583、国境の道を帰る
ぐううううう
またマリナの腹が鳴って、ゴウカが頭を下げた。
「お食事の準備を致します。」
「いや、そうだな。
赤がよく行ってただろう、面白そうだから食堂に行ってみよう。」
「では、お着替えを。」
言われて、下着に薄衣しか羽織ってないことに気がつく。
立ち上がると、2人が服を着せはじめた。
「食事を取ったらまた出ようと思う。
赤を見つけて連れ戻さねば。
その前に、一度主様に挨拶に行く。
ガラリアめ、まだ力の加減も出来ぬクセに、迷惑なことだ。
文句を言ったら、すまないと言っていた。
すまないで済むか、阿呆が。
ことごとく地の神殿は利用させてもらおう。」
最近のマリナの服は、神官たちが持ってきた真白い精霊の布だ。
大きな一枚布を身長に合わせて上を折り、それを巻いて両肩をブローチで止めたり結んだりする。
ブローチは地の精霊の細工物をもらったのだが、水晶に濁りがあると腹を立てて使おうとしない。
結局リリスが昔、髪を隠すショールを止めるのに使っていた、葉っぱの木彫りに針金を付けただけのブローチを、なぜか勝手に使っている。
ベルトをすればいいのに、マリナはベルトが窮屈だと嫌いだ。
だから風が吹けば盛大にめくれ上がることがあるので、急いで誰かが押さえる。
それが面白くもあるが、ちょっと困った事でもある。
下はパンツとシャツで、まともに下着姿をさらしてしまう。
ブローチをいくつも持っていないし、貴重な精霊布にあまり金物の針を通したくない。
すると、ゴウカが両手で差し出し、1本のベルトを見せた。
金糸で編んであり、一方の先端には豪華な房があり、もう一方の輪を通してぶら下げた形になる。
適度な重さがあって、ドレスを押さえるのだ。
「王妃より、献上のお品でございます。」
「は! 献上するものか、この王族が。
私をこんな粗末な部屋に住まわせておきながら。」
笑ってみせると、更に頭を下げた。
「献上のお品だそうでございます。
初めての御献上品が、このような品で申し訳ないと。
ですが、王がお若いときに使われていた由緒あるお品だそうで。」
ふうん、確かに、見た目豪華だ。
でも、あまり使ってないように見える。
あの王のことだから、派手すぎると思ったのだろう。
「それはそうだろう、王が使っていたならな。
まあいい、使ってよい。」
「は、では失礼致します。」
緩く斜めに腰に収まり、少し重さがあって馴染みがいい。
使い勝手がいいのが腹が立つ。
「次は豪華な神殿を建てて見せよと伝えよ。」
「は、」
「地の王ばかり好待遇しおって、どんな裏取引があるのか知れぬ。
だが、新しい地の王、出来ぬと言っていたクセに、あいつは穴を塞いで見せたぞ。
それも、異界人の命を使ってだ。思い切ったことだが、あれは収穫だ。」
にいいっと、マリナが見た事もない悪い顔で笑った。
「命で? 壁を作るのですか? 」
「異界の男で壁を作ったのだ。生きた壁をな。
まさか、精霊王が命を使うとは思わなかった。
だが、確かに1個の人間を使えば、安定した壁になる。
これは、大きな発見だ。
赤が目覚める前に、眷属の解放が叶うかも知れぬ。」
「で、ですが、いったい誰の命をお使いに…… 」
「差し出す者には家族に恩恵を与えよう。
いや、罪人の命を使ってもいい。
あんな絨毯一つ動かせないなど屈辱だ。
この事は赤には言うな。絶対だ。」
話すマリナの表情が、不気味な影を落として見える。
ゴウカが頭を下げながら、これは不味いことになったと思った。
今まで塞げなかった異界への壁を、塞ぐ手立てが出来たのは喜ばしい。
だが、まさか人の命を使うとは。
マリナ・ルウは、代々穏やかな全ての命を慈しむ母のような存在だった。
