501、憎しみを募らせる
王が涙を流し、夢遊病者のように歩く。
だが、その口から語られることは、王冠の圧責から解放された、ただの親であり、人間である王からの真の言葉だった。
「わしの弟であるのに、あれの甥であるのに、ここまでするサラカーンが許せない。
あの子は赤い髪で生まれたと言うだけだ。
わしの大切な子で、王家の大切な世継ぎなのだ。
次の、 次の王になるべき子なのだ!
だから、あれが世継ぎに据えた、キアナルーサが、どうしても受け入れられなかった。
横に立つあの子が、疎ましくなった。
世継ぎだと、その言葉がどうしてもキアナに重ならない。
横に置いて王道を教えなければならぬ事は十分わかっている。
だが、そこに立つのはあの赤い髪の長男であるべきだ。
怒りは常にフツフツと胸にたぎり、キアナルーサを受け入れられぬ自分がいた。
ひどい親だ。本当に。
私は、誰も守ることが出来なかった。
誰も……
私は焦りと悲しみの中で、王を必死で演じていた。
なのに、 なのにだ! なんだ? なんなのだ? あの弟は。
目も見えぬ我が子を、宰相にだと??
私の大切な子を虐待しておきながら、我が子を宰相にだと??
何故お前は、のうのうと嬉しそうに言うのだ!
ふざけるな。 ふざけるな、
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
ふざけるな!!
私の子を返せ、 私の子を…… 私の子を!!
ああ、 ああ、
私は、 私は罪深い。」
振り向いて、滝のように涙を流しラグンベルクを見上げる。
そして、彼の袖をグイと引っ張った。
「 ベルクよ、お前の兄は……
お前の兄は、 王になるべきではなかった。 」
ラグンベルクがゆっくり首を振る。
こんな弱々しい姿など、見たくなかった。
こんな、醜い話など聞きたくなかった。
だが、兄がこれほど思い悩んでいるなど、知るよしもなかった。
冷たく、我が子さえ切り捨てる王なのだと軽蔑していた。
後ろには兵がいる。
無言で聞きながらも、この姿に失望しただろう。
だが、これが人間なのだ。
兄は今、ただ1人の親なのだ。
だが、ここまであの子を認めながら、何故認めないのだ。
サラ兄が亡くなった今でさえも。
「王よ、それほどあの子を思うのならば、何故王家復帰を許さないのだ。
見よあれを。
あなたの子は、1人戦っているではないか。」
窓から、羽の生えたライオンのような獣に乗り、魔物に向かっていくリリスの姿が見えた。
それでも、王は首を振る。
「ならぬ…… それでも、 ならぬのだ。
王などと…… 火の神殿の再興など、 許せない。」
「何故だ!なぜ?!キアナルーサは身体を失ったぞ?
他に誰が王を継ぐというのだ?!」
「王家の、
火の、 神殿を、興すという事は、
王家の失墜を意味する。」
胸を押さえ、苦々しい顔で、王家の亡霊に捕らわれたような兄に、愕然とする。
まるで、兄は、呪われているようだ……
ここまで我が子を思いながら、あの子を否定する。
ここまで愛おしく思いながら、あの子の存在を認めようとしない。
ため息を付いて、首を振った。
「だから、アトラーナには先が無いのだ。
精霊あっての王家と、何故わからんのだ石頭め。」
王が、苦い顔で唇を噛んで、王冠を取り頭に置いた。
まるで、威厳を取り戻したかのように、悲しいほどに雄々しく堂々と背筋を伸ばし、顎を上げる。
ラグンベルクを見下ろし、黒い眼で弟を見据えた。
「無礼者め、下がれ。
王家あっての精霊だ!今更何を言う!
だからお前は家を出されて養子にされたのだ。
昔から王家の決まり事、全てに反骨する!
何もわかっていない!」
「では、今の王に何が出来るというのだ。
兄よ、王冠をかぶる今のあなたは、まるで先祖の、口伝の傀儡だ。」
王が、わなわなと震えて両手を握りしめた。
腰の剣を取り、半ばまで抜く。
「兄への暴言、許せぬ。」
「許せとは言わぬ。 もう一度言う。
王よ、退位せよ。後進に道を譲るのだ。
見よ、あなたが育てずとも、あの子は1人で堂々と王道を歩いている!
レスラカーンは、王家の1人として攻め入らんとする隣国の一行へ、命を賭して説得に行ったぞ!
王よ!あなたは一体何をしているのだ!」
王が、一瞬白目を剥き後ろによろめいた。
大きく息を付き、わなわな震えている。
まるで、何かにあらがっているかのようだった。
「ま、まだ、まだ言うか。下卑た育ちの無知な子に、この冠を譲るなど出来るはずもないっ!」
とうとう剣を抜き、王がラグンベルクに向かって振り上げた。
「御館様!お下がりください!」
ラグンベルクの側近達が前に出ようとする。だが、
それを止めて、彼自身も剣を抜いた。
「正気に戻れ!兄上!!」
王が、たったひとりの弟に、悪鬼のような顔で剣を今にも振り下ろさんとする。
ザレルが足を踏み出し、身を沈め、剣の柄に手を回す。
その瞬間、
『 悪気! 消滅せしめよ!! 』
突然、リリスの声が響いた。
顔を上げた瞬間、王が振り下ろす剣をザレルが弾く。
後ろによろめく王が更に向かってきたとき、世界は突然真っ白になった。
「な!なんだ?!」
「 こっ、これは??? 」
王の足が止まり、上か下かわからない状況で上を向く。
「 何が、何が起きているのだ! 」
ビシッ!
軋む音がして、王冠が3つに割れて、ハラリと落ちた。
ゴトン、 ゴトッ! ダンッダン、ゴトゴトゴト……
冠がかけらになって転がり、
王の身体を真っ白な光が通り抜けて、真っ黒な何かがザアッと背から抜けて消え失せる。
身体中から力が抜けて、呆然と声が漏れ出た。
「 あ、あ、 ああ、 あああ、 あああああああああ」
「どうした?どうしたんだ?兄上!」
白い世界で、王が呆然と立ち尽くす。
まぶしい輝きに両手を広げて手の平を見ると、顔を覆って崩れるようにガクリと膝を折り、胸元で両手を合わせた。
「 ああ、 ああ、 光の神よ。 わが罪を、許したまえ。 」
「これは?」
ラグンベルクが周りを見回すと、皆、畏れるように地に伏せている。
「この、光は何だ?」
手を掲げ、上を向くと涙が幾筋も流れていく。
「涙?これは、リリスの力なのか?」
「いいえ、厳密に言えば、巫子が神に祈ることで、引き出した神の力。
日の巫子リリスが呼んだ、これこそ真の日の力。
赤の巫子による、世界の清浄化。
これこそ、この世界には必要なものだったのです。」
ガラリアが、白い光に溶けてしまいそうなほどに輝きながら、静かに告げた。