その3
全11回。毎日午前1時00分更新。
“長海駅の幽霊話”。前にマスターが誰かと話しとったのを聞いたことがある。
ウチらが通う西阪大学の沿線では、三年にいっぺん線路への飛び込み自殺が増える、というんや。いつからそれが始まったのかは、諸説ある。けれどはっきり形に残ったのはわりと最近で、三年前の文学部卒業生が書いた『西阪大学怪奇話集』という卒業制作の一編らしい。
「その『西阪大学怪奇話集』にはこうある」
泰治は鞄から一冊の分厚い本を取り出すと、しおりを挟んだページを開いた。あ、あのしおりウチがあげたやつやん。オキナグサの押花のやつ。そっか、使ってくれとるんや。
「どうした?」
「あ、いや、なんでも。続けて続けて」
~長海駅の幽霊話~
三年に一度、西阪大学沿線では不気味な現象が発生する。それは決まって九月から十月までの一ヶ月のうちに起きている。この話は少なくとも九年以上前から、知る人ぞ知るタブーとして伝えられてきたものだ。
その現象とは、線路への投身自殺である。東の終点駅から西へ向かって、当校最寄りの長海駅まで。かならず三日おきに一人、一駅ごとに西阪大学の学生が線路へ飛び込むのだ。
原因はまったくもって分からない。飛び込んだ学生たちは、性別も学年も学部もバラバラ。唯一共通するのが、自殺の前に「長海駅で幽霊を見た」というのだ。
裏付けの取れなかった事件もあるが、大抵は自殺する前に友人や家族へそういう話をしていたらしい。
泰治が読んだ箇所をおおまかにまとめると、こんな感じやった。なんか背筋に寒いものを感じる。
別ページには三年前からその九年前まで――今からすると十二年前やな――の、飛び込み自殺について表にまとめられとった。
「その、幽霊って」
「それはね」
己己共くんが身を乗り出した。ふとウチの顔を見て、根性悪そうに笑みを浮かべる。
「ベンチに腰掛けていると、どこからか視線を感じる。はっとして目線を上げると、前に女が立っていたそうだ。いや、男かもしれない。とにかく得体の知れないものが、目と鼻の先にいる」
ウチはその光景を思い浮かべて、息を飲んだ。
「それは長く波打った黒髪をべったりと頬に張り付け、じぃーっとこちらを見ている。気付かない振りをしようにも、目の前にいるのだからどうしようもない。やがて目の前のものが、何かぼそぼそ言っているのに気付いた。否応なく耳に入ってくる、その声は……」
「そ、その声は……?」
己己共くんはウチの手をがっと掴み、ぞっとするほど恨めしい声で言った。
「――こっち見ないでよ」
「ひっ」
短い悲鳴を上げて、後ずさる。なんか、ほんまに目の前に話の幽霊がおるような気がした。
「「やめろ!」」
泰治と静眞が、二人揃って己己共くんに怒った。それがあんまり珍しかったもんで、ウチは何とか落ち着きを取り戻せた。それでもまだ心臓はばくばく言ってるけど。
「茜子?」
「う、うん。大丈夫。へーき、へーき」
気付いたら静眞が手を握ってくれとった。あったかくて落ち着く感触に、動悸も治まってくる。
静眞は親の仇でも見るように、己己共くんを睨み付けた。
「ごめんね。茜子って素直そうだったから、つい」
悪びれなく謝ると、己己共くんは背もたれに体重を預けて伸びをする。折れそうなくらい細い腰や。
「ほんまに心臓に悪い子やで己己共くん……」
「じゃ、話を戻すね」
ウチの気を知ってか知らずか、己己共くんは話を続けようとした。
「待てよ」
泰治がすかさずそれを制止する。イラッとしてるとこ見るのは、初めてかも。
「相山、無理して聞かなくてもいいからな。嫌だったらすぐにやめさせるから」
泰治にまっすぐ顔を見られて、ウチは目をそらしてもうた。ズルいねんな泰治は。ここで「やめさせるから」言うのは、ちょっと引っかかるけど。
「あ、ありがとう。ウチは、平気やから」
そんなウチらのやり取りを、静眞は何とも言えない顔で、己己共くんはにやにやして見てた。
「じゃ、続けようか。泰治、あれを出して」
己己共くんに言われて、泰治は大学周辺の地図を机に広げた。赤ペンでところどころ丸がされとって、日付が書いてある。
「これは九月に入ってからの飛び込み自殺を追ったものだ」
「これって」
見ると東の終点駅から西へ向かって、次々に飛び込み自殺が起きとった。
九月一日、枕崎早苗。経済学部二回生女子。
九月五日、勝田亜紀。経済学部二回生女子。
九月九日、布井万葉。経済学部二回生女子。
三日おきに、一駅ずつ。さっき聞いた“長海駅の幽霊話”のとおりや。でも、
「おかしない?」
ウチは疑問を口にしてた。確か“長海駅の幽霊話”では、飛び込み自殺した学生は性別も学年も学部もバラバラやったはずや。
なのに今年は、みんな経済学部二回生の女子に固まっとる。
「そう、この一致は偶然とは思えない」
「それを調べているってわけ?」
静眞の問いかけに、己己共くんは自信たっぷりに頷いた。
「実はもう、調べはついているのさ。三人はいずれも友人同士。そして彼女たちは、同じ演劇サークルに所属していたんだ」
まさか、と静眞の表情が変わる。
ウチにも、どんなことが起きてるのか想像はついた。でも、そんな恐ろしいことがホンマに起きてるとは信じられへんかった。
「“誰か”が“長海駅の幽霊話”にのっとって、人を突き落としとるってこと?」
「それも、同じ演劇サークルに所属している“誰か”の犯行だという可能性が高いのさ」
時計の音がやけに大きく聞こえる。ウチはいつの間にか拳を握りしめとった。手の中がじっとりと汗ばんどる。
「幽霊話の通りなら次は十三日。ボクと泰治はそれを止めようとしているんだ」
飄々としていたはずの己己共くんは、別人のように真面目な顔をしとった。本気で次の犠牲者を防ぎたいって想いが、びりびりと伝わってくる。
新しく淹れて貰ったホットコーヒーは、すっかり冷めきってしもうてた。せやけどウチは、胸の中が熱くなってるのを感じた。
「ウチにも出来ることがあったら、手伝わせてや」
「ちょっと、茜子」
「こんなん知って、何も知らんかったみたいに明日から大学通えへんわ」
静眞は少し迷ったみたいやけど、深く息をついてからウチと己己共くんを交互に見た。
「だったら、私も協力する。だけど茜子を危険な目にあわせたら許さない」
「ありがとう。茜子、静眞」
己己共くんは、どこかほっとしたように見えた。
でも、少しだけ疑問が残る。今年の飛び込み自殺が誰かの手による殺人事件やったとして、ほんなら元からあった“長海駅の幽霊話”はどうなったんやろう。
次回更新10月14日午前1時00分。




