557、今更だけど、命はかけるな
「トーケル…… なのか? トーケル! 」
王子が声をかけると、いきなり炎がボッと大きくなった。
『 おおおおおお!! ディファルト様! 御身のお声が最後に聞けるとは、なんと言う有り難き幸せ! 』
まるで生き返ったように、声が大きくなった。
「 戦士長! 」「 トーケル様! 」
「トーケルよ、一体何があったのだ。」
その問いに、小さくうめき声が聞こえる。
恐ろしいほどの感情の交じったその声に、耳を塞ぐものもいた。
『 王子と…… 王子の…… 王が、取り交わした! 交換です。なんと言うこと ……
大きな、破裂の 音が 聞いたことも 無い。 それは、大きな!
弓が! 岩、 岩、 もの凄い音! 下敷きに 多くの 兵が!
沢山 の、 ティルクが 弓が 矢が 兵が!
王子、トラン 森へ あああ、 お逃げください、 どうか、 エリアドネよ、 お守りください
サムエル、 頼む、 どうか! 頼む!
おお…… 申し訳、ありませぬ。 申し訳ありませぬ! おおおおお…… 』
言葉が混乱してわかりにくいが、言いたいことはわかった。
「王子、先ほどの音は雷鳴では無かったのでは? 」
「土煙を見た者がいないか探します。」
側近がささやく声にうなずき、ディファルトが死者の胸に燃える青い火に尋ねた。
「わかった、トランの森にフレデリクを逃がしたのだな?
破裂の音とは何だ。お前達はどこにいた? 』
『 広い 河原 聞いた 事もない 大きな
河原の 兵が 一息に 』
マリナが彼の記憶の片鱗を見て、怪訝な顔をする。
何だ? 彼の記憶にある、この轟音は…… 魔導なのか?
『 隣国から 黒い、 使者が 』
ボッ ボッ
だんだん炎が小さくしぼんで行き、声が、遠くなる。
もう、限界が来たのだと思う。
「わかった。トーケル、よく、今まで仕えてくれた。礼を言う。」
『ディ ファル ト 様、申し わけ 申し わけ…… 』
行くなと言いかけて、口をつぐんだ。
死者の声に、何と言ったら良いのかわからない。
ディファルトは大きく息を付いて、伝えて安心したのか小さくなる火にうなずいた。
「我が戦士トーケルよ! 大義であった!
安らかに、眠れ。後は任された。」
その、張りのある声に、一同がハッと顔を上げる。
『 我が、王子…… この、トーケル また、お仕えしますことを…… 』
囁くように声が聞こえて、ポッと、火が消えた。
一同がほうっと息を吐き、胸に手を置き黙祷する。
そして、次の瞬間立ち上がった。
「一同! 後続隊の元に参るぞ! 」
「「「 はっ!! 」」」
遺体回収班を残し、他の大多数が反転して出発する。
マリナは空へと登ってそれを見つめながら、後続隊の元へ行くか迷っていた。
嫌な予感がする。戦いが、拡大するような……
確かに、ケイルフリントへの足がかりは置こうと思ったけれど、そのまた隣国までのことは考えていない。
まずい、まずいぞ。赤に知れては……
心を閉ざし、マリナはリリスに伝えないよう気を配っている。
だが、それは今のリリスにはまったく効果が無いことをマリナは思い知った。
『 トランの方々と、トラン側から森を参ります 』
「 えっ?! 赤! 待って! 」
『 青、彼の弟がトラン側に逃げたならこちらから向かった方が早い 』
「 実体で行くな! 駄目だ! 心を飛ばせ!
アトラーナを出たら、我らの力も全力は出せなくなる 」
『 実体で行かねば、我らを知らぬ者へどれだけの説得力が有ると言うのだ。
青、君が見せた口寄せも、半数が良からぬ呪術だと思っている。
接して声を聞かせねば、誰もついてなど来ない、青 』
駄目だ、僕は、僕は赤に逆らえない。
赤は、気がついていないけど、本質が戦乱の世の王なのだ。
だから、巫子であり王であった先代と馬が合う。
「 死んだら連れ戻すから 」
『 死なないよ。這ってでも帰る 』
「 1人じゃないよね! 」
『 1人でなんて、怖くて行けないよ。僕らは常に繋がってる。
僕のいる場所に青がいる。共に行こう 」
はっ!
