75、塔崩壊
「逃がしたか」
舌打ちして、ザレルが剣を見る。
キンッ!
涼やかな音を立て、剣は血を浴びて二つに折れた。
「剣が!し、しまった!」
愕然とザレルが、折れた切っ先に目をやる。
その瞬間、メイスの消えた空間から炎が吹き出し天井に向かった。
「なに?!」
「うわあっ!」
ゴオッ!!
ドンッ!ドンッ!ドッドンッ!
ガラガラガラ!
まるでそれは、地から天へ駆け上る稲妻のごとき勢いで、天井に穴を開けて空へ突き抜けて行く。
やがて塔を真っ直ぐに突き抜けた炎は、空を駆け上がり雲に届くと散って消えた。
塔の中では天井を見上げると大穴が空いて空が見えている。
衝撃で室内の壁が大きく崩れて落ち、土埃が舞い上がった。
「な、なんということを……ごほっごほっ!」
「早く外へ!」
結界が解け、人の姿のセフィーリアが風と共にドアを開けて飛び込んできた。
「皆外へ出よ!ここは崩れる!」
風が部屋の中央で巻き上がり、皆が外へ出るまで塔を支える。
壁がミシミシと悲鳴を上げ、天井からバラバラ崩れた物が落ちてくる中、魔導師ラインが燃え尽きるメイスの腕に震える手を伸ばした。
「メイス……」
まだ熱いだろうそれに手を触れた瞬間、ボロリと崩れて砂のように散ってゆく。
「ライン、早く!」
魔導師の一人が、ラインに声をかけ腕を引いた。
「なにがあった?何がどうなったのだ?ライア。あっ!」
慌てて外へ出る一同の中、レスラカーンがつまずき倒れた。
「お早く!レスラ様!」
「ライア、杖が!」
見ると杖は転がり、その上に天井のガレキが落ちてくる。
「ああっ、駄目です杖は諦めましょう!」
「駄目だ、あの杖は母上の・・・!」
様子のわからないレスラが手で探ると、ザレルが引き返し駆け寄った。
「ごめん」
ザレルが、レスラの身体を抱き上げ外へ急ぐ。
「ザレル、杖を!」
「あなたは一人ですが、杖には代わりがございます!」
「でもあの杖には母上の……!」
言葉を飲み込むレスラが、目を閉じザレルにしがみつく。
塔は、やがて人々がすべて逃げ出しセフィーリアの力が離れると、音を立てて崩れ落ちた。
トラン城の一室で、リューズが杖を浮かせ先端の水晶に手を添える。
水晶は澄み切ったその石の中を急に青く輝かせ、その輝きはやがて炎となって目前に青い炎を吹き出した。
『リュー……ズ……様!』
「メイスよ、来よ!」
水晶の炎の中から少年の手が伸び、その手を掴んで引き寄せるリューズに、全裸の少年が現れ出でて片手で抱きつく。
「あ、あ、あ、ああああ!腕が!リューズ様!腕が!」
あふれる血が炎となって燃え、メイスがたまらずその場に崩れ落ちる。
「大丈夫だ、我が力を分け与えよう。」
リューズは杖を手に取り、その杖の先をメイスの切られた腕にそっと当てた。
「血の力よ、現世の不浄なる気に触るるべからず、清浄なる身体を巡れ。
私の火よ、汝に分け与えん。」
床にこぼれる炎の血がメイスに吸い寄せられ、傷から入って身体を巡る。
息をつくメイスに、リューズが膝をついて抱きしめ口づけを落とす。
すると何か熱い物が、メイスの身体を深く満たした。
「我が力分かたれし者よ、さあ、落ち着いて。
自ら腕を作るのだ。お前にはすでにその力がある。」
仮面で顔の半分を覆われた青年が優しく微笑む。
ようやく実体として出会えた彼に、メイスは熱い吐息を吐いてうなずいた。
「はぁ、はぁ、は……い。
はあ、はあ、わが……下僕よ……さあ、私を助けておくれ。」
息を整えて、切られた腕をそっと撫でる。
そこへ入れ墨のトカゲが這ってきて、その口からシュルシュルと細かく青いヘビを無数に吐き出した。
青いヘビは絡まり分かれて次第に腕を形作って行く。
そしてとうとう腕を成すと、メイスの肌の色へと変わり切られる前の姿を取り戻した。
「ああ……」
リューズがうっとりとその手を取り、唇を当てる。
「あの剣の気配がする、なぜだろう、何か懐かしい……」
「あの剣、私の呪いを破りました。
口惜しい、巫子の作った剣でしょうか?」
メイスの問いに、クスッと微笑んで唇に指を当て考える。
メイスが怪訝な表情で、なぜか不安に駆られた。
「巫子か・・・いや、この術の香りは・・・・・
赤い髪の美しき少年の香り……」
「赤い髪?リリス!あの憎きアトラーナの見習い魔導師!」
「あれはすでに見習いではないぞ、メイス。
侮ってはならぬと言うたはず。
あれこそ日々修行を積んだ手強い相手。お前も身をもって知ったであろう?」
「そんな事……これはあの野獣のような騎士の力でございましょう?
