569、これを受難と言わずになんと言うだろうか
その部屋は、3階建ての来客棟でも2階の角から3番目ににある部屋で、王と家族が使っている3階の、王の居室の真下になる。
まるで、上から常時ストレスを与えられているような感覚にとらわれるが、爺によると王が使う部屋の真下という事は、どこかに逃げ場があるはずだという。
そう言えば、自分はその隠し通路を通って城から出たんだったと、ルクレシアはふと思った。
同じ2階には王と臣下が協議している執務室が中央にあるが、ここは廊下を扉で仕切られ、独立していて静かだ。
その、与えられた一室にある椅子に座って考える。
上座らしき場所に随分と凝った装飾の机と椅子はあるが、そんな物に座る気にはならない。
中央の円卓にある椅子に座り、両足投げ出して腕を組む。
王の命令を受けて、ルクレシアがどうしたらよいか頭を抱えていた。
「坊ちゃま、お茶でございます。」
カーテンで仕切られた召使いの控えの場所から、爺がトレイに載せて、いつものハーブティが準備された。
外出用のお茶道具が入ったバスケットを家から持ってきたらしい。
貴族に茶は大切な時間なのでと、爺は毎日の習慣を壊さない。
巫子の戦いの後、しばらくは城で寝泊まりして原状回復に努めてしまった。
自分でも、自分が何やってるのかわからないほど働いて、本当に馬鹿だと思う。
王子の側近をしていただけに、現状城内にくわしい一人になってしまい、まとまりの無い動きの下働きにイラつき、結局指示を飛ばして問題点を探り、人不足に城下に乗り出し、人までかき集めて何やってるのかわからない。
風呂にも入らず汚れまくって、泥のように疲れたあげく、あの命令だ。
命令を受けた後、一旦家に帰って休んできた。
ミュー馬を借りられたが、ルクレシアは乗馬は苦手で、爺の前に座ってなんとか帰った。
どうにも爺に頼りっぱなしで、自分にウンザリなんだが、爺は嬉しいらしい。
家に帰ると、ルクレシアは目の下真っ黒で、泥のように疲れた上に薄汚くなって帰った息子に父母に呆れられて。
家ではなんだか急に大人びたラティが自分で父や母に挨拶して、きちんとした執事服を着せられ、元気に玄関で出迎えてくれた。
「私のことはもう心配ございません。
ご主人様はご自分のことに集中なさって下さいませ。」
なんだか驚愕に近いしっかりした口ぶりに、ルクレシアは唖然として、
「ほんとにラティ?? 」
「はいっ! 前に申しました通り、地の王にかけられた呪いを火の巫子に解いていただきました! 」
「はあああああ、またあいつらか〜 」
ほんとにムカつく。
嫌いな奴に借りがどんどん増えて行く。
とは言え、
風呂に入り、家のベッドでゆっくり休めてホッとした。
今日からはラティも一緒に登城して、守りについてくれる。
ルクレシアの家族はルランに残っていたので、今回の件では対象外となるが、父は、彼が王に頂いた勅命を聞いてひどく喜び、まずは自分が率先して金を出すべきだろうと言って、大金の拠出を約束してくれた。
今日からは、作業に加わらずこの部屋で頭を使う仕事だ。
母が厳しく言うので、仕方なく貴族らしい服を着てきた。
とは言え、場にそぐわないので一番地味な服だ。
まあ、彼が着ると自然と派手になるのだが。
茶を一口飲んでため息を付く。
ラティが横に立ち、首を傾げた。
「ご主人様、お疲れでございましょう。
どこかお揉みしましょうか? 」
「そうだな、僕のフリして座ってくれ。僕は帰るから。」
クスッと笑ってラティが後ろに回り、タオルを置いてマッサージをはじめた。
「ラティにご主人の真似は無理でございますので。
肩でもお揉みしましょう。」
「肩なんか凝ったこと無いってのに、ガチガチだ。
これを受難と言わずになんと言うだろうか。
あー、、帰りたい。」
優しくラティが揉んでくれると、頭に血が巡ってくるようだ。
暗い室内に光が差して外を見る。
ああ、またこのセリフが浮かんでくる。
僕はどうしてここにいるんだろう。
「まったく、あの時泊まりがけで復旧なんかに手を貸したのが間違いだった。
なんでこう、僕はお人好しなんだろう。」
つぶやくと、爺が笑った。
「ほほほ、それが坊ちゃまの最高の長所で、最低の落とし穴でございますから。」
「爺、僕がまた足を踏み外しそうになったら、今度はちゃんと止めてくれ。
僕はもう、あんな生活には耐えられない。」
「承知いたしました。」
その頃、下の階段で男たちが2人たむろしていると、遅れて2人が手を上げた。
彼らはルクレシアの部下に選抜された4人だ。
気が進まないだけに、1人で行く気がしない。
