その5
全11回。毎日午前1時00分更新。
泰治らと別れたウチと己己共くんは、“一心乱”の稽古場を訪ねた。ちょうど加子さんは稽古の途中やったらしくて、終わったらすぐに来てくれるという。
希子さんのことで――そう言うた時に部員がひそひそ話しとるのが聞こえた。あまり気分のええもんやなかったけど。ここでも“長海駅の幽霊話”の噂は広がっとるらしい。
「ほら、団長の」
「アンタらのせいで希子は死んだんやって、凄かったもんな」
「せやかて、自分もおこぼれにあずかったんやん」
どうも加子さんと亡くなった枕崎さんらは、希子さんのことで揉めとったみたいや。
「それにしても」
通して貰ったミーティングルームで、ウチはため息をついた。
泰治は岡元さんを送って行くとかで一緒には来てない。あの女、なぁにが「この後お昼でも行こうよぉ」やねん。どっから出しとるんやあの声。ホンマ癇に触る女や。
「泰治も泰治や。人が良いんか知らんけど、でれでれ鼻の下伸ばしよって。ごっついムカつくわ」
「ま、茜子。そう怒らないで。頭に血がのぼっていては、見えるものも見えなくなるものさ」
己己共くんは落ち着き払って、さっきも読んどった本のページをめくった。
「なぁ己己共くん。気になっとったんやけど、何読んどるん?」
「例の『西阪大学怪奇話集』だよ。何を思ってこんな卒業制作をしたのかは分からないけど、実に興味深いね」
「あ、あれか」
卒業制作者は“瀬里沢世紀”というらしい。見た目からすると結構なボリュームがありそうや。そんなに西阪大学には怪奇話がたくさんあるんやろか。正直、知りたくなかったわ。
「お待たせしました」
扉をノックして、萩生加子さんが部屋に入って来た。背が高くて、ショートカットのよく似合う舞台映えしそうな人や。けれどメイクでも隠しきれんほど、目の下にはクマがくっきり出とった。
「希子のことで、何か?」
ウチらは自己紹介を済ますと、希子さんのことについて話を聞いた。
「私のせいでもあるんです。希子とは姉妹やし、あの子がえこひいきされてると思われんようにって」
加子さんは声を詰まらせた。
「あの子は助けを求めとったのに、私まで厳しくあたってしまった」
「そんな、加子さんのせいとちゃいます」
ウチはありきたりな気休めしか言えんかった。
「すみません、取り乱してもうて」
そうして加子さんが落ち着いたところで、ウチらは本題を切り出した。正直、聞きにくかったけど。
「“長海駅の幽霊話”に、希子の幽霊。それで、呪いですか」
噛みしめるように言って、加子さんは俯いた。なんて声をかけたらええのか分からん。
「幽霊でもええから、会えるもんなら会いたいわ」
そう言った加子さんの顔を、多分ウチは一生忘れられへんやろう。
「噂のことも知ってますし、うちのサークルで不幸が続いてるのは事実です。けど、ごめんなさい」
加子さんは頭を下げた。
「私は何も知りません」
「そう、ですよね。すんません、辛いこと聞いてもうて」
「いえ……けど希子のことを思うと、清々した気持ちなのもホンマです。枕崎さんたちのことは、私は絶対に許されへん」
耳にこびりつくような、そんな言い方やった。
「はっきり言って、死んでくれて良かったとまで思ってます」
顔を上げた加子さんの目は、鈍く光っとるようやった。組んだ手の指が白くなるくらい、ぎゅっと握りしめて。吐き捨てた言葉には、どろどろした怨念が込められとるようにも感じられた。
「目の下のクマが凄いですね」
出し抜けに聞いたのは己己共くんや。
「希子が死んでから、ろくに眠れないもので。今でも最後に話した時のことが耳に残ってるんです。“こっち見ないでよ”って」
「心中、お察しします」
ウチもつられて頭を下げる。“こっち見ないでよ”って、例の幽霊話と同じ台詞や。
しかし己己共くん、目の下のクマのことなんか今聞くようなことやったんか?
「参考までに聞かせてください。希子さんが主演するはずだった六月の定期公演は、誰が配役を決めたんですか?」
「それは、劇団の人ですけど。大概は脚本もお借りするんで、劇団でオーディションして貰うんです」
己己共くんの目が光った気がした。
「では、代役はどなたが立たれたのでしょう」
「……私です。公演まで時間もあらへんかったし、希子の練習相手をよくしてたんで台詞も頭に入ってました」
「それに、不測の事態にあって経験の浅い二回生よりは、三回生の貴女が代役に立つほうがよかったんでしょうね」
含みのある言い方に、加子さんはムッとしたようやった。そらそうなるわ。己己共くんの言い方やったらまるで、
「私を疑ってるんですか?」
と、加子さんは刺々しい声で言った。
「お気を悪くされたなら、申し訳ありません。調査する以上は、聞いておかなければならないことでして」
「ちょいと、己己共くん」
ウチはこれ以上相手を怒らす前に、帰った方が良いと思った。
「急な訪問にもご対応いただいて、ありがとうございました」
引き際が良いのか、己己共くんはさっと言うと深くお辞儀した。加子さんも毒気を抜かれたみたいに、さっきまでの怒気が消える。
「こちらお口に合うか分かりませんが、ハーブティーです。遠縁がお茶屋さんを経営しておりまして」
銀色のパッケージで綺麗に包装されたハーブティーの詰め合わせは、ウチも見覚えがある。最近SNSの口コミでも話題になっとったやつや。
「は、はぁ、どうも」
「ハーブティーには安眠効果も期待出来ます。どうか、今夜だけでもゆっくり眠れますように」
手土産を渡して、ウチと己己共くんは稽古場を後にした。
静眞と待ち合わせしとる喫茶店“アイズ”に向かう途中で、ウチは己己共くんに聞いてみた。
「なぁ、己己共くん」
「茜子は」
ウチの言葉をさえぎって、己己共くんは言った。
「そもそも幽霊って信じてる?」
「ちょお、また怖い話? やめてや、ウチ苦手やねんて」
「苦手ってことは、幽霊を信じてるのかな」
あらためてそう聞かれると、何と答えたらいいんか分からんかった。怖いのは事実やけど、だからこそいて欲しくないというか。ほんならやっぱり、幽霊はおると思ってるいうことなんやろか。
「たとえば、満員電車に乗っていたとして。そこにいる人間が本当にみんな“生きた人間”だと、茜子は証明出来る?」
ウチは返事に詰まった。そんなん、幽霊が見えでもせんと分からんことや。いや、見えてたとしてもそれが“幽霊”やと認識できんことには、区別がつかへん。
「出来へん、と思う。少なくともウチには」
「正直だね。茜子のそういうところ好きだな」
あんまりにもさらっと言われたもんで、ウチは慌てた。自覚しとるんか、してないんか。とにかく危険やでこの子。
「からかわんといてや、己己共くん。そんな口説き文句みたいな」
「あはは、ごめんね」
まったく困った子や。今も「もうちょっと泰治に対して素直になったらいいのに」とか呟いとる。大きなお世話やっちゅうねん。
「とっ、ところで! なんで急にそんなこと聞いてきたん?」
「んー、そうだね」
己己共くんは少し考える素振りをして、
「ボクの――御櫛家の家業はね。見えないものを見えるようにする、って仕事をしてきたんだ」
切なそうに、そう言った。
次回更新10月16日午前1時00分。