だが、このマリナはまったく違う。
これをなんと言ったらいいのだろう。
いや、あの穏やかで包容力のある赤様に、何度的外れのことを我らは言っただろうか。
下卑て育ちが悪いと。
我らは青様のお力に安心して、性格に目が行かなかった。
この方も、神殿の無い過酷な中でお育ちになったのだ。
赤様が隣にいる青様と、いない青様では大きく落差があるように感じる。
これまでは赤の巫子を青の巫子が押さえるのが普通だった。
だが、この青様は…… 気が抜けぬ。
しかも、この二人の巫子は、これまでのどの巫子よりも力を持っている。
リリスが目覚めない今、自分たちに抑える事が出来るのか、不安が大きくなった
ガラガラガラガラ
国境を進む馬車に、トラン兵に同行する女が気になる素振りで振り向く。
助けを求めてきた女は年若く、まだ10代の少女にも見える。
薄いグリーンのコットンスカートはすそが薄汚れて、逃げるときに転んだのだろうか。
頭には赤いスカーフをして、裾から見える髪は金色だ。
だが手に持つカゴには、何も入っていなかった。
「お使いというのは、何か届けたのかい? 」
馬上から不意に話しかけられて、少女が振り返った。
「え、ええ、お土産に木の実を頂いたのに、逃げているうちにこぼしてしまったわ。
怒られちゃう。」
ああ、それで何も入ってないのか。
「あの…… お偉い方の行列なのでしょう?
あの馬車には誰が乗っていらっしゃるのかしら? 」
目をキラキラ輝かせて、後ろの馬車を見る。
誰がとは言わないで欲しいと聞いていたので、トラン兵は言葉を濁した。
「ああ、お偉い方だよ。我らは道案内さ。まあ、丁度用があったのでね。」
「そう、運が良かったわ。」
笑う顔はひどく愛らしく、トラン兵をホッとさせる。
少女はポンポンとスカートを叩いて、なぜか一度、ピョンとスキップした。
道は一本道だが、近隣の村への横道がポツポツと現れる。
川が近いだけに生活の場も近いのだろう。
川への道は道らしくない道もあり、水を求めて行きやすいように草木を刈ってある。
山手の国境だけにあまり旅人は多くないが、重い荷物を積んだ交易商人の馬車は行き来しているのだろう。
橋が近くなると浅い轍も見えて、馬が歩きにくそうにしている。
しばらく行くと、少し広い川へ行く横道が見えた。
ギリギリ馬車が通る道幅だが、その橋の向こうはまだアトラーナではなくケイルフリントらしい。
「ケイルフリントに入ると深い森なので、日中でも薄暗くて安全にとは言いがたい。
それに、橋を渡ったら先の急な坂を上り、山道へと出ることになる。
アトラーナへは下りの坂が続いて、馬車は慣れていないとかなり危ない。
大回りの馬車道もあるが、砦城まではかなり距離があるのだ。」
「なるほど、向こうの国は川向こうの崖か。本当にここは国の境なのだな。
それにしてもこの地形は、攻めにくく、守りやすい。」
「我が国とケイルフリントは、この地形のおかげであまりいざこざはないのだが、ティルクには頭を痛めている。
数ヶ月前、ティルクの貴族に嫁に行かれた姫が、夫の粗相で共に殺された。
2国の橋渡しになればと希望を持って嫁がれたのに、ひどい仕打ちだ。
おかげでティルクとは、更に関係が悪くなった。」
「粗相くらいで殺されるのか……
そりゃあ、本当にティルクの民は大変だな。」
「ああ、あの様子では、まだティルクの残党もいるかもしれない。
もう少し先の、アトラーナと繋がる橋を渡れば、その先にアトラーナの砦城の関がある。
そちらを渡った方が良かろう。」
「わかった、よろしく頼む。
お嬢さん、あなたはどちらへ? 」
アトラーナ兵が問うと、少女が振り返ってニッコリ笑った。




