576、100年を意のままに生きてきた男の最後の願い
食事が終わった頃には日が落ちて、すでに暗く、窓の外には雨避けを施した外灯にだけ火が焚いてある。
どうやらこの別荘だけが雨を被っているので、屋敷から離れた場所には普通にかがり火が焚いてあるのが滑稽だ。
風を入れるために開け放していたバルコニーへの扉を閉めた。
「良いのですか? 」
ラユールが後ろのドアをうかがいながらロウソクに火を付け、囁いてくる。
ラユールは、少し肌の色が濃いので、夜になると闇に溶け込むようだ。
誰かに聞かれるのが怖いのだろう。
彼は警戒心が強くて丁度いい。
「なにがだ。」
「あの、地の王です。神罰と言っていましたが。」
「お爺さまはなにも仰らなかった。
つまり、好きにしろという事だ。
あの様子を見ればわかるだろう。
あれと寝るということは、私は明日の朝生きているのかわからない。
それに、神罰など無いではないか。」
「うーむ、神罰とは、なんでしょうな。
どうにも精霊などの言う事はわかりにくく、ただ恐怖を呼ぶだけです。」
「ははっ! 恐怖を呼ぶだけが今のあいつの……
そうか、 …… そうだな。
今のあいつは、はったりだけで何も奇跡を起こしていない。」
「は、 はあ…… 奇跡でございますか? 」
「考えてみろ、あいつは前は雨にさえ濡れなかったのに、あの時泥だらけで何も出来なかったじゃないか。
あいつは、何か隠してるんじゃないか? 」
その疑問を聞いてラユールが顔を上げ、心の中にあることを吐きだした。
「私は、精霊の王が神罰を食らっている事実が、実は解せません。」
「はっ! ……ははは 」
2人顔を見合わせ、隠された答えを見つけたように笑った。
コンコンコン
ノックが鳴って、ハッと顔を上げる。
「 大皇様のお越しでございます 」
ラユールが慌ててドアを開けると、大皇が先になって入り、長椅子の真ん中に座った。
ヤヌーシュが側に行き、床に片膝を付いて胸に手を当てお辞儀する。
「これは、お爺様。わざわざお越し頂き恐悦至極。」
挨拶すると、無言で手で払う仕草にラユールたちが部屋を後にする。
二人きりになり、大皇が右手で頬杖をつき、左手を差し出す。
クッと笑って、ヤヌーシュが側に行くと胸元の合わせを広げ、椅子に膝をつきその手を服の中へと滑り込ませた。
「それで、お前達はどこまで気がついたのだ? 」
背中まで手を入れて身体をまさぐりながら、大皇がヤヌーシュの身体を引き寄せる。
「くくっ、お爺様、それは秘密です。」
帯を解いて、さらりと服を脱ぎ、一糸まとわぬ身体で大皇の足の上にまたいで座った。
すでに同年代同士の姿に見える。
いや、それでもヤヌーシュの方が体が小さいが。
しかしそれだけに相手もしやすくなって、ヤヌーシュの負担は減った。
大皇が、願いの叶うという言い伝えの、首から提げた大きな緑の宝石を唇に当てる。
「汝の瑞々しさよ、その片鱗を我が身へと移したまえ。」
効きもしない呪を唱え、その宝石を口にくわえて口移ししてくる。
ヤヌーシュが宝石を唇でくわえ、クイと宝石に付いた紐を引っ張り大皇の首を引っ張る。
「遊ぶな。」
大皇がククッと笑い、クスクス笑って口づけをして大皇の口に戻した。
呪を唱え、緑の宝石を口移しで互いに渡してその後、若く近しい血族とまぐわえば、若返ると言う言い伝えを信じているのだ。
だが、女だと跡目争いの元になるので、相手は王家の男子が担っている。
誰もやりたがらないのはわかりきったことだ。
本当に、若さを奪われる危険だってある。
だから、この役はどうでもいい一番下の王子が引き受けることになる。
