542、まずは肩書きをもらわねば
まだ国内の森の中の道を、兵が連なり進んで行く。
ほとんどが徒歩のために全身に鎧を着けている者は少なく、胸当てと剣と盾、そして旅道具の装備品がガチャガチャと音を立てる。
ケイルフリントには、この世界で大型のネコの姿をしたミュー馬が多く生息しているので、馬も50頭ほど見える。
だが、どこか疲れて見える兵達には士気も低く、無謀な計画だという事は下々にもわかりきっているようだった。
それでも、兵をまとめる兵長たちは出発前に集められて、ディファルト王子にくれぐれもと頼まれた王子だけは守る覚悟で、小さな馬車に乗った王子を中央にして、自分たちを奮い立たせていた。
小振りの馬車に揺られ、薄暗い中で4人の側近に囲まれながら王子フレデリクが顔を覆う。
周囲にひびく、兵の足音に包まれ時折強い風に森の木々のざわめく音が心を乱す。
「ご気分が優れませんかな? 」
対面の座席に3人で座り、向かいに座る戦士隊長のトーケルが腕を組んでのぞき込んだ。
王子は側近の騎士2人に挟まれて座り、ため息付いて顔を上げる。
向かいの小窓の灯りは日影側で、まだ16才になったばかりの若い王子の顔が陰って見えた。
「ごめん、大丈夫だ。考え事してた。食料が足りない分はあとで補給が来るんだよね? 」
「はい、補給は滞りなく来ると聞いております。
国境で関を落とす予定の先発隊と合流しますので、問題はないかと。」
「そうか…… もし、 関が落とせなかったら? 」
「アトラーナ側の人員は少ないものですので、砦のあつらえは立派ですが、数で押し切ることが出来ましょう。そのための先発1500でございます。」
王子が小さくため息を付く。
アトラーナの人は、自尊心が高い人ばかりだった。
きっと反撃は来る。怒り狂ってどんな目に遭うか恐ろしい。
「それが開戦の知らせとなってしまうんだね。
僕は、怖い。僕はアレクシスのように捕らえられたら死んでしまう。」
「我らがお守りします。どうかご安心を。」
「わかってるんだ。
こんな士気の下がることばかり言ってはいけないって。
僕は臆病だから、こんな戦いなんて向いてない。でも、父様は僕にばかり色々押し付けてくる。
ディーは庇ってくれるのに、父様はディーの言う事なんかちっとも聞かない。
本当に…… 」
息を吐いて顔を上げると、パンッと両手で頬を叩く。
そしてニッコリした。
「うん、くよくよしても仕方ないね。
ディーは、でも何か他に考えがあるようだった。
父がなんと言おうと、僕はディー兄様をお支えして頑張る。
僕は逆立ちしたって兄様には敵わない。
でも、父様との間を取り持つことなら出来る。
兄様と父様の間にある溝を埋める為にも頑張らなきゃ。」
「おお! その意気でございます。」
トーケルが力づけるように、満面の笑みで大きくうなずく。
左右に座る側近の騎士も、チラリと目を合わせて小さくうなずいた。
マリナが一階の部屋のソファに座り、窓から作業をする男や女たちの姿を見ながら白湯を飲む。
部屋は客人用だけに、家具のあつらえも良く壁には白木の良いものが使ってあり明るく、視線を上げると小鳥と遊ぶ精霊の絵の小振りの青いタペストリーが飾ってある。
良い絵柄で、見ているだけで心が安らぐ。自分でこの部屋がいいと決めた。
隣の寝室のベッドは広く、身分の高い来客に使われるのだろう。
赤と二人で寝ても、ゆったりしてなかなか住みやすい。
それにしても、こんな部屋が一階にあるのは珍しい。
そう言うと、日帰りの来客はほとんどこの部屋を使うらしいので、使い勝手が優先なんだろう。
まあ、謁見の間があれでは、しばらく来客もないだろうが。
外からの声に、ふと顔を上げて窓を見る。
城は戻ってきた下働きの者達が戦いのあとの残骸を片付け、原状復帰に忙しくしている。
