522、水の助け手
イネスではなくなったイネスの顔で、ヴァシュラムがおよそ精霊とは思えないほど醜悪に笑った。
「ク、ク、ク、良い、 良い身体だ。やはり馴染みが良い。」
サファイアが転がる石に震える手を伸ばす。
その手を踏みつけ、ヴァシュラムがいびつに笑った。
「ご苦労であった。お前だけは無事に帰してやろう。
レスラカーンの首もみやげに持って帰るがいい。」
大皇だという少年が、兵にレスラカーンを包囲せよと手を上げる。
「では、良いのだな? 」
「殺せ、アトラーナ王家は滅びるのみ。
首を落として王城に届けるのだ。
それがアトラーナ終焉の始まりだ。」
「ひどい精霊王だ。」
苦笑して手を下ろそうとした瞬間、ヤヌーシュが胸に手を当て歩み出ると頭を下げた。
「お爺さま、宣戦布告はどんな物でも代用出来ます。
どうかその見目麗しい2人を私に奴隷として下さいませ。
是非に、仕込んで外交での客人の歓待に使おうと思います。」
「 ほう、ククク、可愛いのう 」
大皇の少年が、ヤヌーシュを見下ろし頭をなでた。
「お前は相変わらず姑息な奴よ。
それで友人を救うつもりか? 」
「友人などと、思ってもおりませんが? 」
「ホ、ホ、ホ、はて? ラユールはそう、言うたがな? 」
ラユールが、 喋っただと?!
ヤヌーシュが、目を剥いてバッと後ろに控えるラユールを振り向いた。
「私は何も…… 」
驚いてうろたえるラユールに、怒りにまかせて剣を抜き振りかざす。
「 ヤヌーシュ!! 」
レスラカーンが声を上げ、その手を止めた。
「 ウソだ、踊らされてはならぬ。見抜くのだ。
壁一枚隔てても、馬車ならば会話は聞こえる。
共にある者なれば、最後まで信じるのだ。
孤立してはいけない。」
ハッとしてヤヌーシュがレスラカーンを見る。
友人だと、心を通わせたなどと、知れれば命を確実に取られると、わかっても救ってくれたのか。
私は、なんて浅はかなことを!
冷や汗を流し、手を震わせ剣を下げて鞘に収めた。
ラユールがホッと胸に手を当て、頭を下げる。
「面白うない。」
大皇がため息を付く。
寝台が側女によって老人ごと下げられ、中央に豪奢な椅子が用意された。
大皇が歩み寄り、その椅子の横に立つと、イネスの姿のヴァシュラムがその椅子に座り、足を組んだ。
ヴァシュラムが、兵達に手を上げる。
「捕らえよ。我が前でレスラカーンの首を落とせ。
これよりアトラーナ王家と水と火と風の神殿の、殺戮と粛清を開始する。
じっくりと、苦しめて殺すのだ。
最初に行う血の祝宴は、良き余興となろう。」
兵がレスラカーン一行の4人を囲み、石を持ち立ち尽くすサファイアを出口へと押しやる。
「おのれ、くっ、クソッ 」
同行した兵2人の剣先が揺れる。
その時、馬車に女の声が響いた。
『 今です! 』
ライアが腰から水筒を取り、キャップを指で弾いてバッと水をまいた。
「 サファイア殿! こちらへ! 」
サファイアが心を失ったように首を振る。
次の瞬間、まかれた水からパドルーが飛び出した。
「 レスラ様! 」
ライア達が耳を塞いで、サッと身をかがめる。
「 水月!! 」
おおおおおおおお! ウオォーーーーーー!!
短剣、水月の口から衝撃破が飛び、馬車の屋根が吹き飛ぶ。
「みっ! 耳がっ! 」
「 お早くッ! 」
「逃すなっ! 殺せ! 」
声が入り乱れて、レスラカーンを抱きかかえるようにして5人が壊れたドアから馬車を飛び出す。
外はすでに薄闇で、兵の壁が薄い場所をパドルーが水を操り先導する。
『 尊き水よ、満ちて分かち、一筋の道を作りたまえ! 』
イルファの声が響き、ザッと天から土砂降りの水が降ると、その水が輝き吸い上げるように一気に水の壁を作り1本の道が開けた。
「お早く脱出を! 」
「ありがたい! レスラカーン様! 目の前に真っ直ぐ道が開けました! 」
「 わかった! 」
レスラカーンの手を引いてライアが走り出し、前後を2人が守り一気に駆け出した。
「水月! 水は汝と共にあり、我が盾となり、我が剣となる! 」
おおおおおお!
水月が雄叫びを上げ、パドルーがメイドドレスを翻して水月で水を操る。
「うおおお! 」
ザザザザザ、 バシャーーンッ! 「 おおっ! 」
巻き上げて押し寄せる水圧は、大の男でも太刀打ち出来ない。
しかも、パドルーの操る水は、地に落ちても再び宙に巻き上げられて、容積を減らすことなく、龍のごとく男たちに向かってくるのだ。
「追え! ここは俺達が……おおおっ」
ザザザザザザザザドーーーン! 「ぎゃああーー!」
切りつける男たちを水に巻いて翻弄する。
びしょ濡れになりながら兵達が起き上がり、水の道に入ろうとするが、パドルーはその入り口に立って水を上空に集めた。
「水よ! 壁となり押しつぶせ! 」
「「 ひ! 」」
ドザーーーンッ! ザザザザザッ ドーーーンッ!
「「 わああああーーー!! 」
水が上空で一塊になると、パドルーが水月で一気にそれを落とす。
馬車の周囲一帯の兵は押しつぶされ、大量の水に溺れそうにあえいだ。
踵を返し、あとを追おうとするパドルーに地からツタが伸びて足に絡まりそれを止めた。
「 1人たりとも逃すな魔導師! 」
ボロボロの馬車の影から声を上げるヴァシュラムに命令され、馬車から吹き飛ばされたのだろう、地を這う魔導師の女がパドルーに片手を伸ばしながら、杖を取り立ち上がった。
「くっ、精霊よ集え、地よ水の魔導師を捕らえよ! 」
「捕らえるなど笑止。」
笑って水月を抜き、ヒュッと地を一閃する。
水月は短剣だ。
だが、まるで見えない長い刃があるように、ツタは切られて霧散し、魔導師は大きく息を付いて杖を構えた。
「逃さぬ。」
「地の魔導師か、よくも我が国に足を向けた。
アトラーナの精霊は、汝に力を貸すまい。」
「仕事だよ、その剣水月か。
戦士などと言われているが、お前などその剣なくしてまともに動けまい! 」
魔導師が杖に念を込め呪を詠唱する。
地面が盛り上がり、次々と3メートルはある土の巨人が立ち上がる。
「まあ! 派手な魔法! ホホ、雇い主の馬車を壊すわよ? 」
「この女! 潰せ! 」
魔導師の女が、怒りに満ちて巨人に命じた。