メイスにはわかりませぬ。あんな、あんな奴!」
「可愛い子よ」フッと笑い、リューズは自分の着ていた上着を脱いで、指をかむメイスの肩にかけた。
「湯浴みをしてくるが良い、長き勤めご苦労であった。しばし休むが良かろう。」
リューズが手を離し、顔の無い部下にメイスを預ける。
ふとメイスが、彼に声を上げた。
「私は、まだ働けます。どうか私をお側において下さい。」
「フフ……メイスよ、我が次の願いはとうに控えておる。
お前は私の大切な分身、何者にも代え難い大切な者。安心せよ。
あの方のもくろみ通りに事は進んだ。魔導師の塔は崩れ、その権威も失墜した。
お前のおかげだ、これであの方も動きやすくなるだろう。」
「……はい」
ホッと息をついてメイスが駆け寄り、リューズの手に口づけをする。
「何なりとお申し付けを。私はあなたのために生きております。」
顔を上げて熱く見つめ、立ち上がりサッときびすを返した。
城を出た以上、自分の駒としての価値は下がったに違いない。
すでに自分に家は無いのだ。
元の物乞いに戻りたくなければ、主に働きを見せねば。
自分には今、力がある。
この力、もっと磨いて自分の物に……。
仮物の腕をさすり、遠く辛かった物乞いの日々を思い出してぶるりと身震いした。
幸せだった、両親がいた頃の思い出はどこか薄い、夢の向こうのように思える。
流行病を恐れた村人が火を放った家を前に、燃える炎を一人でどうすることもできず呆然と立ち尽くしたあの日、あの日がよほど鮮明に思い出されて仕方がない。
井戸も埋められ、家族でただ一人生き残った自分に村人は、村から出て行くように迫った。
手の平を返したように無慈悲な、あのアトラーナの……魔物のような人々。
あの頃どこも行く当てのない自分が、墓に眠る家族だけが心の支えであったのに、どうして出て行けようか。
ぼろをまとい、裸足で寒さに震え、軒先で雨露をしのぎながら家々を回って食べ物と水を恵んで貰う、村での辛く屈辱に満ちた日々……
少しも心休まることがなかった。
毎夜明日の朝が来るのか恐ろしくて、ただただ不安に満ちて一人耐えていた。
辛かったあの頃だけが、強烈に記憶に残っている。
許せない
憎しみだけが、アトラーナという国に対してつのって行く。
腕にいた入れ墨のトカゲが、ひたひたと腕から胸を這い、腹へと降りて太腿をらせんに巡り止まった。
メイスが優しくその姿を撫でる。
「お前は、お前だけは私の味方になってくれるよね……」
心から、何もかもが信じられなくなっている。
メイスは窓から見える湖の美しさに目を奪われながら、深くため息をついた。
アトラーナは文明から遠い時代の国です。
一番恐れられているのは病気でした。
メイスの家族を奪った流行病が何かはわかりません。
もしかしたら、たちの悪い風邪から来た肺炎かもしれません。
特効薬の無い恐怖は、現代人にはわかりにくいものです。
村人は、次々死んでゆくさまにパニックを起こしたのだと思います。
何をどうしたらその病の元を絶てるのか、無知から来た答えが家を焼いて井戸を埋める事でした。
メイスは病気にかかっていないにかかわらず、村人にとってすでに歩く病原体です。
家族の不幸に追い打ちをかけた迫害に、メイスの怒りと絶望はどんどん膨らんでいきました。




