35話 メリウスの森
「オギャアアアァァァ!」
「ひいいぃぃ!」
森の中を、私たち3人は、馬で疾走します。背後には、巨大なハエの化け物が、地を這って追いかけてきています。木々をなぎ倒し、大きな口からは涎を撒き散らして、どうやらお怒りのようです。
それにしても、面白いくらい木がスポスポ抜けて、吹き飛んでいきますよ。彼がいれば、木工屋さんは大助かりですね。
「どうしましょう、困りましたねー」
「呑気な事言ってないでください!あの化け物、明らかに私を狙ってますよ!?」
ハエの化け物。オラグラルが狙っているのは、明らかに私です。先導するオリアナではなく、私についてきています。そんなに、私のくしゃみって五月蠅かったですか?なんだかちょっと、ショックなんですけど。
なんて冗談を言っている場合ではなく、つまり、私と同じ馬に乗っているレストさんの身も、危ないです。私と一緒に逃げている限り、あの魔物に追いかけられる事になりますからね。だから、呑気な事言ってないでもっと慌ててパニックになってください。私のように。
といいつつ、私も若干呑気な事を考えていましたが、それは現実逃避です。実際は、こんな感じです。
「どど、どうすればいいですか、オリアナ!?このままじゃ、追いつかれますよ!?追いつかれそうですよ!?死んじゃうー、食べられちゃうー、オリアナー!」
「……」
私の訴えに応えるように、オリアナが右を指さしました。そちらを見ますが、何もありません。直後に、オリアナがほぼ直角に、馬を右折させました。
「……レストさん、捕まってください!」
「はい」
柔らかい胸が強く押し当てられ、レストさんは指示通りに、私に強く抱き着いてきました。
私も、オリアナと同じように直角に曲がります。すぐにオリアナに追いつき、合流。そのまま、森の中を駆け抜けていきます。
「グギャアァァァ!」
すると、私と同じような動きで追おうとしていたオラグラルが、後方で滑って転び、ひっくり返っているのが見えました。
どうやら、あの巨体では小回りがきかないようです。無理について来ようとして、ひっくり返ってしまったんですね。マヌケな魔物で、助かりました。
「今のうちです。飛ばしますよ」
「はい!」
なんとかオラグラルをまいた私たちですが、その後も困難は続きます。狼のような動物の群れに追われたり、植物のツタに襲われたり、親子連れのクマに追われたり。平穏な時間は、全くありません。常に何かに追われ、逃げているような状況が続き、体力が奪われていきます。私たちもですが、特に馬の体力がもちませんよ。
これが、メリウスの森。さすがは、危険地帯と言われているだけあって、波乱万丈です。命がかかってなかったら、もうとっくに帰ってますよ。
「……今日は、ここまでですね」
巨大な蜂の大軍から逃げ切った所で、オリアナがそう言いました。辺りに、獣や蠢く食物の気配はありません。確かに、休むならここしかないかもしれません。馬も息切れをおこしていますし、それが最善でしょう。
それに、元々薄暗い森が、更に暗さを増しています。それは、日没を意味していて、これ以上は体力的にもちません。
「はぁ~~~」
私は、深いため息を吐きました。あまりにも色々とありすぎて、疲れがどっと出てきます。実際、1番疲れているのは、私たちが乗せてもらっている馬ですけどね。
「ここで、野営をします。馬から荷物を下ろして、休ませてあげてください」
オリアナの指示に、私たちは馬から降りて、荷物を下ろしてあげます。すると、余程疲れていたのか、2匹ともその瞬間に、地面に座り込んでしまいました。
頑張ってくれた2匹に感謝しつつ、水を飲ませてあげて、労います。
「それにしても、グレアちゃんとずーっと密着して、凄く楽しかったです。私のおっぱいが、グレアちゃんの背中に潰されて、なんとも言えない気持ちでした……明日もコレが続くと思うと、たまりませんっ!グレアちゃんの髪の毛の匂いもくんかくんかし放題で、さりげなくなら色々な所を触っても気づかないようですし、天国でしたよ、はぁはぁ!」
「ソウデスカー」
身体をくねくねとさせるレストさんに対して、私は無です。何も、感じませんでした。私は、それどころじゃありませんでしたからね。後ろに、こんな変態を乗せている事も忘れて、必死に襲い来る生物から逃げるので、精一杯でしたから。
「レスト様。バカな事を言っていないで、こちらに炎をお願いします」
「はーい」
「あ……ちょ、ちょっと待ってください」
私は、オリアナに呼ばれたレストさんを、呼び止めました。
「はい?」
「そ、その……魔法なんて使わなくとも、炎は起こせます。焚火を集めて、火打石で火をつければ一発ですよ。この辺りの木は乾いているようですし、どうとでもなります。ね、オリアナ」
「……」
私はそう言ったのに、オリアナは嫌そうな顔をしました。火をつけるのがめんどくさいと、顔が語っています。
「あー……魔法の、寿命の件ですか」
「……はい」
そう。私がレストさんに魔法を使わせたくないのは、オリアナから、魔法を使うと寿命が縮まるという話を聞いたからです。だって、嫌じゃないですか。いくら便利だとはいえ、そんな魔法なんて使わなくてもいい場面で使って、寿命を縮ませるの、嫌ですよ私。
「むぎゅ」
いきなり、レストさんに抱きしめられました。顔が、大きな2つの脂肪の塊に包まれます。すんごいです。すんごい柔らかくて、気持ち良いです。
「心配してくれて、ありがとうございます。だから、今日一日たくさんの魔物や動物に追いかけられても、私の魔法を頼ろうとはしなかったんですね。グレアちゃん、優しい。好き。食べたい」
「恥ずかしい事、言わないでください!というか、離して、苦しいですー!」
「あ、ああ。ごめんなさい、可愛くて、つい」
つい、じゃないですよ。胸に溺れさせて、殺すつもりですか。そんな死に方、冗談じゃないですよ。
「わぷっ」
レストさんが私を胸から解放したと思ったら、また別の胸に包まれました。こちらはレストさんと比べると物凄く小ぶりです。でも、昔から嗅ぎなれた匂いで、安心感があります。
「お、オリアナ?何してるんです?」
「……こうやって、力を抜いて、優しく抱くんです。そして、頭を撫でてあげると、姫様は喜びます」
「た、確かに凄く落ち着きますが、そんなレクチャーいりません!」
私はオリアナから、離れます。
このメイドの行動は、本当に突拍子もないです。でも、凄く心地よかったのは、事実です。私くらいの実力者じゃなければ、オリアナの抱擁から逃げる事は、不可能ですよ。本当に、心地いいんですからね。
「は、はぁはぁ。オリアナちゃん。よく分からないので、実践で私にも、お願いします。はぁはぁ」
「バカな事を言っていないで、炎をお願いします」
息を荒くして近づく変質者のレストさんに対して、オリアナは冷たくあしらいました。
私はそれを見て、笑います。こんなバカみたいに危ない森の中にいると言うのに、私にまで、レストさんの呑気が移ってしまったんでしょうか。