538、王と不仲の王子
ケイルフリントはアトラーナの北に接する小国だ。
この国は国土面積はアトラーナよりも小さく、山と森に囲まれて平地が少ない。
豊富な木材と、それを加工した商品、陶器の輸出が主な収入源だが、精霊に守られたアトラーナと違って、背後の大国ティルクと東に接する大国リトスに囲まれ、常に侵略の憂き目に遭って小競り合いが多く、あまり暮らしは豊かとは言えない。
しかも悪い事に今の王は5年ほど前に急死した兄の代わりに戴冠した王で、世継ぎだった兄王の子がティルクに人質になっていた為、突然玉座にまつりあげられて、時々判断に危うい物がある。
彼は積極的に戦って国を守っていた兄と違い、近づいてきたティルクと親密な関係を築くことで、リトスを牽制している。
小国の事と、注視しなかったアトラーナ王だったが、この状況でティルクの助言を受け、その矛先がアトラーナへ向いてしまった。
だが、ケイルフリント王は兵を送りながらも、唯一、アトラーナに気がかりを残していた。
明かり取りの窓から差し込む光が、スポットライトのように無人の中央の床を照らす。
そこにいる人々が密かにため息を付き、緻密な彫刻の飾りを施した天井に目をやり、ひときわ時間の流れをゆっくりと感じていた。
謁見の間には玉座に座る王を中央に、両側にはずらりと女性はコットンのドレス、男性は皆、詰め襟の服に腰にサッシュを巻いた民族服でひしめくように貴族や騎士たちが立っている。
特段何かがあるわけでは無い。客人も無く、王の言葉があるわけでも無く、ただただ王の機嫌取りの為だ。
王の機嫌はすこぶる悪く、ここに来ていない者をめざとく呼んでは罰を申しつけている。
名前を呼ばれ、そこにいても何を言われるかわからない。
その緊張感に、ホールはしんとして誰もが口を閉ざしていた。
このままでは不満が漏れ出しそうな気配の時、ドアが開いた。
「ベスレムよりベルマン様が戻られました! 」
「おお! 待ちわびたぞ、フェルリーンは戻ったか? 」
ベルマンが王に顔も見せず、平伏する。
フェルリーンは兄の娘だ。王には姪に当たるが、次期王妃で嫁ぐ予定の娘として接して可愛がっていたのだ。
それが突然ベスレムの領主の息子ラクリスに嫁に行くと言いだして、彼は激怒していた。
「それが、戻らぬと仰せでございます。」
「なんと! なぜ、眠らせてでも連れ帰らぬのか! 」
「申し訳ございません、直接お目にかかれること叶いませんでした。
ご自分はすでに、アトラーナの人間であると。」
王がギリギリと歯を噛みしめ、苦虫を噛みつぶした顔でベルマンを指さした。
「首をはねよ。役立たずめ。」
まわりが一瞬ざわめいて凍り付いた。
ベルマンが、愕然と頭を床に擦り付ける。
「なんと! どうか! どうかもう一度行かせてください!
今度は必ずお連れいたします! 」
「うるさい! 下がれ! 顔も見とうない! 首をはねよ! 」
戸惑って顔を見合わせる兵が、ベルマンを捕らえた。
「お待ちください、父上。
フェルリーンも、自分の判断で彼を殺める結果になったと聞いたら、ますます帰りにくくなる事でしょう。
彼ももう一度と申しております、どうか寛大なご判断を。」
青年の力強い声が部屋の隅から響いた。
一同が、サッと道を開き、そこを通って前に出る。
ケイルフリントの民特有の、豪華な白金の髪に青い瞳、まだ20を越えたばかりだというのに、精悍な姿の第一王子のディファルトが助け手を出すと、ギロリと睨んだ。
「フェルリーンは世継ぎとの婚姻を予定していたのに、それを蹴って辺境のベスレムの息子に嫁ぐという。
腹立たしい、そしてお前は、思慮も浅く甘えた事しか言わぬ。
そんな事で、この国がまとめられるというのか? なれるはずもない! 民衆は不安の中で心を乱す。
だからお前は世継ぎにはなれぬのだ。」
「父上、どうかティルクとの同盟はお考え直しください。
まだ、戦闘に入ったと連絡が来ておりません。引き返すなら今です。」
王が、ブルブルと手を震わせる。
「まだそのような事を言うか。
わしが浅はかに物事を決めたというのか、お前は! 何故父の決めたことに、反抗ばかりする! 」
気の短い王が、ティルクの王子と会談したのはつい先日の話だった。
アトラーナの城が機能していない話を聞いて、今攻めなくてどうするとそそのかされた。
もちろんティルクは援助すると。
アトラーナの地を手に入れる事は、精霊の加護を手に入れる事だ。
少なくとも、あのアトラーナ王家よりも、自分たちなら精霊とも友好的にやっていけるだろう。
「あの国を手に入れる事こそ、我が国の平安と安定を手に入れる事だ。
この大国に挟まれる我が国が、誰の人質も無く王家も安泰に出来るなら、これ以上何を望もうか。
前の戦で奪われたままの、兄の子、正統なる世継ぎアレクシスもティルクから取り戻せるのだ。」
ブルブルと手を震わせる様子に、王子が小さくため息を付く。
父が宰相であった時、いつもの小競り合いから国境を越えて攻めてきたティルクに、迎え撃つ指揮を世継ぎに執らせようと兄に提案したのはこの父だった。
後悔だ、後悔が判断を揺るがせている。
ティルクなど、半分も信用出来ないというのに。
安全圏から指揮を執る世継ぎが、急襲を受けて拉致されたと知った時の兄の嘆きが、王は忘れられない。
気落ちしたまま病は進行し、そのまま息子の顔を見ることなく亡くなってしまった。
なんとかティルクに返して欲しいとすり寄っても、元気でいるとしか返事が返ってこない。
兄の忘れ形見である彼を、家臣の誰もが自分よりも王に相応しいと思っているのはわかっている。
その焦りもあって、ティルクと手を組む事にしたのだ。
「それはわかります。ですが、我らが本当に手を組むべきは、アトラーナでは無いでしょうか?
アトラーナと手を携えれば、大国相手に…… 」
「もう良い、下がれ!
お前を見るとイライラする! 自室から出てくるな! 」
王子が大きくため息を付く。
だいたい最後はこれだ。
「我が自室はこの国の国土故、重々承知いたしました。」
「この…… ! 」
「皆持ち場に戻れ! 城の機能が止まっているのはアトラーナだけで十分だ! 」
父のかんしゃく持ちにも慣れた物で、王子が頭を下げて部屋を出てゆく。
家臣たちは同情の表情で、うやうやしく頭を下げた。