78、右手のリング
「なんでお前は男にばかり留まるんだ!不埒者!」
「だって、物に留まるとあんた物投げるじゃない!」
「あんたとは何だ!俺は巫子だぞ!」
「あたし、かんけーないもーん。」
プイとそっぽを向く。
ギリギリ歯がみしながら、イネスが気がついた。
「お前のその話し方、向こうの人間だな。リリとお友達とか言ったら、送り返してやる。」
「あら、私はリリスのファンよ。そうねえ、愛人1号って感じ?ピルルル!」
笑うように鳴いて飛び立ち、イネスの頭に留まる。
銀髪に近い真っ白な髪に、透けるような地肌。
ヨーコはこんなに綺麗な髪を初めて見た気がする。
リリスの髪は燃えるような赤で、それはそれでビックリしたけど。
「愛人だって?ふざけた奴。鳥で愛人?ククク……あいつの?
で、リリスは何してるんだ?」
頭に乗って怒られるかと思ったら、なんだかクスクス笑ってイネスはそのまま椅子に座る。
怒っていたかと思うと、今度は笑っている。
気性が激しいって、こういう奴のことなのかと、ヨーコも少し拍子抜けして、そのままぺたりと座った。
「なんか楽士ってのになるんだって。だから着替えてるのよ。
あんたの所へ行っててって言われて、だから来たの。まあ、気が進まなかったけどね。」
「ふうん、そう言えば兄様が言っていたな。
で、お前の名は何というのだ?」
「ヨーコよ、ヨーコ。チュチュッ、可愛いでしょ。」
「へえ、横か、縦じゃないのか。クスクス……」
先ほどまで、緊張からかひどく不機嫌だったイネスが、鳥を頭に乗せたまま楽しそうに話し始めた。
サファイアが片付けを済ませ、クスッと笑う。
イネスはあまり外へ派遣されたことがないので、ここへ来て少々情緒不安定になっていた。
あれだけ仲のいいリリスと仲違いまで引き起こすとは、想定外のこと。
友達ができるのはいいことだ。
これからたとえ修羅場があるとしても、未熟な彼は心を平安に保つことが肝要。
鳥であれば身分の差もない。
「セレス様の所へ参りましょうか?」
「うん、そうだな。俺もこういう席は初めてだし、兄様に付いていった方が心強い。」
イネスが立ち上がると、ヨーコは彼の肩に留まる。
それを特に責めることもなく、イネスはそのまま兄巫子の所へと急いだ。
巫子セレスが、崩れた塔から城下を見下ろす。
塔はまだ何も改修が進んでいない。
ガルシアは、この被害を隣国の使者に見せつけようというのだろう。
町の向こうの森からは、恐らく隣国の一行が歩んできている。
「隣国からは、魔導師が来ていないそうですが。」
従者のルビーが、横から声をかけた。
一陣の風が吹き、セレスの金の髪をなびかせる。
緑の瞳を輝かせ、セレスがクスクスと笑った。
「さあな、見えているのに気がつかないだけかもしれぬよ。
ククク……私は巫子でも甘くないぞ。
さあ、私を楽しませよ、面白うなければ来た甲斐がない。」
ぺろりと薄い桜色の唇を舐める。
その顔は美しくも影を秘めて、およそ巫子とは思えない。
ルビーが眉をひそめ、彼の手首にあるリングに触れた。
「そのようなことを。
またヴァシュラム様のお怒りに触れますよ。
我らは戦いを止めに参ったのでございます。
どうぞお忘れ無く。」
「ふん」
冷めた物言いに、セレスが冷ややかな目で右手首のリングを見る。
その金のリングは、外そうとしても外れない。
ヴァシュラムとセレスを繋ぐ、愛しくも忌々しいリング。
輝く金の表面をつうっと指で撫で、ルビーにその手を差し出した。
「巫子は巫子らしく、血を流すことは避けねばならぬ。か・・・・」
セレスの整った顔が、悲しく微笑む。
「私は、ヴァシュラムに生かされているのだ。
この腕切り捨ててもリングを外せばどうなるんだろうね。
この世から、霞のように消えてしまうんだろうか。
いっそこの世のすべてを飲み込んでしまえばいいのに。
フフフ・・・・ああ、私は時々・・・・・・いや、やめよう。私にはやらねばならないことがある。」
やらねばならないこと・・・・ルビーは、それがなんなのか知らない。
ただ、静かに彼の足下に膝をつく。
「では、腕を切り落とすのは、私を殺してからに願います。
私はルビー、地の巫子セレス様だけの従者にございますから。」
頭の硬い従者にクスリと笑い、セレスがプイと空を見る。
気の弱かったルビーは、すっかり彼のコントロールに長けてきた。
すかした兄弟だ、ヴァシュラムの従者選びは的確すぎて腹も立たない。
「ああ鬱陶しい事よ。最初はずっと泣いてたくせに。」
「ええ、あなたはずっと本を読んで下さいました。お優しい方です。」
「本当は死ぬほどの目に遭わせて、追い出すつもりだったんだ。」
「でも、私は今、こうして生きております。
死ぬまでお仕えいたしますから、ご覚悟下さい。」
「しつこい奴。」
「ええ、良くおわかりで。」
風は優しく頬を撫で、そして戦いの気配を運んでくる。
「どうせこのリングが外れるときは死ぬときだ。その時、私はやっと自由になれるのさ。」
言い捨ててセレスは、一瞬目を閉じ、また穏やかで優しい巫子の顔に戻る。
「行くぞ」
きびすを返して階段に向かうと、らせんの階段を階下へと降りていった。
地の巫子セレスは第1巫子です。
巫子のトップですが、謎めいた人です。
実はもう一人の主人公でもあります。
彼の言うやらねばならないこと。
それが彼のすべてです。