513、領主不在のベスレム
それは、リリスたちが戦いの最中に時間が戻る。
ベスレムでは城主のラグンベルクが精鋭の騎士や戦士と魔導師、そして300の兵を連れて本城へと旅立ち、後継ぎのラクリスが披露宴を控えたケイルフリントの姫、フェルリーンと共に城を預かっていた。
ラクリスはまだ20才の若者だが、すでに父親の仕事を手伝っていたので、公務では特に支障が無い。
そこはラグンベルクも安心して任せて出立した。
連れて出た兵の数は微妙だが、悪霊退治に人間が出る幕は無いと言いきっていた。
執務室に招集をかけ、ラクリスは父親がいつも座る椅子に座り、賢者と騎士、戦士、貴族達と円卓を囲む。
栗色の柔らかにウェーブした少し長い髪を後ろに括り、顔を上げるとその整った顔はリリスにどこか似ている。
彼女の母は、王妃とは従兄弟になり近しい関係だったことが影響するかもしれない。
ただ、彼と違って背も高くスラリとした美丈夫で、領民の特に女性からは多大な人気があった。
「今日は風が無いな。」
寒いのか暑いのかわからない緊張の中で、窓を見て開いていることに気がつく。
上着を脱ぐと側近が受け取り、コートハンガーに掛けた。
「本城から連絡は? 」
「ありませんな、王が籠城なさったのが最後の連絡で。
風の館が今は頼りです。」
最近は本城から連絡は来ないが、代わりに風の館から頻繁に連絡が入る。
魔導師は年長のグレタガーラがラグンベルクに同行している物の、残った彼女の少年弟子シビルが眉間にしわ寄せ、水盤に向かって繋いで頑張ってくれる。
彼は今ひとつ会話に難ありだが、魔導には長けて驚くほどに成長していた。
「御館様は、すでに本城へ向かわれたと連絡が参りました。
依然、本城でリリス殿が悪霊と戦っておられますが、王にお会いになる手段が出来たそうです。」
「そうか! やっとお会いになられる時が来たのだな。
レスラカーンのことが心配だな、まだ連絡は無いのか?」
「いえ、まだ何も。
リトス軍を監視しているミルド隊からも連絡はありません。」
リトスはベスレムと接する隣国だ。
だからと言って、国境を越えてくる全てを把握しているわけでは無い。
だが、5千の兵を連れて堂々と越境したリトス軍は、あまりにも目立つ。
とは言えベスレムとしては、先見の予言もあり、それは当初から予想されていた。
財力も兵力もあるリトスならば、連れる兵の数は優に予想される。
ラグンベルクの残した助言は「無駄に戦う必要なし、監視を付け、目的を探り戦力を温存せよ」だった。
「リトスに動きは?」
「本隊とは別に本国から軽装の一軍がこちらに向かっていると。
数は50ほどでございます。
恐れるには及ばぬかと。」
「とうとう来るか。」
指を噛むラクリスに、賢者と呼ばれる老年の戦士のように険しい顔の老人が顔を上げた。
「ラクリス様、すぐに女子供を城の奥へ。
常人の振りをして魔導師が入り込んでいる恐れもあります。
人質に取られると動き辛うございます。」
「そうか、わかった。
女子供、戦えぬ者を城の奥へ、町には戒厳令を出せ。
城下防衛部隊に伝えよ! 先に手出し無用、関所では丁寧に対応せよ。」
「 は! 」
バタバタと、伝令が走って行く。
緊張感が一気に跳ね上がった。
たった50で何しに来るのか。
まさか、城下で殺戮などあり得ない。
ラクリスの頭の中には、最悪の情景しか浮かんでこない。
この騒ぎで戦争でも起きれば、国境のベスレムは大国相手に死者は1人や2人では済まないのだ。
整った顔が歪み、汗が、いくつもラクリスの細いアゴから落ち、恐怖に手が震える。
「若様、背筋をしゃんと伸ばされませ。
指を噛むのはおのれの不安を敵に見せることになりますぞ。」
バンと、隣にいた戦士のギーリクが大きな手で背を叩いてグッと肩を引き寄せた。
「ご、ごめん、ギー。僕はまだ修行が足りないようだ。」
「若様、汗を。」
「ありがとう、助かるよ。」
側近の青年騎士エディンがハンカチを差し出す。
神経質な彼らしく、四角がビシッと合っていい匂いがする。
なんだか気持ちが癒やされながら汗を拭いた。
「ふうむ、しかし解せませぬな。」
横で賢者が右手の杖を、何度もカンカン鳴らしヒゲをなでた。
頭髪は薄くなったが、顎から垂れる白い立派なヒゲは、頭を動かすには必要な物らしい。
「御館様が貧しかったベスレムに織物業を興してから、隣国との争いは皆無でした。
それはこのベスレムの価値を上げられたという事です。
無下に町を襲うことはしないはず。
ならば、あとは王族であるあなた様の存在でしょうな。」
「まあ、領主は常に狙われておいででしょうなあ。
賢者殿、そんなことは、わかりきってございますぞ。」
ずっとラグンベルクが本城へ行くことに反対していた、騎士のゴートが悪態をつく。
だが賢者は、落ち着いて顔を上げた。
「わしはな、リトスがなぜベスレムを無視してわざわざ遠い本城へ向かっているのかが不思議でならんのだよ。
しかも、大皇を伴ってだ。
用があるのは王であると、行動が表している。
領地を広げたいわけでも無く、我らなどどうでも良いとな。」
「ならばなぜ、こちらへ向かっているのです。」
カンッと、賢者が強く杖を鳴らした。
「50という数字は危害を加える気は無いが、兵を挙げればこの数字では済まぬと表している。
その上で居座ろうとするなら、監視であろう。」
声高らかに、賢者が言い切った。
一同から吐息が漏れる。
「面倒くさい、ああ、煩わしい。」
「監視されながらコソコソ裏で動くなど、我らにはもっとも向いておらぬ。」
ザリザリ、むさっ苦しい戦士達が、眉を寄せて無精ヒゲをさすり始める。
「そうさのう、魔導の監視は魔導で防げるが、居座られたら人質を取られることもあり得る。
死者を出せば、自然と戦いになろう。」
ハアッと、そろって大きくため息を付く。
ラクリスはストンと座り、落ち着いて傍らの冷めた茶を飲みながら、レナント公ガルシアの言葉を何となく思い出していた。
『 危機の時こそ茶を飲みメシを食って睡眠を取れ。
頭がうろたえてはろくな死に方をしないぞ。
下の者の話を聞くのは良い。だが、必ず判断は自分でやるのだ。
部下の心に後悔や禍根を残しては、上に立つ者の名折れぞ 』
ああ、あなたならば、どう判断するのでしょうね。
兵が走ってくる音がする。
気が重い。カップを置いて、皆の顔を見た。
「本当に、何もしなくていいのですかね?」
「何もしないわけでは無いぞ、若様。
何もしないという、戦略でござるよ。」
レナント出身の騎士が、ニイッと笑う。
「なるほど。」
フフッと笑う。
「戦略か。戦いは難しいな。」
笑ってうなずいたとき、ドアが開いた。