559、身から出た錆
「はあ、はあ、はあ、」
地に横たわり、血だらけで激しく息を付くバルザール王子に、ティルクの者達、側近や兵達が恐る恐る近づく。
顔を見合わせ、側近の1人が声をかけた。
「王子、いかが…… でしょうか? 」
傷を遠目で見ると、顔から胸まで大型の猫であるミュー馬の鋭い爪で切り裂かれ、上腕からダクダクと血があふれてすぐに止血した方が良い状況だ。
「うっぐ、…… はあはあはあ…… 」
王子は誰も手当てしない状況に、怒鳴り散らしたいが声が出ない。
皆が取り囲み、自分を見下ろし真っ黒な顔を見せている。
なぜ、なぜ、誰も、手当てしない?
なぜだ、俺は、こんな所で、死にたくない!
王子だぞ、我は王位継承二位なのだぞ? お前達など、父上に言って引き裂いてやる。
殺してやる、殺してやる、俺をこんなに苦しめている。
万死に値するぞ、城に戻ったら見ていろ、全員捕らえて異界の武器の試し打ちの標的だ。
はあはあはあ、痛い、痛い、はあ、はあ、早く、誰か、痛い、死んでしまう。
視界がだんだん暗くなる。
怖い、誰か、 怖い、 死にたくない、 助けて
「だれ …… 手当て…… ガフッ、ごふっ、 大臣、して やる、ごふっごふっ、 ほうび …… 」
「褒美を、頂けるので? 」
力無く、ガクガクとうなずく王子に、またそれぞれが顔を合わせる。
それぞれが、思わず周囲を見る。
「後ろのアッサール隊は? 」
「まだ、 まだ見えません。」
「そうか。」
誰かの返答を聞いて、それぞれが視線を動かし皆の出方を見る。
やがて側近の1人が剣を抜くと、ゆっくりと、恐る恐る切っ先を王子の喉元に向けた。
誰も、それを止めようとしない。
王子が信じられない顔で、それを見つめる。
どうして? なぜだ! なぜ誰も止めない!
助けて、 助けて! 助けろ!!
それが許しを得られた行為のように、皆が思い思いの場所に次々と上から剣を向ける。
ただ、王子を取り囲み、そこにはシンとした静けさの中にツバを飲む音と、息つく音だけがしていた。
「 な…… ぜ…… 」
「なぜと、 なぜと問われるか? その答えは黄泉へ先に逝った者達にお聞き下さいませ。
私の愛らしい従姉妹は、結婚が決まっていたのに、あなたに辱めを受け自死いたしました。
長年お仕えしてきましたのに、あれはどうしても許せないのです。」
「我が友は、必死であなたのためと働いておりましたのに、目つきが気に食わぬと手打ちにされました。」
「私の友人は履き心地が気に入らないと、指を落とされ絶望して毎日浴びるように酒を飲んでおります。
良い靴職人でしたのに。」
「私の叔父は先ほどケイルフリントの兵と共に、弓に射られ殺されました。父代わりの良い叔父でした。」
「私の兄は…… 」「私の友人の友人は…… 」「私の…… 」
王子が大きく目を見開く。
バカな! 俺は王子だぞ?! お前達とは格が違うのだ、なにを言っている!
1人が苦々しく願うように囁いた。
「 エリアドネよ、目を閉じよ。この者には安らかな死は不要にて 」
「苦しみを与えたまえ」「永劫の苦しみを」「王家には死を」「黄泉でどうか苦しみをお与えください」
次の瞬間、皆が一斉に剣を突き立てた。
サムエルが、薄暗い森をひたすら西へと走っていると、視線の先に小さな灯りが見えた。
鉛のように身体が重い。
大きな木の影に入り、王子を下ろして息を付く。
王子は足を痛めたのか、右足をひどく痛そうによろめいた。
膝を付いて見ると、ひどく腫れている。
「大丈夫です、ちょっと痛いだけです。」
立ち上がり、そっと遠くに見える火を伺う。
トランの人間だろうが、自分たちのことをわかって貰えるだろうか?
