572、石工の女房
「アーロンの女房、石工副元締めのダリアと申します。
とは言いましてもただの石工の女房でございます。
ご無礼はお許しください。
どうぞこちらへ、空は寒うございましたでしょう。
暖かい茶をごちそうさせてくださいな。」
ダリアは、グルクを預かり一行を中央のベンチへと案内して、たき火を囲むように座らせた。
他の女に指示して、たき火の横の大きなテーブルに茶器を用意し、焼き菓子を客人のベンチの横の小さなテーブルに置く。
「どうぞご自由に。我ら女房の中でも、もっとも菓子作りに長けた者が作りました。
きっとお口に合うと存じます。」
「なんだか、茶会に呼ばれたようですな。」
苦笑して、一つ食べてみたら確かに美味い。
「レスラカーン様、なかなか美味でございますぞ。」
一つずつごちそうになりながら、ダリアの手元を見る。
粗末な茶器かと思ったら、驚くほどに良い茶器を揃えている。
たき火にコンロを据えて、上の鉄瓶で茶を沸かしていた。
「こちらの茶器はレナントの物ですわ。
とても良い物で、.気に入って使っております。」
レナントと聞いて、1人が嬉しそうに声を上げた。
「おお! そうでございましたか!
私はレナントの者です、見事に美しい真っ白な茶器、ポールセラ。
これは恐らくレスカルドの工房の物ですな。
木の枝の意匠がございますが、これは地の神殿から頂いた神木の枝なのです。
あそこには、腕の良い職人がこぞって集まります。
レナント最大の工房です。」
「まあ! さすが、よくご存じなのね。凄いわ。」
「いやいや、わはははは! 」
茶器一つで、皆との距離が一気に縮まった。
レスラカーンが、これはただの女房とは違うなと目を開けた。
「では、茶の準備に入りますね。」
材料を並べ、鍋を取り出す。
茶葉を入れて、軽く炒り始めると、良い香りがあたりに漂う。
これは、かいだこともない香ばしい香りだ。
「良い香りですね、目が覚めるようだ。
目が見えぬ私にも、茶が楽しめる。」
レスラカーンの言葉に、ダリアがフフッと微笑む。
そして煎った茶葉をポットに入れて、湯を入れながら湯気の向こうで静かに返した。
「見えずとも、あなたには耳があり鼻があり手があり足があり、そして信頼出来る者がいる。
あなたは十分に満ち足りた人生を送ることが出来ますわ。」
「ええ、ありがとう。私もそう思う。」
不自由とか、不便とか言う言葉を使わないんだな。
まさに前向きだ。
「ミルクはお飲みになりまして? 甘い物は?
お嫌いなものはあります? 」
「え、ええ、特に嫌うものは無いが…… 」
「では、北の国の民の飲み物、ナナイをお出ししましょう。
甘い茶ですわ。」
「甘い? 茶?? 」
「アトラーナはハーブのお茶が主流でございますね。
とても良い香り、使うハーブで色々な味が楽しめる、良い文化ですわ。
ナナイは、身体を温め滋養を付ける、北の民の飲み物なのです。」
アトラーナは、茶というとほとんどがハーブティーだ。
色んなハーブで味の変化を楽しむのが常だ。
ミルクは温度を変えて飲むだけで、何かを混ぜたりしない。
甘い茶は恐らく誰も飲んだ事が無い。
興味を持って見ていると、茶色のボロボロと固まった粉を、各カップにふたさじずつ入れる。
「これは甘い芋、テリを切って湯につけ、その甘くなった湯を煮詰めて作った蜜の粉です。北ではテリ蜜と呼ばれて市場で手にすることが出来、調理で使います。」
ダリアは傍らで温めたミルクをカップに半分注ぎ、そしてポットの茶を入れて、さじで一つ一つかき混ぜる。
そしてそのカップをソーサーに置き、女に指示してどうぞと1人1人に差し出した。
カップから香り立つ茶の香りをかぎ、湯気の心地良い暖かさに心が落ち着く。
一口飲むと、香ばしさと甘さが引き立ち、ミルクのコクが舌に心地良い。