つまり、今はヤヌーシュだ。
13番目に落とされるということは、そういうことだ。
ヤヌーシュは、内心嫌悪感に満ちながら、身動きもとれない老人と肌を合わせてきた。
若返ってホッとしたのか、若いだけに有り余る体力にうんざりしてるのか、楽しまなければやっていられない。
「お爺様、そのようなことを願っては、赤子に返ってしまいます。」
「効かぬ呪いに頼るしか無いこの年寄りを虐めるな。」
大皇が身を起こし、長椅子の上にヤヌーシュを横にして口づけを交わす。
若さへの渇望は満たされることが無いのか、やっかいな事よと小さく息を吐いた。
「お前を、第3王子に戻すようイスラーダには使いをやった。」
ことが済んだ後、重なり合って息をついていると、大皇が急に口にした。
「え? でも、アラダが何といいますか。野心だけは人一倍の弟でございます。」
「可愛いのか? 」
「まさか。しかし、あれでも弟でございますので。」
「言う口は与えぬ。アラダには失望した。残念なことよ。」
「おやおや、では、おじい様との逢瀬もこれが最後になりましょうか? 」
くすっと笑うと、ムッとしたのかヤヌーシュの頬をつまんだ。
息の上がる大皇の身体を抱いて、違和感にロウソクの揺れる火の灯りに照らされるその身体に視線を巡らせる。
大皇が身を起こして髪をかき上げると、あばらの浮き出た身体にハッとした。
「お痩せになられた、ので? しょうか? 」
「他言無用だ。」
「ですが、心配です。お加減がお悪いのですか? 」
チッと小さく舌打って、ヤヌーシュから離れると長椅子の端に座った。
若返った姿は、18,9の青年のようなのに、どこか生気が無い。
まるで、老人のようだ。
「味が無いのだ。何を食っても、な。
だから、食っても泥を食んでいるようで、食うこと事態が苦痛になってしまった。
だから酒ばかり飲んでいる。」
「ヴァシュラムはなんと? 」
「あれに相談などできぬ。
今のあれは夏の終わりの蝉よ。
生きているだけで何の力も無い。
そして、わしに振り絞った力も、中途であったのだろう。
あれはいくつも身体を分けて、どこにでもいた。
本体でさえ無かったのを見ると、わしの若返りの術は不完全だったと推測出来る。
あれが朽ち始めて、巫子の身体を得ると言い出したときは、もしや力も復活するのではと期待したが、あの有様だ。
すでに精霊でさえも、ないのかもしれぬ。
ふがいない事よ。」
ヤヌーシュが大皇の足下にひざまずき、手を握る。
そうか、だから、そうか。
大皇がアトラーナに来た本当の意味を、ようやくわかった気がした。
「地の王の、本物に会うためですね? 」
「そうだ。あの、逃したアトラーナの王子のあとに現れた美しい精霊。
あれは、溢れるほどの神気を感じた。
恐らく、今の精霊王はあれなのだろう。
私は、あれに会いたいのだ。」
「では、地の神殿へ。」
「確認させたが、精霊王はルランの城にいるだろうと。
そして、地よりももっと高位の火の精霊の巫子が現れたという。
わしは、それらに会いたいのだ。」
ヤヌーシュが、大きく息を吸って、そして吐いた。
全て、彼の行動が、腑に落ちた。
「お爺様は…… また、玉座へ? 」
大皇が、大きく息を吐いて、迷うように視線を巡らせる。
「…… わしは、自由を得て、旅がしたい 」
は?
ヤヌーシュはあきれたように驚いて、目を見開いた。
100年、生きて。
言うがままの権力を得て、権勢を振るい、侵略しては領土を広げ、その、最後の願いがそれか。
なんて、なんてことだろう。
ヤヌーシュは肩透かしを食らったように、どこかガッカリした。