81、理の魔曲
広間に入り、各自が場所についた。
広間にはベスレムから送られたのだろう大きな敷物があり、上座に領主の座とその背後の壁には王家の紋章のタペストリーがある。
室内には、明かり取りの窓から柔らかに日の光が差し込み、シンと部屋が静まりかえった。
どこか緊張感のある空気に、無駄な話をする者もなくガルシアが周りを見回す。
両側にはガーラントとミランが控え、その横には巫子が控えている。
斜め後ろには、幼少の頃から側近をしている貴族のクリスが、目が合うとうなずいた。
左端にはリリスがフィーネを抱えて冷たい床に座り、両側にずらりと騎士や貴族が控えている。
息を潜めるような、その時間。
ガルシアは心を治めるように目を閉じた。
「楽士よ、私の前でフィーネを奏でよ。
この固い雰囲気では肩が凝る。」
「え?あ、は…はい。」
ポロン……
その場で、慌ててフィーネをつま弾く。
するとガルシアが、大げさに敷物の上を指さした。
「そんな端っこで弾いても、ちっとも面白う無い。真っ正面で弾くがいい。
ベスレムの敷物は風合いも良く、最高だぞ。」
「はい」
リリスが立ち上がり、そっと敷物に座して一息深呼吸をする。
そして、ふと見回し何を弾くべきかと考えた。
あるのは部屋を満たす先行きの不安。
戦いへの覚悟。
そして、友人を殺された者の、憎しみの気配。
入り口に目をやり、腰の剣を握りしめる騎士もいる。
険しい顔で、唇をかみしめる者もいる。
だが……ならばこの中を、使者はどんな気持ちで訪れるのか。
魔導師がしていることを知るならば、死をも覚悟してくるのだろう。
元より使者というものはそう言うものだ。
誰も戦いなど望んでいない、そう信じている。
心に平静を。
そして国の平和を。
願いを込めて、セフィーリアに習った古曲に決めフィーネを奏で始めた。
その複雑な曲は一つの魔力も秘めている。
それは、弾き終わった後も続く、その空間に満ちる余韻。
人々が、澄んだ美しい音楽にじっと耳を傾ける。
こんな時にと文句の一つも言いたかったケルトも、渋々だった顔から険しさが消えて穏やかになった。
初めて聞くような……いや、遠い昔に聞いたような、どこか懐かしささえ覚えるその曲は……
「なんという曲だ?初めて聞くな。」
ガルシアが尋ねると、リリスが弾きながら顔を上げた。
「母から…セフィーリア様から習った古曲でございます。
題名はなく、ただ人の理を歌った曲だと。
心に理あれば、いたずらに物の道理を曲げることなく争いは起きますまい。
これは私の、そして王子の願いでございます。」
流れるような指の運びが、風のように音を奏で、清々しく胸のつかえを清めて行く。
なるほど巫子が薦めるだけある技術を持っている。
ガルシアが感心の吐息をはいて身を乗り出した。
「魔導師らしい話だな。
理を持って対応すれば、道は開けるか。
たとえ友人を殺されても?」
「……悲しみに、憎しみを返せば、また憎しみが来て悲しみがわき出るでしょう。
それを引き起こすのも人であれば、止められるのも人。
人の道は人が決めるもの。
私は、たとえ我が身が悲しみにあふれても、止める道を選びたいのです。」
「フフ……甘い奴よ。だが、それこそ人の命を預かる者の判断であろうな。」
子供の言うことに、憎しみを抱えていた者が剣から手を離す。
リリスの諭すような言葉は、音楽と共に心に染み入った。
これこそガルシアの狙いだったのだろう。
リリスの性格を、見透かしてこその問いだったのだと感じた。
ガーラントが傍らのガルシアをチラリと見る。
敵わぬお方よ……
ガルシアも彼を見て、ニヤリと笑う。
そして彼に声を潜めた。
「王の資質……と言う物があるならば……。
キアナルーサなら何と言ったかな?」
ガーラントが、不意を突かれて眉をひそめた。
「比べるのもおかしな話でありましょう。
王子も同じようにお答えになるはずです。」
「フフ……、俺は時々思うのだよ。
その時代、その人間が生まれ出でることには意味があるとね。
それを曲げようとするから流れが乱れる。」
「良く……わかりかねます。」
ガーラントが目をそらし、フィーネを奏でるリリスに目を写す。
あなたは、やはり世継ぎだったのか?
ならば……あるべき場所に戻るべきだと……
まさか…………あれは、ただの噂で…………でも………………
ふと、考えてはならない言葉が浮かび、軽く首を振った。
「さあ、どう出るガルシアよ。」
隣国の一行が城の敷地に入る様子を、リューズはトラン城の魔導師の間でメイスと杖の水晶を介して見ていた。
「リューズ様、レナントにはリリスがおります。」
「ふふ……」
どこか楽しみな様子で、リューズがくすりと笑う。
かたわらのメイスが、怪訝な顔で眉をひそめた。
水晶の向こうでは、案内され丁重に迎えられる様子が見て取れる。
「やはり、レナント公ガルシアは賢いと見える。
あれだけ下僕を使って襲わせたと言うに、部下を押さえるに長けておるわ。
なかなか手強いと見える。
くくく……こうでなくては面白うない。」
リューズの放った下僕が、レナントの城内を兵の後を追って飛ぶ。
バシンッ!
「うわっ」
「リューズ様!」
下僕がはじけ飛び、水晶から衝撃を術者に向けて放ってきた。
リューズが思わぬことに、仮面を押さえてうずくまる。
そして苦しげにうめき声を上げた
「ぐあああ、あ、あ」
メイスが首をかきむしる主のその指先を見ると、首から胸にかけて百合の入れ墨が輝き彼の体を縛っている。
「リューズ様!これはいったい?」
「うう、はあはあ……おのれヴァシュラム、この身の自由を奪うつもりか!
セレスの術返しにヴァシュラムの呪いが反応した。
くそ!憎き地の精霊、百合の戦士!」
メイスが初めて見る主の険しい顔に、ふと彼の弱みを見た気がする。
しかしリューズは立ち上がり水晶が何も映さないことを見ると、鬼気迫る顔でメイスを指さした。
「我が願い、わかっているなメイス!」
「は、はい。」
メイスが息をのむ。
そして膝を付き、恭しく頭を下げた。
「あなたの願いは私の願い。
アトラーナに戦いの風を。」
リューズは彼を見下ろしながら、不気味に微笑みうなずいた。
「くくっ」
イネスの横で、セレスが小さく笑う。
兄様?
怪訝な顔で、イネスが彼をチラリと見た。
リリスのフィーネの音に、軽く足でリズムを取っていたセレスが、おかしくてたまらない様子で口を押さえる。
「なんでもないよ、イネス。
使者殿が見えたようだ。」
「まさか、結界に罠を?」
「ちょっとね、ふざけた魔導師に挨拶しただけさ。」
セレスの作る結界は、普通の魔導師には歯が立たない強さがある。
しかも、彼はそれにトラップを仕掛けるのが得意なのだ。
彼が言う「倍返しのハリセントラップ」とは異世界の言葉らしく、誰も意味がわからない。
イネスがひょいと肩を上げると、ドアを開け兵が入ってきた。
殺され傷つけられ、何が人の理かと思います。
でも、これは個人の問題では無いのです。
皆の気持ちもわかっているから、ガルシアは皆が落ち着いて対応することを望みます。
長は大変です。




