。野草を集めてお茶にしていた母も、今はあまりそれをしないのだった。

 刻んだ野菜を鍋へ移し、ガスコンロへかけた。先輩は立ち上がって伸びをし、軍手を外す。「おおばこは残しといたよ」

「ありがとうございます」

 先輩はにこっとして、一旦わたしの視野から外れた。

 わたしは鍋に蓋をして、タオルを手にフランス窓へ近付く。「先輩、どうぞ」

「ありがとう」

 手を洗っていた先輩は、タオルで手を拭いて、()()()()を脱ぎ、居間へはいった。鼻をひくつかせる。

「晩飯の用意?」

「はい」

「長尾がするんだな」

「今日は両親とも居ないので」

 どちらも、出張の多い職業なのだ。

 一年前までは祖父母が居たのだけれど、兄のことがあった直後に祖母が体調を崩し、ほどなく死んでしまった。がっくりきてしまった祖父は、今は自立型の老人ホームにはいって暮らしている。

 先輩がびくっとした。

「え? やばくない?」

「え?」

「いや、女の子だけの家に男が上がり込んだら、だめでしょ」

「はあ」

 どちらも黙る。

 わたしが笑うと、先輩も笑った。

「変なこといった。ごめん」

「いえ」

「もう帰るよ」

「あ、先輩の分もありますよ」

「いや、悪いし」

「煮込みハンバーグですけど」

「食べる」

 即座にいってから、先輩は赤面した。




 TVを見ながら晩ご飯を食べた。先輩はハンバーグをふたつ食べた。わたしもだ。その後、兄のことを、先輩は話してくれた。

 兄は学校のことをよく話していたのに、友達の話はしなかったし、友達をつれてくることもなかった。でも、箭内先輩の話によると、友達は沢山居たらしい。たまたま、学校を起点にすると家が逆方向だから、家に誘わなかったのでは、と先輩はいってくれた。

「あ、ごめんなさい、先輩もお家遠いですよね」

「ああ、大丈夫、自転車だし」

 半分開けたままだったフランス窓を、先輩は自然に閉め、錠をかけてくれた。外はもうくらい。

 わたしはTVの横に置いてある小さなかごのなかから、反射材のたすきを手にとった。

「これ、つかってください」

「ああ、ありがとう」

「沢山ありますから、さしあげます」

 兄がこういうものをつけていたら、車はブレーキを踏んだかもしれない。母は今でもそう思っていて、こういうものを普及させる活動を、お休みの日にやっている。それで、沢山モノがあるのだ。

 先輩はそれを察してくれたみたいで、どうして沢山あるのかなんて訊いてこない。

「長尾、ちゃんと鍵、かけろよ」

「はい」

「なんかあったら、電話でもメールでもいいから、呼んで」

「はい」

 先輩はたすきをかけて、帰っていった。わたしはそれを見送った。






 桜の木に帽子屋がなにかを隠している。




 兄のいっていたことは、意味がわからない。

 わたしは中庭にある桜の木の傍で、それを見上げ、考えていた。たしかに兄のいっていたとおり、うちにある桜と比べると、随分立派だ。幹の太さは、二倍、まではいかないけれど、樹齢が同じ木とは思えない。

 種類も、おそらく同じだろう。ということは、ここが特に、この種類の桜にあう土なんだろうか。単に、用務員さんの手入れが上手だったり、いい肥料をやっていたりするだけかもしれない。まわりに大切そうに柵が張り巡らされ、大事にされているのはよくわかる。

