525、きれいなからだ
ヤヌーシュに言われて、ライアの前にいた兵がハッと顔を上げた。
ひどくうろたえる姿に、大皇がククッと笑う。
「馬鹿者が。士気を下げてどうする、これは戦いなのだぞ?
クククク…… 可愛いものよ、格下げされてずっと腐っていたが、友を得て成長したか。
もう良い、兵を引かせよ。」
隣にいる側近に命令して、馬を返した。
「は、承知しました。大皇陛下の命令である! ものども引け! 」
「はっ! し、しかし捕らえることも…… 」
捕らえてどうする、ヤヌーシュの顔を潰す事もあるまい。
「よい、捨て置け。すでに王子には逃げられたわ!
アッハハハハハ! 見事なり! 精霊の国! 」
「我が命に従え! 大皇! お前から若さを奪うなど造作ないのだぞ! 」
「ハハハ! 精霊なれば契約を守れ。我はお前に服従するなど言うた覚えはない。」
言い捨てて大皇が戻り始め、残されたヴァシュラムがギリギリ歯がみする。
かがり火に照らされ小さくなる背に、思い通りにならない歯がゆさを噛みしめる。
人間は姑息だ、ならば思い知らせるしかあるまい。
「この、わしには向かうなど、どうなるか思い知らせてやる。」
力を込めて2人の背に手を伸ばした時、乗っている馬の足下がポッと緑に輝いた。
「 ま、まさか! 馬鹿な! 」
地面から草がザワザワと盛り上がり、からみ合いながら周囲に次々と花が咲く。
ツタが絡まりながらグンと伸びて、それが馬上のヴァシュラムの高さになると、そこから花芽が出て大きなつぼみが膨らんだ。
「あっ、あっ、あっ、まさか…… 」
思わず片手で顔を隠す。
つぼみは膨らんでパッと弾けると、甘い香りと共に、花咲くように精霊の姿のガラリアが上半身を現した。
「 ガッ! ガラリアッ!! 」
『 ああ、 』
イネスの姿のヴァシュラムを見て、ため息のように息を付く。
「ちっ、違うのだ! これは、一時的に身体を借りただけで…… 」
『 ああ、 なんと、 哀れなお姿 』
柔らかく緑に輝くその姿からは花の香りがあたりに満ちて、澄んだ声が、優しく響く。
輝くほどのその美しさに、人々は戦意を失いゾワゾワと鳥肌を立て、ひざまずいて戦慄した。
「お、お前が私を裏切ったからだ。お前は! アリアドネを選んだ! 」
『 あなた は、 私を、 あなたでは ないと? 』
「 断じてない!! 」
ヴァシュラムが、顔をつきあわせて泡を吹くように怒鳴りつける。
ガラリアはため息を付くと、蜂蜜のように艶やかな唇に指を当てて、悲しそうに視線を落とした。
『 寂しい、こと。 別れが とうとう 』
「わ、わ、 わ、かれ? だと? 待て、 待て、 待て、待て待てっ! 」
アワアワと言葉が出ない。
まさか、ここで別れなどと言う言葉を聞くとは思わなかった。
『 聖地に、 背を、向けた のは、 あなた 』
「 違う、違う! 」
『 我ら 精霊を 束ねる者、 虚を名乗り 眷属を 背いては ならぬ。
これは、 王と 呼ばれる者 の、 もっとも 大切な 掟 』
「だから訳を聞け、騙したわけではない! 」
『 リトス 大神、とは? はて? 』
「う…… だからそれは、わしがリトスで名乗るもう一つの! 」
『 巫子は 我らの半身、 虚を述べ 謀ったこと 無下にしたこと、
わたくしは、
わたくしは、 怒って
とても、 怒って、 おりますよ。
イネスは、 巫子は、 あなたの 私の、 半身。 あなたの 持ち物では ありません。
悪霊の やり方を 真似るなど、 子供じみた こと、 なんて 下品な 』
なにも言い返せなくなって、ヴァシュラムが次第に泣きそうになる。
ガラリアは、彼のアキレス腱だった。
「ううううーーーーー、ううううううーーー
うるさいうるさい うるさい! うるさい うるさい うるさい!
殺してやる、 殺してやるぞ! 全ての精霊共を! 」
『 ああ、 なんと、 愚かな 人間のような 振る舞い 』
「ひ、ひ、人だと?! この、わしを人だと?! 我は精霊王だぞ!
元々お前が悪いのだ! お前が! 私を選ばなかった! 」
『 あなたを 選んだ では、ありませんか。
認めない のは、 あなた 』
「私はヴァシュラムだ! アリアドネを選ぶなど! 選ぶなど! 断じて許せぬ!
ずっと、ずっとお前に良い生活を与えたのは誰だ! この私だ! 」
フウッと、ため息と共に、甘い花の香りが漂う。
『 さよなら、 私の ああ、 いいえ、 地の精霊 ヴァシュラム 』
カアッとヴァシュラムの頭に血がのぼった。
めまいがするほどの感情が渦巻き、その言葉だけは聞きたくなかった。
お前が言うのか、この私に。この恩知らずめ!
「王だ! 私は精霊王だ! 無礼なことを言うなこの、花売りが!
汚い盗賊なんぞに股を開いて、汚れたお前を今まで寵愛してやった恩を仇で返す…… 」
我に返ってバッとヴァシュラムが口を塞ぐ。
ガラリアが、手を震わせ口を塞ぎ、言いようのない顔をしてうつむく。
一番口にしてはいけないことだとわかっていた。
わかっていたからこそ、心に根深くいつも思っていた。
300年前にまだ少年のガラリアが小さな村の一貴族だったとき、小姓を断る腹いせにランドレールがした報復は、山賊に金を渡して村を襲わせ、家族を含めた村人の殺戮とガラリアの陵辱だった。
恐ろしい目に遭って、どれほど傷ついただろうと、同情したことはある。
だが、同情よりもヴァシュラムの心に沸き立ったのは、驚くほどの独占欲だった。
どうしても手に入れたくなり、山1つ半壊させて救い出した。
礼を言うガラリアは痩せ細り、美しい髪は荒れ果て、男たちに散々性で弄ばれてドレスは汚く、身体はすえた臭いがする。
すでに輝くような美しさは失われたが、自分の巫子にすえて、時々身体を弄んでみた。
抱きしめると何かを感じるのか抱き返してくる。ぎこちなく微笑む。
自分のことをどう思っているのかと、時々聞かれた。
たかだか人間が、うっとうしい。なにも思っていない。生きていればそれでいい。
抱いている途中で声を上げると、すえた臭いを思い出し、顔を背ける。
だから、大切にしようという気は、起きなかった。
ただ、どこかで執着心があり、この300年を若返らせては長らえさせた。
元気になると、美しさは取り戻した。若返るとキラキラ輝いていた頃を思い出す。
綺麗になった気がして、時々身体を抱いてみる。
だが、この白く美しく見える身体は、盗賊に汚く手をつけられた身体なのだ。
そう思うと、やはり大切にする気は起きなかった。
だが、お前を救ってやったのは私なのだ。感謝するのが当たり前だ。
お前は私の所有物だ。服従して当然だ。
なのに、
地下の聖域から出てきたガラリアが、アリアドネと1つになっていたとき、激しい衝撃を受けた。
アリアドネは、もちろん自分の分かち身だ。が、何故だ。なぜ自分を選ばない。
私に吸収されたいなら喜んで一部にしてやろう。
それがお前の望みなら。
だが、お前はアリアドネを選んだのだ。私を裏切って。
その怒りで、口は本心を吐きだしていた。