それまで作業していた兵達は、戦支度を急遽強いられながらも時々威勢のいい声が聞こえてくる。
士気は十分に上がっていた。
『 赤、今どこ? 』
心で話しかける。
眠っていなければ、すぐに返事が来る。
『 えーーーーっと、どことは説明が難しいですねえ 』
目を閉じて、リリスの見ているものを見る。
遠く見える山の形と近くに大きな湖が見えてきた。
『 わかった、ベスレムの端っこだ。
出るまでにライアは気がついたの? 』
『 まだですね。 何かありました? 』
『 うん、そうだね。ケイルフリントって知ってる? 』
『 え〜、確か北にあるお隣の国ですよね。母上が貴族の方に3枚ものの美しい透かし模様が入った木製の衝立を頂いた事があるんですが、たいそう立派なものでしたね。
フェリア様が…… 妹が透かしを破壊して3枚が2枚になりましたけど 』
『 あ〜、居間にあった中途半端な大きさのあれか〜
あれ、3枚だったんだな。おてんばめ 』
『 で? ケイルフリントがなんです? 』
なんです?って、わかってるくせに聞くんだから意地悪だな。
『 そうだな〜、赤は人の戦いに手を貸すことどう思う? 』
『 そうですね、仲介は巫子の仕事ですが、今の我らは胸張って、私は巫子ですって言えませんよね。立場的に弱いです 』
『 じゃあ、王が認めたら手を貸すの? 』
『 人の戦いにむやみに首を突っ込むなって、先々代には言われてるので。どうでしょうねえ。
人間には誰しも裏がある。それが出るのは命をかける戦いの中だと。
巫子が出るのは最後の最後にせよって 』
「 ふう〜〜〜ん 」
飲み干してポットを指さすと、ゴウカがスッと湯を注ぐ。
その湯の中に、小さな、何の虫かわからないほど小さな小虫が一匹混ざって流れ込んだ。
「 !! 」
ゴウカが声を殺してうろたえる。
何度も確認したのに、いつ入り込んだのか気がつかなかった。
「すぐにお取り替えを…… 」
マリナはそれを静かに制して、小虫をスプーンですくい取る。
ククッと笑って、フッと息を吹きかけた。
小虫が乾き、生き返って飛んで行く。
「やれ、知らぬ間に入り込む虫もいる。
さすが元王さま、人間の裏側までご存じだ。
人の戦いには油断大敵、まずは肩書きを頂きに参ろうか。」
城ではリトス、トラン、ケイルフリント各国の動きの知らせが入り乱れ、王は頭を痛めていた。
兵の数は悪霊騒ぎで逃げ出した者や死んだ者で半減し、特にランドレールが上層の男たちを狙った為に残っているのは下級の兵達ばかりで、統率が取れにくい状況だ。
兵達も近づく戦いに戦支度をしながらも、部隊を担っていた上官の行方不明に部隊の再編成には多少混乱している。
それでも、町に戻っていた兵達は国の危機を聞いて続々と城に集結し始めていた。
「王、兵が集結しております。
ですが、隊長、兵長達の行方がことごとく知れません。
いまだ貴族の行方も知れず……、騎士殿は次第に登城されていますが。」
広いテーブルに広げた地図の前で話し合う執務室には、王と一緒に避難して籠もったザレルたち騎士と、登城させなかったおかげで被害の少なかった騎士達が集まっている。
だが、貴族と戦士の姿が無い。
戦士は騎士より下の身分で、アトラーナでは下から兵士、戦士、騎士と言う棲み分けがある。
騎士は貴族の一部に分類するので、昇進には家柄などが影響する。
ザレルは若い頃は競技の枠を越える戦い方で狂戦士と恐れられたが、代々騎士の家系で血筋が良い。
なので、リリスの養子の話は度々頓挫した。
「戦士長のディオンは見つからぬのか? 」
ザレルが、何度も戦士を登城させるなと言ったのに、彼は聞き入れなかった。
「無事でいるといいが…… 」
「戦士長らしき服と装備が闘技場で見つかったと聞きましたが、生死は不明で…… 」
「ディオン・アベールの魂は黄泉にある。」
突然、マリナの声が響いた。