500、口伝に狂う王家の人々
無言で首を振る弟に、王は目を伏せ、静かに告げた。
「わかっている。お前のもう一人の兄は……
サラカーンは、死んだ。」
ラグンベルクが歩み寄る。
正面に対峙して、いつもなら膝を付くが、その気も失せた。
襟元をグッと掴み、前後に揺さぶるとギリギリと歯を剥く。
不甲斐ない、
不甲斐ない、
なぜここまで状況を悪化させたのだ。
サラ兄を殺し、王子の身体は消え失せた。
臣下は堕落し、命を落としている。
これで、これが、何が王だ!
責める言葉しか浮かばない。
責める言葉ならどれだけでも口から出るだろう。
だが、今はそんな事を言っているヒマはないのだ。
「兄よ、退位せよ。
その王の冠は、兄者には荷が重い。」
「誰に…… 誰に譲るというのだ。」
「外で戦う世継ぎが、貴様には見えぬと言うのかっ!!」
「あれは世継ぎではない、王家とは何のかかわりもない。」
「その!その、何の得にもならない口伝とやらが、この王家を歪めてきたことに何故気がつかない!
アトラーナは精霊あっての王家だ!
よもや、いまだに火の神殿再興さえ許さぬなどと吠えるか?!」
「私は王家の首長だ。
私が口伝を守らずしてなんとする。」
「それが!! それが! サラ兄を殺したのだ!!
私は知っているぞ!!
サラ兄はその口伝を守り!あれほど愛した妻さえ殺した!
レスファーナは火の巫子だったのだ!!」
王が、大きく目を見開いた。
それは初耳だった。
「馬鹿な…… 」
「私は彼女から文を貰っていた。
サラ兄に話すが、わかって貰えぬ時は後ろ盾になって欲しいと。
私は、絶対に告白してはならぬと文を出したが、心配でグルクで急ぎ飛んだ。
だが、すでに兄は彼女を殺したあとだったのだ。
何も知らぬは兄のみよ! 王が聞いて呆れる!
これ以上口伝などに振り回されるのはまっぴらだ!
盲目のレスラカーンは、母さえ失った!
父も死に、そして次代の王として仕えると決めたリリスさえ認めぬと兄者は言う!
あの子からこれ以上何を取り上げる気だ!」
王は、衝撃を受けて顔を両手で覆った。
身もだえるように身のうちに隠していた本心が、あふれるように口をついて出てくる。
頭を抱えてよろよろと弟の前を歩き出し、髪を掴むとズルリと王冠がずれて、音を立てて落ちた。
「まさか…… まさか……
ああ、 ああ、そうだったのか。だからあれほどまでに……
サラカーンが、口伝に固執し始めたのは、妻を失ってからだ。
だからこそ、あの子が生まれて執拗に殺すことを進言された。
だが、自分には殺せなかった。
どうしても。
最初の子なのだ、私の。
どんな色でも可愛くて、愛おしくて、私には殺せなかった。
どうしても手元に置きたいと願ったが、サラは聞く耳持たなかった。
サラの命を受けた刺客として赤子の前に現れた騎士を、私は妻の前で殺してしまった。
懇意にしていた騎士だった。頼りにしていたのだ。
だが、宰相の命令に背けなかったのだろう。
妻は精神に異常を来し、しばらくは正気を失った。
それでも、 それでも殺せとサラは言う。
もう、限界だったのだ。何もかもが。
家族に命を狙うものがいる中で、どうやって無事に育てるというのだ。
私はヴァシュラムに相談し、ヴァシュラムは風に預けると良いと言った。
私は精霊王の元ならば、十分な援助を送れると、王家への回復も可能だと、大切にして貰えると思い込んでしまった。
だが、サラの執着は恐ろしいまでにあの子に向いた。
監視を送り、物心つくと下男として厳しく育てよと申しつけた。
何故、そこまで年端もいかぬ子を追い詰めるのかわからなかった。
そこには憎しみさえ感じられ、咎めると見返すその目が、私さえ殺めそうに思えて恐ろしい。
サラは口伝を守ることに狂っていた。
あれは…… あの子が5つになった頃だろうか。
村の幼学校に行くと聞いて、私は成長を喜び、服や靴やカバンをあつらえるよう風に金を渡した。
暖かな上着がないというので、キアナと同じ上着を色違いで一枚密かに作らせ、着せるようにと準備した。
たった一枚の上着だが、着ている姿を思い浮かべて心が躍った。
それを着て、楽しく兄弟で遊ぶ姿を思い浮かべると微笑ましく悲しい。
一緒に育てられれば、良い兄弟となっただろう。
それでも、風の元で確かに無事に成長しているのだと、安心していた。
だが、サラはあれを魔物の子だと、村に流言を流して学校さえ行けぬようにしてしまった。
仕立屋のことを激しく問い詰められ、上着を渡すことが出来ない。
王であるのに、宰相に監視されて思うように行かぬ。口惜しい、腹立たしい。
サラはことごとく、あの子のささやかな幸せを摘み取って行く!
あの子は一体どう暮らしているのか。
心配で、風に連れられ忍んで見に行ったことがある。
あの子は厳しい老女に怒鳴られ、小さな身体で水汲みをしていた。
寒い冬に、井戸に落ちそうになりながら。
何度も何度も、井戸でつるべを引いていた。
見ていられずに、私は旅人の振りをして立ち寄り手を貸した。
ひどい身なりだった。
服は薄っぺらでいくつも繕ってある。
靴は破れて真っ赤に腫れた指が見えていた。
風がどんなに良いものを着せても、監視が古い服しか許さぬのだ。
新しい靴を与えることを許さぬのだ。
それでも、愛らしい顔で笑顔を見せて礼を言う。
だが、目の前にいても、抱きしめることも出来ない。
わしは、サラが次第に許せなくなっていった。」