一か八かで賭けてみるしかない。
王子を抱き上げ、もう一度走り出す。
後ろでは、遠くで何か騒ぎの音が響く。
追っ手が来る、間違い無く。
あのティルクの王子は、大国を笠に自信に満ちていた。
今の王家が支配しているうちは、ティルクは人が足を踏み入れる場所では無い。
だが、元々アレクシス様にお仕えしていた自分は王に逆らえなかった。
「王位を兄の血族へ返還する事は、我が悲願である。
力を貸してくれぬか? 」
「ですが王よ、ティルクが本当に生きて返すとは……
やもすれば、王子2人を取られることになってしまいます。」
「我が、悲願である。」
悲壮感に満ちた、あの方の気持ちはわからないではない。
ご自分のせいでお世継ぎが戦場へ行ったのは皆も知っているのだ。
それがまるで、自分が王になるための画策かと、余計な詮索を生んだのもあの方の心を傷つけたのだろう。
先王に王子が1人しかいなかったことが、悲劇を生んでしまった。
御子を犠牲にしても救いたい気持ちが勝っている。
王は、判断を誤っておられる。
そうとしか考えられない。そうだろう?トーケル殿。
だが、ディファルト王子は全て承知の上で全体を見ておられる。
「我が父は、優しすぎるのだよ。
優しいからひたすら自分を追い詰めて、それが救いになっている。
だからな、皆も我が父を見捨てず見守ってやってくれ。」
苦笑して仰る姿に、我らアレクシス勢は心救われた。
あの方は、まことの王だ。
「サムエル、下ろして、僕も走ります。」
ハアハア激しく息を付くサムエルに、王子が囁くと手から滑り降りた。
もうすでに彼は限界だ。自分を抱えてこれ以上走っても、掴まるのを待つだけだ。
「あなたの足では無理だ。折れていたら戻らなくなる。」
「でも! このままでは、2人とも死ぬしか無い!
あなたは逃げるがいい、僕はティルクに行きます。」
「何を仰られるか! 」
思わず叫んだ時、遠くにあった火が一気に近づいてきた。
「なっ! なんだ? 人ではない?! 木霊か? 」
火は自分たちの前で止まり、ポポッと宙で浮いている。そして声が聞こえてきた。
『 お探ししておりました。お怪我はありませんか?
私はアトラーナの火の巫子リリスと申します 』
「火の? 巫子?? 魔術師か? 」
『 説明は後ほど。追っ手が来ております。
敵は獣が多少減らしましたが、いまだ多数の様子、助け手はもう少しで来ます、もう少しのご辛抱です。
ミュー馬があなた方を追ってきていますが、今見失っているようです。
あれはあなた方の馬ですか? 』
問いに答えず、サムエルが王子を抱き上げリリスに剣を向けた。
「追っ手が?! くそっ! 貴様何者か?! 悪霊か?! 」
すでに限界も近いサムエルは思考に混乱が見える。
『 落ち着くのです。今混乱したままでは正確な判断が出来ぬ 』
「うるさい! 消えろ! 」
ピュンと風切り、剣を振り回すサムエルに、王子が彼の髪をギュッと握った。
「待ってサムエル! 落ち着くんだ。」
「しかし! 」
フレデリクが彼の手から滑り降り、頭を下げた。
「あなたは精霊というものですね? どうか助力を願いたく。」
『 はい、この状況で落ち着いた良い判断です 』
そう言うと、話をする火の玉が、大きく膨らみ人の形になる。
そして、赤い髪の少年になった。
『 探しておりました、ケイルフリントの王子よ。
私はトランの方々と今ここを目指しております。
あれはあなた方の馬ですか? 』
「そうです、捕虜になっている従兄弟の愛馬、アデーラです。
でも、私たちのことを覚えているかどうか。」
『 呼び寄せてみましょう。姿を見たら、名を呼んで下さい。
乗ることが出来たなら、このまま西を。
アトラーナとトランの者が、あなたを保護するために向かっています。
足をケガしていますね? 見せてください 』
フレデリクの足を見るリリスに、サムエルがイライラしてのぞき込む。
「私が抱えるから良い! 早く先を急がなくては! 」
『 いいえ、追いつかれました。ここを動かぬように 』
リリスが腫れた足に手をかざして治療を行う。
そして立ち上がった時、一斉に彼に向かって矢が飛んできた。




