556、死者の声
その川は隣のトランと共に色んな名前で呼ばれている川だ。
よって通称は、国境の川、グラージ川と呼ばれていた。
川は国境の山を起源とし、それ自体が国境となり、アトラーナの砦近くを流れ、そしてトランの大きな湖へと流れ込む。
ただ言えるのは、貴重な生活の水として使われ、作物へ、家畜へと、貴重な水源でもある。
だからこそ、上流で川を汚すのは、水を巡って余計な争いを呼ぶこともあり、タブーとされていた。
「向こう! 流されてるぞ! 急げ! 」
「 息があるものはいないのか? 」
「駄目だ、ひどい傷だ。」
「こっちは石か何かで腕がひどい。」
「 息のあるものはいないのか!? 」
「手を貸してくれ! 3人いる! 」
「見ろ、ティルクの兵が混ざってる! きっとあいつらにやられたんだ! 」
「クソッ! 」
「 息の! あるものはいないのかっ?! 」
ディファルト王子が叫び、ゆっくりと頭を抱えた。
髪を掴み、立ち尽くす。
次々と、矢に射られ、斬り殺された大切な国民が流れてくる。
もう、発する言葉もなかった。
父よ、今! ここに来てこれを見るがいい!
先日まで、
良い父親だった者だ、
良い息子だった者だ、
かけがえのない職人だった者だ!
あなたが殺したのだ!!
先発隊を止めて、それから弟にと思った自分の判断が間違っていたのか?
弟を、後発隊に同行させるのが間違っていたのか? 頭の中がグルグル巡る。
『 王子よ、汝1人で抱え込むな。 誰もそれを望んではおらぬ 』
小さなまま、ディファルト王子の顔の横に来てマリナが囁く。
「だが、送り出したのは我らなのだ。
確かに、戦になれば死者も出るだろう。だが、ここはまだ国内だ。
トランから攻め込まれることはほぼ無い。
この国境を越えないうちは安全な行程のはずだった、そこに油断があったかも知れぬ。
もっとティルクの動きに目を光らせるべきだった。
オリバー! 遺体回収に半数残し、残りで至急立つ!
遺体の取り残しの無いように、トランに知れてはまた争いの元になる。
我らは、急ぎ引き返すぞ! 」
「 はっ! 」
「王子、ティルク兵の遺体も混じっておりますがいかがしましょうか? 」
「見ただけではティルクかどうかの判別が難しい、上げて慎重に選別せよ。
後の事は13番隊に処理を任せる。
セドリック! 早馬で城に知らせを出せ!
後続隊に我らも向かうぞ! アシュリー! グルクで上空から偵察を頼む!
弓に気を付けろ、あまり高度を下げるな! 」
「 はっ! 」
「 はっ! 承知しました! 」
ショックを投げ捨ててキビキビと指示を送り始めたその姿に、マリナが小さく息を吐く。
王子は自分が乗ってきたグルクに向かいながら、側近の言葉に耳を傾ける。
「やはりティルクでしょうか?
しかし、後続隊を襲う意味がわかりませんが。
王子のお命を狙うとしても、王子はまだお若く、何かに影響をもたらすとは思えません。」
「うむ…… フレデリクにはトーケルがついている。
あれの判断に誤りがあったことは無い。無事であればいいが。」
何が目的で、何があったのか良くわからない。
後続隊は1000近くの兵がいる。
戦いは激しくなるはずだ。
なのに、連絡の1人も来ない。
「不可解なことが多すぎる。とにかく至急出るぞ。」
「王子! 戦士長のご遺体が! 」
遠くからの声に、王子と側近が声の方へ引き返し駆けつけた。
「どこだ? 誰だって? 」
駆け寄る王子に、集まった兵が道を空ける。
それほど、誰もが知る顔だった。
「ま、まさか! トーケル?! 」
「まさか、フレデリク様は?! 」
側近が思わずディファルトの顔を見る。
彼は、フレデリク王子の守として任命された1人、しかも未熟な王子の補佐として同行した、腕に信頼の置ける戦士だ。
彼がいるからこそ、弟を任せられたというのに。
ディファルトがトーケルの傍らに行ってガクリと膝を付く。
彼が死んだと言うことは、弟もどうなったのかわからない。
死体は矢傷が多いが、死因は胸の一突きだ。
「トーケル、フレデリクはどうなったんだ?
お前が守っていたのだろう? トーケル!
一体…… 何があったんだ…… 」
ディファルトが愕然とトーケルに刺さった矢を抜く。
その矢をへし折り、薄く開いたままの目を閉じた。
『 私が、亡者の声を届けよう 』
ディファルトの横でフワフワと漂っていた光が、大きく膨らむ。
小さな子供ほどの姿で宙に浮く輝きに、ザワザワと兵達がざわめいた。
「馬鹿な、死者の声だと? そんな事が出来るはずもなかろう。」
『 我はあの世とこの世の橋渡し。
火の巫子は黄泉の管理者、死者の言葉を伝えることが出来る。
大量死では、一息に大勢の死者が訪れるから、離れた魂を結びつけるのは難しいが、彼の魂はまだ現世に留まっているようだ。
伝えねばの思いが強いのだろう。
手を貸そうぞ。
だが、良いか、一同。
声が聞こえても、行くなと、死ぬなと、引き留める言葉を言うな。良いな! 』
「わ…… かった。」
半信半疑で返事を返すと、マリナがトーケルの元へフワリと飛んで行く。
すると、1人の兵が前に立ち塞がった。
「王子! 騙されてはなりません!
きっと、これは悪霊の類いです。戦士長のお身体を汚そうとしているのだ!
そんなことさせるものか! 」
1人が声を上げたことで、数人が前に駆けてくる。
ワケのわからない術を使って、死者を汚そうとする者から、決死の覚悟で守ろうとするその行為に、マリナが立ち止まると微笑んでうなずいた。
『 わかるぞ、お前達のその気持ち。
だが、今は急ぐのだ。行方の知れない王子の命に関わる。
汝、戦士トーケル・ブロムダールよ、この世の狭間から述べよ。
記憶の片鱗を明かすがよい!
我は黄泉の管理者火の青の巫子、汝の声の顕現を許可する! 』
声高らかに、マリナが狭間に届く揺らぎの声で告げる。
トーケルの胸にポッと青い火がゆらめき、そしてその火が大きくなると声が聞こえてきた。
「ま、まさか…… 」
その場にいた一同が、身体が震えるほどの寒気を感じた。
一瞬力を失ったように、ガクリと膝を付く。
見てはいけないものを見たように、トーケルの胸の青い炎から目が離せない。
やがて、ささやくような声が聞こえてきた。
『 どうか…… どうか…… 王子を…… 誰か…… 』
すすり泣くようなその声は、間違い無くトーケルの声で、生前の力強い声とは打って変わってか細い。
ディファルトは使者の声を聞くと、戸惑うように声をかけた。