533、問われたならば、逃げてはならぬ
その夜が過ぎ、朝が来た。
疲れ果てていたレスラカーンは、ライアの手を握ったままベッドにもたれて眠っている。
血の臭いが残る部屋で、早朝から修行術師が来て部屋の前を清掃始めた。
リリスも2人の目覚める前に起きだして、ライアの様子を見にくる。
誰かがレスラカーンにも毛布を掛けていた。
術師の少年が、そっと様子を見に入ってくる。
リリスとは見知った中なので、ぺこりと頭を下げた。
「昨夜は大変だったそうで、よく息の臓をケガして生きておられますね。
さすが巫子様。」
「主様のお力のおかげですよ、湯をいいですか? 身体を拭きましょう。」
「今、持って参ります。あ……
朝の茶も、持って参りましょうか。お目覚めに。」
「そうですね、でもその前にレスラカーン様に湯浴みをさせたい物です。
この方は目が見えないのです。」
「ああ……なるほど、お付きの方も汚れておいででした。
湯浴みはいつでもできますので、お手伝いしましょう。
着替えを準備してきます。」
「はい。よろしくお願いします。」
リリスがライアの呼吸を見る。
息はしっかりしてる。
ゼエゼエと雑音が少しあるけど、大丈夫。
イルファがいてくれたから、肺に残った血を除去してくれたのだろう。
多少炎症は残るだろうけど、薬草で対応出来るはずだ。
彼女がいて良かった。
「あ…… 」
レスラカーンが目を覚ました。
目が見えないから、耳がとても敏感なのだろう。
「おはようございます。
お疲れでしょう、座ったままお休みになるのは、お身体にも良くありません。
湯浴みをして、お食事をきちんと取られてください。」
「ライアは、どうでしょうか? 」
「あとはお目覚めを待つだけです。
体力さえ戻れば、おそばに戻ることも可能でしょう。」
ほう…… レスラカーンがホッとしてライアの手を額に付ける。
「死んだら…… あとを追いたいと思いました。私はまだ弱い男です。」
はっきりと、思った事を話すレスラカーンに、リリスが背に手を当てた。
「同じですよ、誰しも弱いところはあります。それが人間なのです。
あなたにそう思われているこの方は、幸せですね。
そして、この方に大切に思われているあなたも幸せなはずです。
命を賭してもあなたを救いたいと、この方は思ったのです。
あなたはこの方の思いに、これから答えねばなりません。」
「はぁ…… まったくもって、おっしゃる通り。」
レスラカーンがうなずいて、大きく深呼吸する。
顔を上げて、思っていたことを告げた。
「わかっています。
ああ、そして、わかりました。
あなたの言葉には飾りがなく、真っ直ぐ心に響く。
あなたは気付いていないだろうが、澱みが無いのです。
それは相手にただひたすら安心感を与え、次への活力を生む。」
「え? えーと、そうでしょうか? 」
いきなり返されて、リリスがキョトンと焦った。
「リリス殿、あなたはきっと玉座に着くことを拒むでしょう。
そうであるはずだ。」
「それは、当たり前のことです。」
「いいえ、誰が玉座に着くかは重要なことです。
あなたはきっと、私を玉座にと思ったことでしょう。
でも、私はこのたびのことで、大変な失敗を犯しました。」
「いいえ、失敗などでは…… 」
「失敗です。取り返しの付かないことになるところでした。
私は目が見えないことは、些細なことだと今は思っています。
ですが、それは信頼出来る者がいてこその言葉なのです。
信頼せねば、正確なことが見えない。
宰相になりたいと、私は思っています。
だからこその、思い切った行動でした。
ですが、彼を失ったら誰の言葉を信頼すればいいのかと、私は先ほど心から盲目になったのです。
リリス殿、考えてください。
もっと真面目に。
向き合ってください。
私はあなたの言葉には誠意と力強さを感じます。
それは、すでにあなたが王道を歩いているからです。」
リリスが、ツバを飲んでレスラカーンから一歩引いた。
逃げ出したくなる言葉だった。
王道なんか、考えたこともないし、知らない。
レスラカーンが立ち上がる。
なぜか、リリスを真っ直ぐに見据えた。
「あなたは、玉座から逃げるべきではない!
王家に生まれた限り、ラクなど考えてはならぬのだ! 」
息を呑んで、レスラカーンを見る。
この人は、まさに宰相なのだと思った。
「怖いお人ですね。
しかし、王はいまだ私を子だとお認めではありません。」
「あなたはそれを、きっと裏切りに感じたことだろう。
だが、私は伯父の優しさだと思う。
なぜなら、認めた瞬間、あなたは世継ぎになるからだ。
いまだ玉座から逃げるあなたの気持ちは、当たり前のことだ。
重い責務を知っているからこそ、伯父はあなたの器を見て、あなたの意思を尊重して、と思ったことだろう。
伯父はきっと話しかけてくるだろう。
気持ちの持ちようを、聞いてくるだろう。
その時、決して逃げてほしくはないのです。
リリス殿、あなたを皆で支えます。
だから、逃げないでください。
皆、あなたを待っております。」
レスラカーンが、大きく息を吸って、椅子を探るとストンとまた座った。
「やっと、言えました。
これで、一つ肩の荷が下りた。
どなたか! 湯を頂きたい! その後、食事を頂きます! 」
大きな張りのある声で言うと、呆然と聞いていた見習いの少年が、はいっと声を上げた。
「それでは後ほど。何があったか、他の者も交えて報告を。
ああ、それは城に戻ってからの方がいいだろうか?
いや、まずはあなたにした方が早そうだ。それではあとで。」
レスラカーンは、ライアの頭を撫でて立ち上がると、手を引かれて風呂へ行った。
呆然とリリスが残されて、グルグル頭を言葉が巡る。
「え、一体今のは…… 何でしょう? 」
振り返ると、そこにグレンとオキビが現れた。
「えーーーーーー!! なんでーーっ?? 」




