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その9

全11回。毎日午前1時00分更新。

 稽古場には、加子さんが一人でおった。ウチは息を切らしとるのに、己己共くんは平気なもんや。意外と体力もあるらしい。

 加子さんはしゃんと背筋を伸ばして、壁一面の鏡に向かって黙々と動きの確認をしとる。


「また、アンタらか」


 鏡を向いたまま、加子さんは言い捨てた。警戒した雰囲気に呑まれそうになるけど、己己共くんはお構い無しや。


「加子さん、どうして貴女が主演の動作を練習しているんですか?」


 鏡越しに、加子さんの表情が明らかに変わった。


「その方が、流れを覚えやすいからです」

「それにしては熱心だ。まるで“いつ自分が主演になっても演じられる”というみたいに」


 加子さんは振り向いて、己己共くんを睨み付けた。鬼のような形相とは、こういう表情を言うのかもしれん。


「何が言いたいんですか」

「六月の定期公演、評判は芳しくなかったようですね」


 己己共くんは携帯の画面を見て、ネットの記事を読み上げる。


「スター不在の“一心乱”。代役を立てて無難にこなすも、今一つ精彩に欠ける」

「黙れ……」

「劇団の脚本家さんが書かれた記事です。かなり手厳しい意見のようだ。特にこの主演についてのところが――」

「黙れっ!!」


 加子さんは怒鳴り声をあげた。ウチの後ろで、遅れてやって来た泰治と静眞がびくりとする。


「いつもそうやった。私の方がずっと努力しとんのに、いつもいつも希子ばっかり」


 子供みたいに地団駄を踏んで、加子さんは叫ぶ。震わせる喉の痛みが、こっちにも伝わってくるようやった。


「希子が死んだ時。私はざまぁみろって、思ってしもた」


 あの子が苦しんどるんも、見て見ぬふりで――そう言うと、加子さんは膝から崩れ落ちて泣きじゃくった。


「今でも希子は、“こっち見ないでよ”って言ってるんや」


 その姿は痛々しくて、今にも折れてまいそうで、


「なぁ、己己共くん。またアレを、ウチにやってや」

「茜子? 一体どうして」

「頼むわ、この通り」


 ウチにはどうしても、加子さんが悪人とは思えんかった。そらさっきまではひょっとして、と疑っとったけど。


「……分かった」


 己己共くんは、ウチの目をまっすぐ見上げた。


「“眼球を、くれてやる”」


 目がカァーっと熱くなって、世界が変わる。目が見えんようになった己己共くんを、泰治が支えた。


「加子さん、やっぱり加子さんは悪ないですよ」


 加子さんの側に寄って、背中に手を当てる。可哀想に、ガタガタ震えとる。


「希子さんは、今でも加子さんのことを心配してはります」

「希子が……?」

「ちょっと特別な目で、分かるんです。悲しい出来事やったけど、希子さんに加子さんを責める気持ちはなかった」


 ウチの手に、もうひとつの手が重なる。“この眼球”やなかったら、見えへん手や。優しくてあったかい、お姉ちゃん思いの手。

 そこにはもちろん悔やむ気持ちがあった。追い詰められて、何も考えられんようなって、足が前に動いてもうた。けど、それ以上に今は、


「“こっち見ないでよ”は、加子さんを責める言葉とちゃいます」

「じゃあ、何の」

「希子さんは、加子さんには加子さんらしく前を向いて欲しかった。自分の方ばっかり見とっては、加子さんらしさがなくなってまうから」


 ウチは、さっき己己共くんが読もうとした記事の先を見とった。脚本家さんの目には、加子さんがまるで“希子さんの物真似”のように見えたそうや。


「希子」


 うずくまって泣き続ける加子さんの背中を、希子さんは優しく撫でとった。泣き止むまで、ずっと。




 ミーティングルームで、あらためて加子さんと話をさせて貰った。クマのかわりに目を赤く腫らしとったけど、加子さんの表情は憑き物が落ちたみたいや。


「お見苦しいところを見せて、すみませんでした」


 ぺこりと頭を下げる加子さん。ウチは慌てて、


「いえ、謝らんといてください。ウチらかて、実は加子さんのことを疑っとったんですから」


 ウチは加子さんが“長海駅の幽霊話”になぞらえて、枕崎さんらを突き落としとったんやないかという推理を話した。


「そんな恐ろしいこと、ようしません」


 加子さんは呆れたような、おっかないような顔をしとった。ホンマ、すんませんでした。


「でも、さっきは不思議でした」


 柔く手を組んで、加子さんは微笑んどった。


「希子が側におったような気がして。これって、気のせいやないですよね?」

「気のせいやないですよ。な、己己共くん」


 己己共くんは居心地悪そうにしとったけど、すぐに居住まいを正して、


「ええ。希子さんは確かに、側にいましたよ」


 と、言った。自然な、取り繕ったところのない笑みで。




 稽古場からの帰り、ウチはさっぱりした気持ちで口にした。


「加子さんが犯人やなくて、ほっとしたわ」

「姉妹の誤解も解けて良かったよな」


 隣で泰治がニコッと笑って、ウチは心臓が跳ねるのを感じた。最近は己己共くんと一緒におることが多かったし、とんだ不意打ちや。


「茜子」


 己己共くんが急に立ち止まった。なんや、えらいかしこまった雰囲気や。


「どしたん? 己己共くん」

「キミに感謝したい。こんな力の使い方をしたのは、初めてだった」

「い、いきなりどしたん。ホンマに」


 熱でもあるんか? と、おどけるウチに己己共くんは続ける。


「悪くない、気分だった。あんな風に見える世界もあるんだね」


 己己共くんはそう言うと、ウチの腕にぎゅっと抱き付いてきた。


「ボクは、茜子のことを気に入ったよ!」

「ちょっ、己己共くん!?」


 己己共くんからは、めっちゃいい匂いがした。って、なんやねんウチは。変態みたいやんけ。相手は年端もいかん男の子やで!?


「茜子、犯罪」


 いつの間にか静眞が側におって、冷たい目でウチを見とった。そんな目で見んといてや。泰治の気持ちがちょっと分かる。これは結構、いやかなり傷付く。


「茜子は良い子だね。泰治にはもったいないよ」

「はぁ!? な、何言ってんだ」

「そ、そうやで己己共くん!」


 泰治と声を揃えて反論しとったことに気付いて、ウチは顔が熱くなるのを感じた。うわ絶対、耳まで赤いわ。

 そんな空気を一気に壊すみたいに、己己共くんは言った。


「枕崎さんたちの件は、自殺だったのかな」


 そうや。創作やったらしい“長海駅の幽霊話”やけど、その通りに人が死んどるのは間違いない。これを偶然の一致で片付けてええんやろか。加子さんの他に動機を持っとる者はおらんかったやろか。


「もしかして」


 岡元りな。今度の十月公演で、まんまと主演に居座っとる女。

 ウチらは明日、“長海駅の幽霊話”の通りなら次に飛び込みが起きるであろう駅で集まることにした。

次回更新10月20日午前1時00分。

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