58話 おかえりなさい
レストさんの言葉を理解して、ややあって、兵士たちがドッと沸き上がりました。その沸き上がった声の中には、自分たちの大将が負けた事に対する、驚愕の声や、オリアナに対して憤慨する声も混じっています。でも、中にはオリアナに対して、称賛する声もあり、様々です。
そして私は、いてもたってもいられなくなり、クレーターの中へと飛び込みました。オリアナに、一刻も早く飛びつきたくて、坂を勢いよく下ります。
「オリアナあぁぁぁぁ──あ」
そんな気持ちが災いし、私は飛び出してすぐに、勢いを止められなくなり、石に躓いてしまいました。
そこからは、世界がよく分からなくなりました。どちらが上で、どちらが下か。どちらが右で、どちらが左なのか。もう、ごちゃ混ぜです。世界が、ぐるぐると混ざっていき、やがて行き着いた先に待っていたのは、柔らかな感触と、慣れ親しんだ、いい匂いでした。
「おぷっ」
「はぁ、はぁ」
飛び込んだ場所が、大きく膨れたり、萎んだりを繰り返しています。ゆっくりと顔を上げると、そこには汗を顔に滲ませた、苦し気な表情のオリアナがいました。
「お、オリア──」
オリアナは、私を胸に強く抱き、言葉を遮りました。オリアナの息は、未だに整いません。苦し気に、激しく胸を上下させていて、鼓動も凄く早いです。
私も、そんなオリアナを、抱き返します。しっかりと、両手に掴んで、もう離さないという、意思を伝えます。
……ところで、身体が痛いんですけど。今思えば、私は坂で躓いて転び、坂を転がって来たようですね。ぐるぐると回りながら、全身を打ち付けて、その先でオリアナが受け止めてくれたようです。
息もあがったままなのに、苦労を掛けて申し訳ない。
「ずるいですー!私も混ぜてくださいー!」
「わっ」
そこへ、後ろから更に柔らかな感触が、襲い掛かってきました。後頭部にそれを押し付けられて、私はそれとオリアナの胸とで、挟まれてしまいます。更には、後頭部に頬ずりをされる感触がしてきて、ちょっと気持ち悪いです。
そうしてきたのは、レストさんですね。この後頭部に当たる感触は、間違いなくそうです。まぁ声で分かるんですけどね……。
「ぷはっ。タイム!く、苦しいです!二人とも、一旦離して!」
私の訴えに、オリアナが手を離してくれました。でも、背後から私を抱きしめているレストさんは、離してくれません。それどころか、私のお腹や、胸のすぐ下にまで手を這わせて、いやらしい手つきで触ってきます。
「でへ、でへへ」
「……」
私は、背後に向かい、肘を突き出しました。
「ごふっ!?」
肘が、見事に当たりました。見ていませんが、確かな感触があったので、相当痛いはずです。
レストさんは、私の身体からずり落ちて倒れ、振り返るとお腹を押さえて膝をついていました。その顔面は、真っ青です。
「だ、大丈夫ですか……?」
私がしておいてなんですけど、さすがにちょっと、心配したくなるくらい、悶えています。そんな私の問いかけに、レストさんは無理やり作った笑顔で返してきました。じゃあ、平気そうですね。
私はレストさんを放っておいて、オリアナの方を向きます。未だに、息が落ち着かず、苦し気な勝者に……私の大切な家族に、私は言わなければいけない事があります。
「オリアナ。私の下に、戻ってきてください」
手を差し出し、そう告げます。すると、オリアナは迷いなく、その手を取りました。そして、私を引き寄せると、再び抱擁してきます。私も、そんなオリアナを、しっかりと抱き返しました。
「あ」
「……」
私を抱いて来たオリアナの肩越しに、マルス兄様が立ち上がるのが見えました。鼻血が出ているのも気にせず、勢いよく起き上がったマルス兄様が、こちらに歩み寄ってきます。
「マルス兄様……オリアナの、勝ちです。約束通り、撤退してもらいます」
「……」
マルス兄様は、黙り込んでしまいました。負けたからか、なんだか知りませんが、物凄く怒っています。眉間にはシワが寄りっぱなしだし、頭には血管が浮き出ています。それに、全身から怒りのオーラがあふれ出ているんです。
負けて、怒るとか、そんなの騎士として恥だと思うんですけど、どう思います?
「約束は、当然守る。騎士であるオレが、それを破る訳にはいかない」
その言葉に、私は安心しました。あまりのご立腹の様子に、もしかしたら、約束を破るつもりなのかと思いましたよ。
「──だが、あの勝ち方は到底納得のできる物ではない」
「か、勝ち方……?」
確か、最後はオリアナの膝蹴りが炸裂して、マルス兄様が倒れたんですよね。剣ではないから、納得できないという事でしょうか。
「いいか、グレア。この女は、最後のあの瞬間。屈んだ、あの瞬間だ。このオレに……し、した……」
マルス兄様が、言いにくそうに言葉を詰まらせます。私は訳が分からず、首を傾げるばかりです。
「はぁ……下着を見せて、動きを止めたのです。マルス様は、女性に免疫がないようなので、それを利用しました」
私と抱き合っているままのオリアナが、私の耳元でそう言いました。
「あ、あー……」
それを聞いて、私は何も言えなくなってしまいます。確かに、マルス兄様はオーガスト兄様と違い、女性に免疫がありません。オリアナは、それを決闘に利用した、という事ですね。最後の攻撃の時に、マルス兄様の動きが一瞬止まった理由が、分かりました。オリアナのパンツに目がいって、止まってしまったんですね。どんだけムッツリなんですか、この人は。
「む、ムッツリスケベ……」
話を聞き、お腹を抱えて苦し気なレストさんが、そう囃し立てるように呟きました。私も、そう思います。
「とにかく、いいか!約束は、守る!だが、勝利とは認めん!それから、この事は、他言無用だ!いいな!?」
レストさんの煽りを無視して、マルス兄様は、大きな声で言い放ちました。負けたのに、勝利とは認めない。ちょっと矛盾しているようですけど、約束を守ってくれるのなら、私としては構いません。
パンツにみとれて負けましたなんて、広まってほしくないですからね。そんなのが広まったら、ただでさえ容姿でもてないマルス兄様が、更にもてなくなってしまいます。
でも……マルス兄様の弱みを握る事が出来て、私は思わず笑ってしまいます。コレを利用すれば、マルス兄様は私に逆らえなくなるはずです。コレは、使えますよ。
「皆、聞けぇ!見ての通り、オレは負けた!オレの勝手な行動についてきてもらい、こんな事態になって、申し訳なく思う!しかし、約束は約束だ!騎士として、それは守らなければいけない!……城へ戻るぞ!支度しろぉ!」
マルス兄様の、大きな大きな言葉に、兵士たちは命令通り、撤退を始めました。オリアナが、文字通り身体を張って、掴み取ってくれた撤退です。コレで、エルシェフとの約束通り、時間が貰えます。
すると、突然オリアナの力が抜けて、オリアナの体重が私にのしかかってきました。
「オリアナ!?」
「すぅ……」
心配しましたが、どうやら、疲れて眠ってしまったようです。重いですけど、私はそれを、一生懸命支えます。今は、ゆっくり眠ってもらいましょう。私は、オリアナの主人として、大きな役割を果たしたオリアナを、支えてあげる義務があります。
「おやすみなさい、オリアナ。それから、おかえりなさい」
私は、オリアナの耳元で、囁くように言いました。




