84、王女の手紙
酒を一口飲み、ガルシアがふと思い出したように漏らした。
「そう言えば、エルガルド殿はリューズという魔導師をご存じか?」
エルガルドは、ここでなぜその名が出るのか不思議そうに、知っていると返した。
「それが何か?」
「いや、先日当方の魔導師が一人、魔物に襲われ皆で何とか救い出したのだ。
ご覧になったであろう?西の塔の最上部が崩れているのを。
それが、魔物が去る前に漏らしたのだよ。
リューズ様と。
我らは聞いたことのない名であったのでな、何故このような事をされるのかと訪ねたいのだ。」
その余りにストレートな質問。
エルガルドの顔色が変わり、周りの皆の顔色も変わった。
ここで彼が激高すれば、事態は一気に悪化するかもしれない。
エルガルドもどう返して良いか視線を落とし、そしてうなずいた。
「魔物の言うことですので真偽のほどは分かりませんが、私の知るリューズ殿とは別人だと思います。
一応帰りましたら、覚えがないか聞いてみましょう。」
「ああ、では頼む。」
さらりと会話が終わってしまった。
これ以上、問い詰めるのは得策ではない。
ガルシアは、その夜その話題には一切触れなかった。
しかし、この城の現状を知っただけに、それが余計にエルガルドにプレッシャーとなる。
やがて宴が終わり用意された部屋に戻ると、側近にもその話を伝えた。
「リューズ様……でございますか。
うむ……あのお方は王のご寵愛をお受けになっておりますが……」
側近の騎士が口ごもり、話すべきかと迷っている。
エルガルドが怪訝な顔で、騎士に話を促した。
「実は、知り合いの魔導師が、リューズと言う名の魔導師は聞いたこともなかったと。
詳しく調べさせましたが、どの魔導師に属する者も、知らないというのです。
しかも……調べを頼んだ魔導師殿が……」
「いかがした?」
「死にました。」
「なんと!事故か?」
「いいえ、2人の弟子もろとも・・・屋敷で死んでおりました。
しかも、屋敷ごと潰されたと言うのです。」
エルガルドが言葉を失う。
「なぜ……なぜそれが問題にならぬのだ?」
「そのことを知らせた生き残りの使用人が、やはり井戸に落ちて死んだのです。
この事は、知るものの中でひっそりと、外へ語ることが禁忌とされました。
呪いが拡散することを恐れてのことと思います
王や王子は、恐らくご存じでは無いかと。」
二人の背中に、ゾクゾクと冷たい物が走る。
どこからか視線を感じるような気がして、思わず辺りを見回した。
自分はとんでもないことを聞いてしまったのではないだろうか。
ほくそ笑む、顔の半分を仮面で隠したあの男とも女とも付かない奇妙な魔導師。
浮かんでは心に黒くもやが広がって行く。
側近の騎士はやがて隣の自分の部屋に下がり、一人になると心寂しさに息を飲んだ。
人差し指を横から噛み、心を落ち着ける。
ここはアトラーナだ。
まさか、ここまであの魔導師の目は届くまい。
自分に言い聞かせる。
その時、
エルガルドの背後にある壁のろうそくが、一瞬青い炎をポッと上げた。
ガルシアが、執務室で酔いを覚ましながらトラン王の手紙の写しを読み返す。
呼ばれた小姓のレイトが部屋を尋ねると、ガルシアが肩を指さした。
「揉んでくれ、どうも酒が肩に寄っている。」
「承知いたしました。」
プッと吹き出し、少し足を引きずりながら歩いてくる。
昔折れてしまった事のある足が、調子が悪いのだろう。
その時は単純な骨折だったのだが、無理をしたために結局は障害を残してしまった。
「おや?随分足の調子が悪そうだな。」
「いえ、ちょっといつもより動き回ったので、サビが回っただけでございます。
明日になれば元に戻りますゆえ、どうぞご心配なく。」
レイトは暖かなタオルを用意して彼の首を温め、丹念に首から肩を優しくもみほぐしていく。
