517、大皇の噂
ラクリスがフェルリーンと側近の手を借りて、ようやく身を起こし、頭を振った。
まだ何か、腹の奥底が冷えてお腹をさする。
でも、身体の震えは収まり声も落ち着いてきた。
「ひどい目にあった。やはりあんな物飲むんじゃ無かった。」
「若様、湯を沸かしています。湯浴みをされてはいかがでしょうか?」
「ああ、そうしよう、芯まで冷えてしまったよ。使者は戻られたか? 」
「はい、関を越えられました。」
ふうぅ……
大きく息を付いて、顔を上げると笑った。
「あはは…… どう? ひどい後継ぎに見えたかい? 」
周りが苦笑して、プウッと噴き出す。
「わははは! まっこと、ひどいものでしたぞ。
裸足で逃げ出したくなる次期ご城主で。」
「そりゃあ良かった。これで時間が稼げる。
無能なれば、領民に害を加えるよりも私を直接狙ってくるだろう。
それで良い。」
周りが、顔を合わせて少し心配になる。
「暗殺ですか?御館様が戻られる前に?」
「いや、恐らくは私を取り込み傀儡を狙うと思う。あわよくば幽閉だろう。
そうなると、たった300の兵しか連れていない父は戻れない。
周囲の国から狙われる現状では、本城から加勢も来ないだろうし。
だが、これで守る範囲も城下に集約出来る。
最初の判断を誤ってくれることを願うのみだ。
今後は、のらりくらりと会わずに時間を稼ごう。」
はあ〜っと、一同からため息が出る。
横からギーリクが、執事から受け取った茶を差し出した。
「で、珍しい肉とは何の肉で?」
「ああ、 ふうふう、ズズッ、 はーーーー、 美味い。」
暖かい茶を一口飲んで、息を付く。
本当に死ぬかと思った。
父にはとても言えないなと思うけど、いずれバレるだろう。
「昨日襲ってきたグリゴアをシビルが返り討ちに倒したそうでね。
羊飼いのヤークがその肉を持ってきてくれたんだ。
だからごちそうに丁度いいと思ったんだよ。」
「は〜〜〜、なるほど…… 」
熊なんて、銃も無いこの世界では滅多に捕れるものでは無い。
シビルは羊だが、興奮すると突進して、硬い頭の頭突きで倒す。
つまり、本当に珍しい肉だった。
「ああ、本当に。上手く行って良かった。
すまない、手を貸してくれ。湯に入って温まりたい。」
「温かいスープを用意して貰いますわ。」
「頼むよ。ふうぅ……
よし。
あとはレスラカーンだ。あいつは頭のいい奴なんだ。
だからきっと、無謀なことに行ったんじゃない。
賢王であった大皇の意志は絶対だと聞く、きっと話を聞いて貰えるはずだ。そう信じよう。」
窓から空を見て、願うようにつぶやく。
指が真っ赤に腫れている。
感覚は鈍くジンジン血行が戻ってきた、きっとこの後猛烈に痒くなるだろう。
苦笑して、キッと顔を引き締めた。
館を旅立ったレスラカーン達は、その後、
いまだ大皇に会っていなかった。
翌日になっても会っていないと言うより、会えないのだ。
一行は使者のあとを行き、リトスの軍を目にすると息を呑んだ。
延々と武装した人々を連ね、それに対する物資を積んだ馬車の多さ。
銃の無い世界、人と人との戦いを十分わかって準備万端に出兵したに違いない。
これは計画されたもので、急な出兵では無いのだと、ライアの見た規模を聞いてレスラカーンは思った。
彼らは、すぐに目通りが叶うと思っていたので、ずっと後ろの馬車まで下げられたときはひどく気落ちすると共に、人質扱いではと緊張が走った。
だが、大皇と共に来ていた第3王子には目通りが叶い、なんとか会うことは出来た。
王子はまだ17,8才と言ったところか、第3夫人までいて王子の多いリトスでは、各婦人から1人ずつ3人の王子が王位継承権を得て玉座争いをするのが習わしだ。
決めるのは大皇で、その大皇に付いてきたこの第3王子が今の気に入りなのだろう。
大皇は老体に無理をして同行しているので加減が悪く、馬車を準備させるので待って欲しいと言うことだった。
荷物を載せた大きめの馬車1つに軟禁され、イネスは離れた大皇の馬車を望み、ため息を付く。
一緒に来た兵が外で馬車を守る事を許されたし、食事も出してくれる。だが、身動き取れない。
馬車はいつからなのか、ここに留まっている。
外を見ると、草地のど真ん中で見つかる確率は高いだろうが、見つける確率も高い。
隠れもしない悠然とした態度が、大国の軍の大きさを物語っていた。
小窓から見ていたイネスがレスラカーンの前に、あぐらを掻いて座った。
「大皇って爺様なんだろう? 王子は孫なのか? 」
「いや、曾孫だと聞いたけど。でも私はお会いしたことが無いのだ。
何しろ、執政にほぼ関わって来なかったのでね。」
レスラカーンは国を出たことすら無い。
父が人質になるのを恐れて出さなかったのだ。
「サファイアは知ってるのか?俺も王にしか会ったことが無いんだ。」
「いえ、ほとんど御簾の向こうで寝たきりだとお聞きしています。
齢90とも、100とも言われているご老人です。
すでに寝台より離れること敵わないと伺っておりますが、それでも大皇のご意向は絶対だと。
賢王で知られ、民に慕われ国をここまで大きくした方で、権勢はいまだ変わらずと伺っております。
王子は曾孫に当たられますね。
王の父君は若くして亡くなられたと。」
「人ってそんなに長く生きられるのか。」
「人の生死の魔導は禁忌ですが、身体の時間を止めているとも聞きます。
お辛い身体を押して見えたのも、強いお覚悟がおありなのでしょう。」
「ふうん……
で、どうするんだ? このまま時間が過ぎていくのを待つのか? 」
レスラカーンは、暇を持て余すのに慣れているらしく、女達が首にかけてくれた首飾りの飾りの部分を触りながら鼻歌を歌い始めた。
クスッと笑う彼に、イネスがカッと来て隣に来ると、ドンと肘で小突く。
「お前、意外とのんびりしてるなー
もっとイライラしろよ。」
「イネス様、レスラカーン様は王族です。」
イネスにクギを刺すサファイアが、ライアに申し訳ないと会釈する。
「こんな所で王族が何だって? 王族だが王じゃない。
それを言うなら私は巫子だ。」
「またそのような。」
「サファイアはうるさい! 」
2人の会話が面白くて笑う。
レスラカーンが、大きく息を付いて顔を上げた。
「時間が過ぎているのを待っているつもりは無い。
私は、大皇が会ってくださるのを待っているだけだ。
身分の高い方には、簡単にお会い出来ないことは当たり前のことだ。
まして、この隊は王城を目指している。
殺されないだけマシだと落ち着くがよい。」
イネスが奇妙に眉を動かし、息を吐く。
「まったく、物わかりがいいところがリリとそっくりだ。
お前とは従兄弟になるのか。」
「そうらしいね、私は彼とはあまり話していないんだ。
君は付き合いが長いのだろう? 彼のこと教えてくれるかい? 」
パッと、イネスの気が晴れたように笑った。
「いいよ! もちろんだ。
僕らが会ったのはね、異界の学校だったんだ。
そりゃあ何でもかんでも珍しそうに、目をキラキラさせてね…… 」
楽しそうに、イネスがリリスのことを話し始める。
生き生きと、嬉しそうに話すその様子に、心配していたサファイアがホッとして微笑んだ。