539、心臓会議 1
窓から差す光で明るい謁見の間を出ると、窓の無い廊下は薄暗く、燭台のロウソクの光で廊下の壁にあるレリーフの影が、その部分だけくっきりと陰影を落とし造形の複雑さがきわだつ。
木彫りの彫刻は、この国得意の装飾技術だ。
だが、その職人も、最近は数を減らして存続が怪しいとさえ聞く。
職人は国の宝だ。だが、それもこの国は守り切れない状況になっている。
廊下に立つ兵がキリリと背筋を伸ばし、王子の姿を見ると緊張する。
「やれやれ、どうしたものかな。機嫌は最悪だ。」
廊下に出て、王子が小さくため息を付く。
その理由は容易にわかる。
後発隊と共に旅だった後妻との息子、フレデリクが心配なのだ。
腹違いの弟は、まだ18才。戦いなど一度も出たことが無い。
だからこそ経験を付けさせると戦いに長けた補佐を付けて送り込んだが、どうしても捕虜になった前王の息子のことがちらつくのだろう。
だから俺が行くつもりだったのに、手柄を横取りするつもりだろうとかなんとか言って蹴られてしまった。
馬鹿馬鹿しい、勝手にしろ。
フレデリクの不安そうな顔が目に焼き付いている。
ティルクはまず2000を送ると言ってきたが、それを国内へ入れる危険性も高い。
裏切らないと言う保証も無い。
国境守備隊にはティルクが我が国を渡る時は西の端を通せと指示をしたが、それに従うかどうか。
父の判断が甘すぎてイライラする。
正面に飾ってある鎧をゴンと叩いても手が痛いだけだ。
痛みに手を振って歩き出すと、数人があとを追うように出てきた。
「鎧に八つ当たりですかな? 」
笑って壮年の騎士のエドガーが横を行く。
「八つ当たりなら鎧の頭は真っ二つさ。さて、どう動いたものか。」
剣の柄に手を置き、後ろから来る足音に耳を澄ませる。
続々増えて行く自分の後ろにいる者達は心強い。
「このままティルクと手を組むのが最良だとは思えないのだがね。」
「信用出来る相手ならいいのですが。アレクシス様もどうしていらっしゃるか…… 」
「まったくだ。」
いや、そもそもティルクは本当に手を組む気があるのか。
父にすり寄るティルクの第2王子バルザールには、下心が見えて仕方が無い。
薄っぺらい同盟関係だ。
その証拠にいまだアレクシスを返す様子もない。
いずれこの国は、ティルクに飲み込まれてしまうだろう。
父はアトラーナ王家の首を取れと息巻いているが、次に首を狩られるのは我ら王家に違いない。
前を向いて廊下を進みはじめると、取り巻きの騎士が続々と側に来て、一人がスッと横を歩き声を潜めた。
「ベルマンはいかがしましょう。」
「そうだな、父のことだ。責任転嫁して、しつこく命を狙うだろう。
テラス商会を頼るように伝えよ。
追っ手が来るようであれば、ベスレムのフェルリーンの元へと。
生きていればいずれ戻す。あとは神に任せた。」
「は、」
王子が早足で自室へと向かう。
ふと立ち止まり、使われていない客室の部屋を指さした。
騎士の4人が中に入り、部屋の中を確認する。
隣室の控え部屋も無人だった。
「良い部屋です。」
「よし。」
王子を先頭に一行が中に入り、ドアの前に最後の2人が残る。
カーテンを閉めて、ロウソクの明かりを壁の燭台に灯す。
中では腕を組んだ王子を中心に囲い、立ち話を始めた。
「自由に語れ。情報は真偽構わず噂でも構わん。」
ぐるりと見回し、うなずく王子の一言に、皆の視線が生き生きと輝く。
彼が頻繁に開く、意見交流の場。
それは身分関係なく、忌憚のない見聞きした情報が活発に飛び交い、そして王子が素早く判断して指示を送る。
兵達の中では、密かに城の心臓会議とまで言われる重要な場。
参加する者はどんどん増えて行き、そしてその存在は王には秘密にすることが公然のルールだ。
父に振り回されながらも、それを難なくこなし、父の知らぬ所で城を動かすディファルトは、その人気も密かに王を凌いでいた。
3人が手を上げ、王子が1人を指さす。
「リトス側国境は兵を増員しましたが、ティルク隊が通る予定の西側も増援の必要があるのでは無いかという話が上がっています。
王は必要ないと仰いますが、口頭での同盟関係なので、下の者は心配しております。」
王子が怪訝な顔を上げた。
「なんだって? 西には監視の兵を送ると先週決めただろう。」
「王が破棄されました。」
「人がいない間に勝手を…… ティルクには油断するな。部隊がいつ向きを変えるかわからん。
後発隊を後ろから襲う恐れもある。
西側にはすぐに増援を送れ。
王の勝手な命令は、通達を出す前に報告せよ。」
「は、実は混乱を及ぼすので、王子に相談してからと通達を止めておりました。申しわけありません。」
「よくやった、伝えるだけなら子供でも出来る。
まだ考えて行動する猶予がある、国の安全を第一に考えて行動せよ。」
隣の者が手を上げ発言する。
「しかし、増援を送るにも兵が足りません。
やりくりしている有様で、かき集めても集団で訓練が成されていない為に十分な働きが期待出来ないかと存じます。
元老兵、傷病兵にも復帰を促し、一般市民にも入隊を呼びかけておりますが、今ちょうど農作物の増産も呼びかけているところで、人手は慢性的に足りておりません。」
「ふむ…… 西の援護隊は今から集めるのか? 」
「今、なんとか100をかき集めたところです。」
「よし、国境守備隊の、アトラーナの関への配置は最少人員のみとする。その100は補佐に送れ。
他のアトラーナ側国境守備隊を西に集結させよ。
ティルクは信用出来ない、一分も隙を見せてはならん。
王へは私から伝える。」
「は、では伝えます。」
「 次 」先ほど手を上げた2人目を指さす。
「商人から聞いた話ですが、リトスは大皇が王子の一人を連れてリトスとトランの国境付近からアトラーナに入ったようです。
ザッと見て兵5000はいたと。
ベスレムの端の草原で何らかの騒ぎが起きたようですが、伝え聞いたのみで直に見た者は無く、くわしくは不明です。」
「アトラーナの対応は? ベスレムは落ちたのか? 」
「いえ、アトラーナは静観し、隊はベスレムを素通りだとか。
恐らくは後に回したのではないかと。」
「後回しだと?? 」
それは、自分の知る大国にしてはひどく不可解な動きだった。