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桜の木は枯れた。
わたしが在籍していた高校には、当時、樹齢二十年だという桜の木があった。
わたしの実家の庭にも同じ樹齢の桜の木があり、そちらの樹齢は祖父から聴いていた。それにしては、学校にある桜の木は、実家のものよりも大きく、幹が太く見えた。
実家の桜の木は、苗を植えた時の写真も残っているから、自分達が認識している樹齢は正しい。学校の桜の木の樹齢が間違っている。
そんな話を、わたしのふたつ上で、やっぱりその高校へ通っていた兄が、高一の時に話していた。わたしはその話を、多分秋口の、なんでもない夕食の席で聴いたのだったと思う。四人掛けのテーブルに、わたしと兄が、母と父が向かい合って座る、いつもの席順で。
その話をした兄が、数日後に交通事故で死んでしまった。兄が推理小説の話でもするように、桜の木について調べるんだといっていたこと、わたしはそれだけは強烈に記憶している。
別に、兄が死ぬ前に話していたから自分が引き継いで調べるつもりだったとか、兄の死に疑惑があるとか、そういうことではない。
兄の死は確実に事故だった。夜道で信号無視の車にはねられたという、全国ニュースでよくとりあげられているような、所謂「交通事故」だ。
そんなものが自分の家族に起こるなんて思っていなかったのと、わたしにとって最初の、身近なひとの死だったから、くっきりと覚えている。それだけ。
忘れようにも忘れられない記憶だ。
わたしの頭の隅に、兄の通っていた高校のことはあったし、両親もそれを覚えていたのは確実だ。だからわたしがそこへ進学することを決めた時に、ふたりは困ったような顔をした。
わたしの学力や、家庭の経済状況から、選択肢はなかった。わたしはそう優秀ではないし、家は貧しくはないが裕福でもない。通うのに無理のない距離で、学費がうちでもまかなえる高校は、そこしかない。
わたしの地元は、子どもの多い地域ではなかった。学校そのものが少なかったのだ。もっと安くてすむ高校は、電車通学になる。それはいやだった。帰りが遅い時間になるのがいやだったのだ。両親に心配させたくなかった。
部活はやらないこと、くらくなるまで学校に居ないといけない場合は家に連絡して、ひとりで帰ろうとしないこと。
それを、両親にいいふくめられた。兄が死んだのは、部活で遅くなった帰り道だったから。