大往生中毒
「自由の刑に処せられている」
私は考え事をしながら、何処に衒う相手が居るともなく、覚束無い記憶からそんな名言を呟いてみた。
確か、サルトルだったか。その言葉は舌の上と前頭葉を蠢くようして、何処か不快にさせた。別に、彼が言った事を否定的に捉えているのではない。私は哲学等と云う高尚な学問には甚だ不相応であろうし。ただ、その独り言ちた響きが、卑屈に笑って自分を見上げている気がしてならないのだ。
在り来りの常套句、寧ろ定型文とでも言おうか。更にその前に、私は自らの大きさを推し量っていた。つまり私の人生、細分すれば言動が、どの程度の物なのか。
青年期、思春期に於ける自己同一性を模索する行為にも似ていると客観的に思ったが、どうやら似て非なる物である様だ。それは単に社会、言い換えれば自分の知る所の構造に、如何にして組み込まれるか、若しくは組み込まれてしまうのか。そこに関心を持つなり、恐怖を覚えるなりする事だろう。併し、私が思っていたのは本質的に違う。私は、何を目掛けて走れば良いのか、解らなかった。最早「良い目標」を認めようとする事自体が烏滸がましい気さえした。
否、そんなに温い物では到底ない。私は私の思考に銃口を向け、皮を剥いで鞣し、その上に座していたのだ。嗚呼、悍しい。
此れを苦悩と呼ばずして何と呼ぶ。独善か。憚って演じているのか、あの下卑た笑みを。
笑いは、次第に冷めた目線と見下すような嘲笑に変わり、200mgのモルヒネが詰まった注射器を私に寄越すようになった。