「長尾」

 先輩が渡り廊下から手を振っている。わたしも手を振った。

 先輩は一度、姿を消し、またあらわれた。くつを履きかえている。「今日はここで昼飯?」

「そうしますか?」

 頷きが返ってきた。

 わたし達は桜の木の傍にあるベンチに座って、お弁当を食べた。

「テスト、どうだった?」

 週初めにあったテストのことだ。わたしは軽く頷く。「まあまあです」

「おれもまあまあ」

 笑い合った。お互い、成績は中くらいだ。

「治田先生、設問が意地悪だよな」

「そうですね」

「そういえばさ、なっきゃんが」

 先輩は口を噤み、いいなおす。「仲嶺先生が、長尾に吹奏楽はいってほしいっていってたけど。長尾、中学は吹奏楽やってたんだろ」

「あ、部活、しないことにしてるんです」

 箭内先輩にはわたしの言葉の意味がわかったのだろう。それ以上その話題は続かなかった。






 六月の終わり、学校へ行くと、大変なことになっていた。

 校舎に雷が落ち、一部が焼けてしまったのだ。それで、屋上へ上がれる棟が立ち入り禁止になった。改修工事があるらしい。

 相変わらず、先輩以外に好意的に接してくれるひとは居ないので、わたしは桜の木の傍のベンチで、先輩からそれを教えてもらった。

「工事、どれくらい続くのかな。なんか、校舎が古いとかって、ついでにいろいろやるらしい」

「屋上、行けませんね」

「な」

 先輩はちょっと淋しそうだった。「卒業までにまた、はいれたらいいけど」




 わたしの頭には、先輩から教えてもらった兄の言葉がこびりついていた。

 でも、特に能動的に調べていた訳じゃない。桜の木の樹齢のことは、たしかになんだかおかしいけれど、それが兄の死に関係がある訳はないのだ。

 箭内先輩も、日記を読んで思い出した会話のことを、気にしているらしい。一緒にお弁当を食べていると、たまにその話になった。




 日曜日に、買いものに行くと、先輩とばったり会った。わたしはひとり、あちらは家族で買いものに来ていた。先輩はお兄さんがふたり居て、お母さんはその場に居なかった。

 そこで、先輩のお父さんからお弁当のお礼をいわれ、おにいさん達にも将史を宜しくといわれた。先輩ははにかんで笑っていた。

 学校で、先輩のお母さんのことを聴いた。入院しているのだそう。

 いつも一緒にお弁当を食べているのに、わたしはそんなことも知らないのだった。




「長尾、元気?」

 風邪をひいて休んだ日、先輩が来てくれた。

 わたしはマスクをして、玄関のドアを少しだけ開けている。先輩はスポーツドリンクと、わたしの担任の治田先生から預かったというプリントをくれた。

「あ、元気って、おかしいか。風邪だもんな」

「熱は下がりましたよ」

「そっか。めし、ちゃんとくった?」

「おかゆ、食べました」

「俺が料理できたらいいんだけど」

 先輩は眉尻をさげ、情けなそうに項垂れた。わたしはスポーツドリンクを示す。

「これ、助かります」

「ああ……長尾、今日もひとり?」

「はい」

 父は一週間前から地方だし、母は昨日から海外だ。

 先輩はちょっとためらってから、いった。「俺、ちょっと居ようか」


 先輩は家族とケータイで喋っている。わたしは居間のソファに横になっていた。わたしの部屋は二階で、二階にはトイレがない。トイレへの移動がつらいので、朝からソファをベッドがわりにしていたのだ。

 たまたまさっき、きがえていたけれど、熱が出て汗をかいたので、体がべたついている。でもまだ、シャワーを浴びるだけの体力がない。

「泊まったりしないって」

 先輩が低声(こごえ)で喋っている。「でも長尾、顔色悪いし、心配だから。そうだ、兄ちゃん、風邪にいいもんってなに? なんか、簡単なスープとかない?」

 先輩がこちらを向いた。「長尾、メモ帳かりていい?」

「どうぞ」

 先輩はなにかメモをして、通話を終える。今度、かりていい、と訊いてきたのは、たまねぎとたまごだった。


 先輩はたまねぎのかきたま汁をつくってくれた。塩からいけどおいしかった。

 先輩はお皿を洗ってから、帰っていった。「鍵、ちゃんとかけて」

「はい」

 注意されたのに、翌朝たしかめると、錠は外れていた。風邪でぼんやりしている。

 その日も休んだ。熱がぶり返していたから。




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