520、リトス大皇に謁見する
上空から見たリトスの大皇がいる大きな馬車は、大国の権威を表している。
使者に続いて降り立った時、目の前で初めて見たその馬車の存在感には驚かされた。
美しいグリーンの車体の下半分に施された繊細な彫刻は異国の雰囲気を醸し、見た事もない動物の彫刻が成されている。
四方の角には金細工の王家の意匠が輝き、4頭の白いミュー馬が引いていた。
その豊かさを見せつけるような馬車は、まるで旅行の途中のようだ。
沢山の兵が前後を守り、周囲には追っ手も見えないところを見ると、リトスと国境を接するベスレムとしては干渉しないという判断だろうか。
いや、この数では太刀打ち出来ないのだと思う。
それほど、数で圧倒して今のアトラーナではどうにも出来ないことを見せつけているのだ。
剣を交わすことも無く国境を越えて侵入し、悠々と彼らは王城を目指していた。
案内されてその馬車の前に立つ。
ライアが周囲を見回し、レスラカーンに耳打ちした。
「周囲を囲まれております。」
「だろうね。」
肌に当たる風は湿度を感じ、ひんやりして日が沈みかけてることがわかる。
パチパチと薪の燃える音がして、レスラカーンは何故、逃げられると見通しの悪い夜を選んだのかと少し考える。
馬車のドアが開く音がして、一斉にザンと整列する音が耳に響く。
逃げられるわけがない、と言うことかと、フフッと息を吐いた。
馬車の段を上ると両側の兵がカンッと槍を地について鳴らし、第3王子のアシュフォーンがにこやかに軽く頭を下げた。
「どうぞ、気を楽になさって下さい。
お爺さま、アトラーナの王弟サラカーン殿のご子息レスラカーン王子と、地の第2巫子イネス様でございます。」
中に入ると横には騎士の正装をした者が3人とギーリク、そしてヤヌーシュが立ち、正面を隔てるように紗がかかっている。
ライアが手を引き、正面を誘導して立ち一礼した。
「このたびは不躾な訪問に対して、寛大なご対応ありがとうございます。
初めてお目にかかります、レスラカーン・ギナ・レイス・アトラーナと申します。」
イネスが横で一礼した。
「初めてお目にかかります、地の二の巫子イネスでございます。」
寝台の上の、影が誰かの手を借りてゆっくり起き上がった。
足下にはもう1人の影が見える、それが巫子だろう。
起き上がって息を付くと、嗄れたような声が小さく聞こえた。
「よく、来た。 サラ カーンの 子よ。
城の、現状は、聞くまい。
汝、 命を 賭して、なにを 申す のか。」
息も切れ切れに、ボソボソと聞こえてくる。
今にも事切れそうな力の無いその声からは、今でも大国を思うがままに権勢を振るうと言う噂とはかけ離れていた。
「はい、それでは恐れながらリトス大皇陛下に申し上げます。
アトラーナは、小国ながらアトラーナ国王が全てを采配なさる国。
たとえ大国であっても、内政に干渉されるいわれはございません。
地、水、風、そして火の精霊が聖地と成し、頂の王を支えて今日まで参りました。
それは今後も支えながらも支えられ、精霊の聖地を大切に守る歴史と何ら変わりはございません。
ご存じのように、確かに火の神殿は現状ございませんが、巫子が生まれそろったことにより、つつがなく神殿は築けられましょう。
大皇陛下に申し上げます。
どうぞ! どうぞこの軍をお引きになり、これまでのように暖かくご交流を頂きますれば、我がアトラーナはこれまでと変わらず親交を結ぶ所存でございます。
今一度、どうぞ、ご再考をお願い致します。」
斜め前ににこやかに立っていた、第3王子が大きく口を開け、目を見開いた。
媚びる言葉など一切無く、驚くほどに凜とした言葉だった。
ヤヌーシュが思わず視線を外し、口を押さえる。
噴き出しそうに可笑しくて、唖然とする一同に大声で笑いそうになる。
つまり、レスラカーンは、
内政干渉は入らぬ、無かったことにしてやるからとっとと帰れと言ったのだ。
レスラカーンは目が見えない。
だからこその強さなのかもしれないな。
ヤヌーシュは静かに彼の横顔を見つめる。
大皇は返答をするわけも無く、大きく息を付くと御簾を上げさせた。
御簾の向こうはベスレム製だろう。大きく鳥が飛び交う見事なラグが敷き詰められ、低い寝台に大皇とその奥に付き添うように座る小姓の少年、そしてすっぽりと白いローブを頭からかぶった巫子が足下に座り、奥に2人の側女が立っている。
何の音なのかわからず、レスラカーンがライアを向く。
ライアはひっそりと、御簾が上がる音で、大皇と巫子が姿を現したことを告げた。
小さく、ささやくように笑う声がする。
小姓だと思ったのは、王子かもしれない。
その少年が大皇の横で立ち上がった。
「クックック、まこと楽しき事よ。
すぐに会わなかったのは意気を折るつもりであったが、少しも折れてはおらぬ。
その女のような、たおやかな姿からは想像も付かぬ剛の気を持つ王子よ。
お前は、万の剣の中央に立っていることを、よもや忘れているのでは無いのだろうな。」
「万の剣の真ん中に飛び込んだのは私ですとも、忘れなどしましょうか。
それでも、我が国の民を守る為に、私はここに立たねばならないのです。
それが王家の男子と生まれた者の務め。
今こそこの命、かけてもこの大きな万の剣の大群を、このひ弱な身体で止めて見せましょうぞ。
しかしながら、私は剣も帯同しておりません。
目も見えず丸腰で来た者を、恐れを成して殺めるなど、リトスの大皇がなさるでしょうか?
否! 否!!
ここにいる者こそ、その証人でございますれば、私はここに立っております!」
ライアとイネスが人々の顔を、そして大皇の変わらずうなだれた姿を見る。
だが、笑い出したのはやはり、その少年だった。
「クックック、なんと言う、なんと言う、豪気で姑息な。
それで我が身を守ったつもりか。
そなたは無謀という字を知らぬのか?
それでリトス大皇の刃を止めようなどと片腹痛い、なめられた物よ。
のう、我が巫子よ。」
言われて巫子が、身体を揺らして不快なガラガラにかすれた声でこちらを向いた。
「まこと、余計なこと、を。
汝が 来るとは 計算違い よ。
これまでの ように、城で震えて おれば、良いもの を。」
心から不快になるような、そんな声だった。
だが、イネスがふと何かに気がついたように顔を上げる。
「な…… んだ? 何かが、おかしい。」
巫子だと言う男の黒い口元が笑う。
「よく、来た。イネスよ、待って、いたぞ。」
イネスが息を呑んで、後ろに下がる。
サファイアが背後で、彼を受け止めた。
「どうなさったのです? 」
「なんで、 なんで、あいつからヴァシュラム様の気配がするんだ?
この腕輪は一体何なんだ? 」