休ませたい気持ちもあるが、ガルシアも少し彼と話がしたかった。
「お前は肩を揉むのが上手いな。強すぎず弱すぎず、丁度いい。
レイト、俺は疲れたと思っているだろう?しかし疲れた訳じゃない。」
負け惜しみのようなことを言って、指を立てる。
「息抜きでございましょう。ガルシア様は疲れたと言うにはまだお若くございます。」
「若くても疲れたって時もあるさ。
まあ、俺は疲れてないがな。」
「ふふっ、それは複雑でございますね。」
ノックがして、ガルシアが応じる。
ドアを開け兵が頭を下げると、巫子セレスがトランの騎士を一人連れてきたという。
「通せ」
「では……私は失礼します。」
レイトが席を外そうと頭を下げると、ガルシアが無言で指を指し、横に控えるよう命じた。
「失礼します。」
セレスと隣国の男が、入ってくる。
何かいわくがありそうで、男はひどく落ち着きがない様子だった。
「変わった組み合わせだ。いかがした?」
「はい、こちらは、隣国より参りました騎士の一人、マイアールと申します。実は……」
セレスは男に手を差し出し、何かを渡すようせかす。
すると男が慌てて懐から手紙を取り出し、セレスに渡した。
セレスはガルシアにその手紙を見せ、思いもかけぬことを言った。
「これは王女ダリアからの極秘の親書です。
恐らくあの魔導師についても書いてあるでしょう。」
「隣国の王女?王女が魔導師についてだと?」
いぶかるガルシアに、騎士がささやくように話す。
「は、はい。実は……王女は王宮魔導師のリューズ様と密かに対立していらっしゃるのです。
アトラーナの本城にも使者を送り、手紙を授けようとしましたが……本城に着いたところで死んだと連絡が来ました。」
「なるほど、そこで貴方が次に手紙を託された訳か。」
「はい」
うなずく騎士をチラリと見て、セレスが手紙をじっと見る。だが、手を差し出すガルシアに手渡そうとしなかった。
「この手紙、呪いがかかっている可能性が。というか、呪いがかかっております。
御館様が触れると燃え上がるやもしれませぬ。」
「ま、まさか!」
騎士が驚いて顔を上げる。
「私はひっそりと王女に呼ばれ、侍女のリナ殿に手渡されたのです。
その間リューズ殿にも、その配下の方にもお会いしておりません。
どうか信じていただきたい。
王女も重々ご注意なさったはず、そのような呪いがかかっているなど!」
「落ち着くのだ。
相手が術に長けておれば、考えられぬ事ではない。
そのために巫子殿がおられるのだよ。」
うろたえる騎士に、ガルシアが動じる様子もなく首を振る。
騎士は青ざめた顔で唇をかみ、頭を下げた。
「は、はい。失礼しました。
取り乱し、申し訳ない。」
騎士がすがるような目で、セレスに思わず視線を送る。
地の神殿には、隣国から巡礼に来る者も多い。
おそらくこの騎士も、セレスと面識があったのだろう。
「しかし、それでは俺は読めないということになるな。
女性の嫉妬の炎なら命がけで読むけどね。」
「ふふ……はい、そのために私がおりましょう、お任せを。」
セレスがにっこり微笑み、ガルシアから一歩離れる。
そして腰から短剣を取り出し、手紙に当てて呪を唱えた。
「我が身は聖なる気をまといし者。
その気、その身は、我が主を宿す者なり。」
手紙がセレスの手の中で青白くほのかに光り、ガサガサ音を立てて震える。
「この書に宿りし呪よ、その火は偽りに惑わされ、解放の時を伺うその存在は聖霊の宿るものでなし。
我が命ずる!」
セレスが、突然手紙を宙に放り両断した。
手紙は青い炎を吹き出し、騎士が背後で悲鳴を上げて腰を抜かす。
セレスは、左手を差し出し気を込めて広げた。
「炎よ帰せ!理を曲げし者、理を知れ!」
青い炎が、セレスの広げる左手に吸い込まれるように消えてゆく。
『ギャ……』
どこか、遠くから小さく悲鳴が聞こえた気がした。