526、別離の言葉
「 い、今のは、あっ、あっ…… ち、違う 」
慌ててヴァシュラムが口を塞ぎ、奇妙に歪んだ顔で笑いかける。
ひどい罪悪感に満ちて、ガラリアの顔を見るのが怖い。
地の精霊王は、男神のヴァシュラムと女神のアリアドネに別れて、地上と地下を治めていた。
日の双子神と違って、元は1つの神だ。
それぞれ独立した人格を持つが、記憶はそれぞれ許容するものを共有している。
優先権はヴァシュラムが取って、力の大半を自由に使っていた。
ここにいる自分はヴァシュラムの分かち身だった。
3年前にリトスにも地の神殿を建てないかと話を貰い、アトラーナ王には無断で建てることにしたので、巫子には、もちろんガラリアにも秘密で分かち身を置いた。
贅沢なものを建てさせ、息苦しいアトラーナを捨ててこちらへ移ろうと思ったのだ。
ガラリアには反対されることはわかっている。
だから機嫌を取る為に彼だけは巫子より地位を上げる予定で、特に力を入れて特別な部屋を用意させた。
リトスで神殿建設に集中していたので、突然、本体のヴァシュラムが何かにひどく悲しんで小さくしぼんでしまった事の理由がわからない。
本体が弱体化した力の影響は大きく、焦りを感じて計画を早めた。
だが、大皇が望んだ若返りは、この分かち身の身体を維持出来ないほどに消耗した。
ガラリアで何度も行った施術を、普通の人間にやる難しさは、分かち身には強烈だった。
消えそうになって、本体を呼んでも返事がない。
身体が欲しい気持ちは、あの悪霊のやり方がスッと頭に浮かんだ。
それが、こんな状況に転がるとは!
ガラリアのこんな顔を見る予定ではないはずだ。
何故自分はあんな事を言った。
いや、大丈夫だ、今までもこんな事はあったし、ガラリアは結局最後は私の言う事には逆らえない。
「う、ウソだ、うそだ、今のは全部ウソだ。この口が勝手に喋ったのだ。
そんな事、微塵も思ってない。
そうだ!
おどかそうと秘密にしてたのだ、リトスに豪華な神殿を建てている。
お前の部屋はそれは美しく、煌びやかだ。
美しいお前に相応しいものだ。
きっと、きっと気に入る! 」
ガラリアが、顔を押さえてうつむいたまま首を振った。
「お前を神の代理人にして、巫子よりうんと地位を上げるのだ。
今よりもっと、もっと贅沢出来る!
皆がかしずき、王のように振る舞えるぞ、素晴らしいだろう! 」
ガラリアは、何度も首を振って顔を上げる。
その顔は、悲しみに満ちて涙を流していた。
見た事もないほどに、いや、見たことがある。
そうだ、子を失ったときと同じ顔だ。
ヴァシュラムが、取り返しの付かないことに、ガタガタ震え始めた。
「さっきの言葉は無かったことにするのだ。忘れるが良い。
それで良い、ウソだ。 ウソなのだ。
私は、本当に、本当に、本当に思ってない。
お前はきれいだ、美しい。特別に美しい。
そうだ、お前は本当に、特別なんだ。
私の、私だけのものであってほしいだけなのだ。」
涙を流しながら微笑むガラリアが、白く透き通った指の背にキスしてその手を伸ばす。
ヴァシュラムが、すがるようにそれを掴もうとした。
だが手は掴んだ瞬間花となって散ってしまう。
「 あっ! 」
『 さよなら 』
「 え? えっ?! あっ!!
待て、 待てっ!! ガラリアッ!! 」
ガラリアの涙を流すその姿は、息を呑むほどに美しく…… やがて身体は花に包まれハラハラと散って行く。
「 い、いやだ、 いやだ、 イヤだ! イヤだ!イヤだ!イヤだ!
イヤだ! イヤだ! イヤだ! イヤだ!!
いやだーーー!! ガラリアーーーーッ!! 」
伸び上がった草は見る間に崩れ落ち、そこにはすでにガラリアの姿はなかった。
ヴァシュラムの顔がこわばり、顔をかきむしる。
「 ぃひいいいいいいいぃぃぃぃ…… 」
引きつった悲鳴を上げて、目からどうどうと涙がこぼれ始める。
ガタガタ身体を震わせ引きつるようにのけぞり、両手を天に伸ばすと大声を上げて泣き出した。
「わああああああああ、わああああああああああああ
わああああああああああ、あああああああああああああ…… 」
馬から滑り落ちて、地を這い泥水をかき分け、散った花をかき集める。
愛おしくてたまらないように、泣きながら泥だらけの花びらを次々と口に入れて飲み下した。
彼は、ガラリアから別離の言葉を聞くのは初めてのことだったのだ。
恐ろしいほど空虚な気持ちが胸に沸く。
ガラリアがいなければ、 ガラリアがいなければ、
いや、ガラリアは生きていればいいのではないか?
違う、 ちがう、 怖い。 怖い、 ガラリア、 ガラリア、 お前を抱かせてくれ。
お前がいないと、お前が、 おまえが、 必要なのだ。
アリアドネに呼びかける。
だが返事がない。 何度呼びかけても、繋がっている気配がない。
どういう事だ? こんな事今まで無かった。
うろたえながら、泥だらけの手を見て、沢山の人間に踏みつけられ、潰された植物たちを見る。
神気が…… 神気が消えている
人間たちの喧騒の中で、思いがけない状況に、泥水の中、呆然と座り込んだ。
振り向く大皇達が視線を上げると、ライアたちの姿は消え、水の壁から灯りが消えて高さが落ち、壁はなくなっていく。
ヴァシュラムの痴話喧嘩に気を取られている間に逃げたかとため息を付いたとき、地鳴りが轟音を立てて地が妖しく輝いた。
「なんだ? この輝きは? 大地が吠えている! 」
ゴオオオオオオ…………
『 精霊の聖地を血で汚す、 リトスの民よ、
汝らに、 わざわいを 』
リトス軍の隅まで行き渡るその暗く、重い声は、絶望的なほどにこの精霊の国でのわざわいを予言して、その全員が戦慄して凍り付いた。
「 災い? 」
「 災いだと? 」
大皇と、ヤヌーシュが目を見開き呆然とする。
兵達がその足下に駆け寄り、救いを乞うように見上げた。
兵を引くべきだという目だが、誰も声を上げられずにいる。
奇妙に静かなその周辺の外側から、ザワザワと、さざ波のように兵達の不安の声が広がり始めた。
大地を揺らし、水を巻き上げ、たった一言で簡単に戦意を喪失させる。
この想像も付かないほど強大で異様な状況は、自国は元より他の国では見たことも無い。
「これが、精霊の国か…… 」
大皇が、空を見上げて雲1つ無い空に小さく首を振る。
大量に降った水、あれは雨では無いのだと、瞬く星が教えてくれる。
間違った道を歩き始めたような気がして、ヤヌーシュを見た。
ヤヌーシュはすでに、先を歩み始めて振り返りもしない。
これまで前を行くことなどしなかった曾孫の、後ろ姿に目を閉じた。