どこか懐かしささえ感じて、息を付いた。
「これは美味い! 」
「これは身体にスッと溶け込んで、疲れが和らぐようですな。」
喜ぶ家臣の声に、レスラカーンも一口飲む。
さっぱりとした甘さに、香ばしくて美味しい。
「これは美味しい、皆に飲ませたい物だ。
流石に色んな所で仕事をされるだけに、いろんな物をご存じのようだ。」
「我らトランの石工同盟は、依頼があればそこに赴き、建物や石積みを工事してトランへと戻る流浪の民。
ただ、トランの新王からは村を与えられましたので、今後は国内に拠点を置く予定ですが、流浪の旅の最後に、こちらで力になって欲しいとご依頼をいただき、こうして参りました。」
レスラカーンが視線を宙に泳がせて、静かにうなずいた。
頼むと、喜ばしいと、飛びつくのは早い。
それを判断するのは伯父上だ。
「なるほど、子細はわかった。
しかし、他国の城に関わったことはあるのですか? 」
「もちろん、我らは守秘義務を持っている。
それはたとえトラン王が情報を欲しても、決してくつがえされない。
そう言う信用の元に、近隣の国へと赴いている。
守秘義務は、守らねばこちらの首も危ういのでね。
いちいち口封じに殺されては、我らの技術は途絶えてしまう。」
「なるほど。わかった、信用する。
だが、王にも同様のことを説明して欲しい。
魔導師の塔が崩れて久しい。
だが、設計図さえ無い有様だ。それでも可能なのだろうか? 」
「復元ならば、まずはどういった作りだったかの聞き取りから始まる。
石はその場にございまして? 」
「ああ。人の力では、どうすることもできないと聞いている。」
ダリアが無言でうなずき、ふと、レスラカーンは目が見えないのだったと気がつく。
「ほほ、ええ、承知しました。
あなたがあまりに自然体なので、つい無言でうなずいてしまうわ。」
「無言でうなずいてもいいのですよ、誰かが合図して教えてくれますから。
私の目は、皆が代わりに見ています。」
「まあ、怖い。」
石工の女房と言うには、どこか上品さを感じる。
レスラカーンが、茶を飲んで切り出した。
「あなたは、庶民の出ではありませんね? 」
ダリアが顔を上げて、クスクス笑った。
「やっぱり耳のいい方は怖いわ。
私はリトスの貴族でしたのよ。
彼が一目惚れして、実家の領地で起きた岩崩れを綺麗に整地した上に石積みで補強して、そして私にプロポーズしましたの。
ひどいでしょう? 貴族から石工の女房ですわよ?
父や兄が怒り狂って、兄なんか決闘を申し込みましたの。
普段、石のことしか考えない職人が、勝てるわけありませんわ。
もちろん負けてしまいました。
でも…… でもね?
あまりに素晴らしい仕事ぶりに、婚約を妹に譲って嫁いでしまいましたわ。」
嬉しそうにコロコロ笑う。
ああ、なんて幸せそうな笑い声だろう。
レスラカーンは、コップを隣のブルカに渡し、立ち上がると声のほうに手を伸ばした。
「たとえ皆が反対しても、私はあなた方にお願いしたい。」
ダリアが彼の顔を見て立ち上がり、歩み寄るとその手を両手で握る。
「反対されても、崩れた石をそのままでは帰りませんわ。
石使いの誇りにかけて。」
「よろしく頼む。」
「承知いたしました。」
レスラカーンは、そうして城へと戻り、近くまで来た石工のことを報告した。
侵略ではない、助け手なのだと。
そしてトランに手厚く保護されている彼らを城内に入れることで、それは逆に守りになると。
彼らのいる城を攻めることは、トランさえ相手にする覚悟が必要になるのだ。
王はレスラカーンの耳を信用して大きくうなずくと、すぐに使者を送って城下へ移動するように指示を送った。
拝謁に来たダリアは、正装した姿はそれは美しく気高い様子で、たかが職人と侮っていた者達は、背筋を伸ばし、城内への職人たちの受け入れ体勢に忙しく動き出した。