そうだった。
僕は赤に逆らえないわけじゃない。
逆らう必要が無い。
僕と赤は一心同体なのだから。
僕の意志は赤の意志であり、赤の意志は僕の意志。
「 わかった、王子を救えばケイルフリントに足がかりができる。でも命はかけるな、時に見捨てろ 」
『 くくっ、僕にそれ言うの? 』
「 今更だけどね、ここはアトラーナでは無い。だから言うよ、僕にはリリが世界の誰より大切だから 」
『 ありがとう 』
リリスが心話を止めて動き出した。
その様子が、ありありと浮かんで見える。
輝いて見える。
それをやらなければと言う、ただただ、前だけを見ている。
それに人々が走ってついてくる。
「ククッ、本当にシビルのように猛進なんだから。
まったく、とんでもない火の巫子。
彼には満天を聖域とするシャシュリシュラカ様がついてるから大丈夫と思うけど。
…… ほんとまったく。困った相棒だよ 」
遠くをディファルトの乗ったグルクが見える。
マリナは迷い無く、その姿を追っていった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、」
薄暗い森の中を草や根、落ちた枝木に足を取られながら、必死で走って一歩でも遠くへと急ぐ。
途中転んで足をひねり、その痛みに耐えながら這うようにして藪の中に隠れた。
誰も、来ない。
誰かが必ずと言ったのに、誰も、来ない!
フレデリクが身体の震えにガチガチと歯を晴らしながら、うっそうとしてほとんど見えない空を仰ぐ。
ここが何処なのかもわからない。
目鞍滅法走って、方向なんか考えずに真っ直ぐ来た。
ザザザザ…… ザアアアアア……
風のざわめきに、恐怖に耳を立てる。
全ての音が、ティルクの兵の足音に聞こえて仕方が無かった。
「トーケル、トーケル、助けて…… 」
真っ黒に汚れた服の端で涙を拭いて、そっと枝葉の間から辺りの様子を探る。
森は人が入っているのか、落ちた枝や折れた木も少なく、あまり荒れていない。
トランの人々がいないか、あたりを探して足跡が無いかを見る。
ハッと気がついた。
「 ヒッ! 」
片足引きずったために、所々の苔が剥げ、草が倒れて泥に自分の足跡が残っている。
バッと口を塞ぎ、目を見開いた。
森の民なら、容易にあとを追ってくるに違いない。
恐怖で涙も出ない。
ガタガタ大きくなる震えに、身体を小さくしてしゃがみ込む。
あんなに痛かった足が、なぜか感覚が鈍い。
パンパンに腫れて、ショートブーツのホックが壊れかけていた。
どうしよう、もう走れない。
「ほう、 ほう、 ほう、 ほう、 」
鳥を真似る人の声がして、ドキリと背を伸ばす。
腰から剣を取り、握りしめるとブルブル切っ先が激しく揺れた。
掴まったら、ティルクに連れて行かれる。
アレクシスが、代わりに開放されると言うけど、本当に生きているのかもわからない。
もしかしたら、死んだからなのかも知れない。
父様は、僕よりアレクシスを取った。
あんなに、あんなに優しかった父様が、僕を見捨ててアレクシスを!!
足音が近づき、そして止まる。
ハッと背を伸ばした時、長い毛むくじゃらの虫がボトリと首に落ちた。
思わず声が出そうになり、グッとこらえる。
「王子、いらっしゃいますね? フレデリク様。サムエルでございます。」
はあはあはあはあはあ
「あなたに、信用しろとはとても申し上げることなど出来ません。
私は…… 裏切ったのですから。
でも、私はトーケル殿にあなたを託されてしまった。
私は、…… 死ねと仰るならあなたをトランに預けたあとで死にましょう。
どうか、おそばにいることをお許しください。」
はあはあはあはあはあ、ウソ、ウソ、うそ、うそだ。
うそに違いない。
どうしよう、どうしよう、
僕はどうしたらいいんだ。
剣を握る手が震える。
こんなザマで、戦えるものかと兄様に何度も自信を持てと言われたけれど、僕は、僕は兄様のようにはなれない。
ザッザッザザザッザッザザ
沢山の足音が近づいてくる。
彼が呼び寄せたんだ!
絶望の足音が!
ザザッザッザッザ
ザッザザザ
「おい! そこのケイルフリントの者よ、王子はどこだ。」
そうっと伺うと、サムエルを囲うように沢山の兵が集まってくる。
そしてその中から、銀に輝くグレーの毛並みのミュー馬に乗った青年が声を上げた。