「シャール殿は? 」
「さあ、一番で手を上げて、今更怖じ気づいたとか? 」
くくくく、嫌な笑いを漏らし、4人で階段を上がりはじめる。
「侯爵と言っても、花街にいたらしいじゃないか。
覚えのある奴はいないのか? 」
「身体の? 」
「ヨハン、ヘッセ、よせよ、下品だ。」
「ダルトンは上品なことで。それにしても気が進まぬ事よ。」
「どうせ俺達が尻拭いでもやらされるだけだろう? 」
カーーン
階段に、杖とは違う音がした。
ハッと上を見ると、シャールが目を光らせて10人の兵を後ろに、階段に剣を突き立てている。
4人は思わず背を伸ばし、剣に手を添えた。
それを見て、一分の隙も無く真っ直ぐ肩まで伸ばした白髪の、壮年の騎士シャールが声を上げた。
彼はこれまで王弟の護衛騎士長をしていた身分の高い貴族騎士だ。
他の4人より格が上になる。
「剣に手が行くのは騎士なればこそ。
だが、下らぬ話に溺れるのはもってのほか。」
ヨハンとヘッセは顔を真っ赤にして、階段を上がると胸に手を当て頭を下げる。
まさか、先にいるとは思わなかった。
10人を超える人数がいて、無駄口一つ無いとは驚きだ。
「お恥ずかしい、申しわけありません。」
「2度は繰り返しませんので、御容赦を。」
シャールは剣を鞘に直し、うなずいた。
「汝らの気持ちを推し量る事はたやすい。
だが、王の人選は間違ってはいないだろう。
生き方に、善し悪しは無い。
共に、この仕事を全うしようぞ。」
「は、」
そろって部屋まで行くと、ノックしようと手を上げたときだった。
音も無くドアが開き、ダンレンド家の老いた執事が一礼する。
老いた、とは見た目がだ。しかし、この執事の足さばきは老齢とは思えない。
騎士達は、皆彼に目を奪われた。
「主人がお待ちしております。」
うなずいて、まずはシャールが部屋に入った。
「これは、財務官、お早いことで。」
シャールを筆頭に選抜された5人の男たちと、護衛の小隊長に10人の兵が後に続く。
すでに1度は顔見せに挨拶は済ませた。
本格的な会議は今日からだ。
ルクレシアは、あの後、金を集める財務官に任命されてしまった。
ひたすらため息しか出ない。
自分がこの屈強な男たちの前を歩かねばならないのだ。
ひねり潰されそうものなら、まばたきの間で終わる。
ルクレシアは非力だ。
何の武芸の鍛錬もしていない。
ルクレシアが立ち上がると、全員があらためて一礼した。
シャールが、落ち着いた声で挨拶する。
「それでは、本日よりよろしくお願いします。」
「こちらこそ、僕は若輩ゆえ、こんな命令を受けるのも初めてなんだ。
ご存じのように、侯爵家の息子ではあるが、自分の意見を通すために家を出るという間違いも起こした。
これから、僕の態度に腹立ちのこともあるだろう。
だが、遠慮など不要で僕に意見して欲しい。
僕は好きと嫌いがハッキリしてる不作法者だ。気に触ることは必ずあると言っておく。覚悟してくれ。」
「なんの、無作法結構。我らも遠慮無く申し上げる。
カッと来ることもあるだろう。
だが皆、それを引きずること無く、怒りの火はその日で消すようにしようではないか。」
「同意する。」
「互いに知恵を出し合うことに集中したい。」
ルクレシアが歩み寄り、1人1人と握手した。
「では、失礼して。」
護衛の小隊長が前に出た。
「小隊長のバルクでございます。
それでは本日より護衛の任に就かせていただきます。
御邸宅では不要と聞きましたので、復興準備財務官殿には、登城からご帰宅まで、順次交代しながら任に就かせていただきます。
「いらないんだけどね。」
「はい、副官になられるシャール様にも同様に付かせていただきます。」
シャールがピンと張った白い鼻ヒゲを指でなぞりながら大きくうなずく。
「当方もいらぬと言うのに。やれ、困った事よ。」
ルクレシアが、他の4人に目を配る。
「他の方々は、護衛はいらぬか? 」
「今のところ遠慮いたします。」
「無用にて。」
「同じく。」
「ですが恐らくは…… 」
一番身体が小さく、ルクレシアとあまり背丈も変わらないが、対照的に筋肉質の騎士ダルトンが顎に手を置き身を乗り出し囁いた。
「取り立てが始まったならば、まずはお命狙われましょうぞ。」
誰が聞いているわけでも無いのに、声を潜めるその仕草に、ルクレシアがプッと吹き出した。
うつむいて、ルクレシアにチラリと目線を上げるダルトンに、ルクレシアが一歩前に出て、顔をつきあわせて声を潜めた。
「望むところだ。」
噂に違わぬ強気の彼に、見た目の美しさからは到底信じがたい芯の強さを感じて、ダルトンがニヤリと笑った。




