490、自分の中のもう1人のお節介
その鳥は頭のない灰の集合体で出来たグレーの鳥で、人間を2人も乗せて飛んでいること自体が不思議な光景だ。
マリナの前に来ると、バサリと大きな羽を前に羽ばたかせ、風に乗ってその場をぐるりと一回り旋回する。
「僕は、協力などしない!」
相変わらず協力的ではないルクレシアに、マリナは呆れたような顔をして肩をヒョイと上げる。
そして城を指さした。
「見よ、あの壊れた部分から見えるは謁見の間だ。
真っ黒な魔物の澱みで満たされている。
ルクレシアよ、お前が大切に思っている者は、あの怪物に飲まれてしまった。
すでに、あの魔物の一部となっている。」
ルクレシアが、バッと城に顔を向けて目を見開く。
「ウソをつくな!」
「信じたくないだろうが、わかっていたはずだ。
たとえ悪霊だろうが、不死身では無い。
闇落ち精霊などというタチの悪いものと組んだ者の末路だよ。」
片手で顔を覆うルクレシアが、あの最後の時を思い浮かべる。
「タチが、悪い? ああ、確かに……ひどい奴だった。」
あの時、一緒に、どうして一緒に逃げなかった……
僕は、恐らくこうなることはわかっていたんだ。
一緒に、 そうだ、 彼が生きている者なら、僕は自分が死んでも彼を連れ出しただろう。
でも、
でも、その先に希望なんてありはしない。
彼は、 彼は、すでに死者なのだ。
ああ、本当に腹が立つ、こんな事、自分にはどうにも出来ない。
あいつの、赤い髪の言った通りなんて、本当に ……胸くそ悪い。
「あれを倒して浄化すれば、お前の大切な者は黄泉への道を歩めるだろう。
倒さねば、見よ、あの汚泥の中で、力だけを利用される。」
「そんな事、お前にどうしてわかる。」
ハーッと、マリナが困った顔でため息を付いた。
「やれ、お前の説得は骨が折れる。
ああ言えばこう言う、千日過ぎても終わらない。
老いて死ぬまで結論は出ないだろう。
お前の言い分もいいが、私が用があるのはお前の中の者だ。
魔物には今、結界を敷いている。
ゴウカ、私に付いて来よ、森で話そう。」
リリスのあとを追うマリナの霊体に、ルクレシアが怪訝な顔で爺を振り向く。
「ねえ、爺。あいつ、なぜ空を飛べるんだろう。
だいたい、今あいつは館にいたのではなかったか?」
「坊ちゃま、あれは心だけで、肉体ではないのです。
まるで存在するように見えるのは、それだけお力が強いのでしょう。」
急にマリナに敬語を使う爺に、不安を覚える。
「爺は、僕の味方になってくれるの?」
「爺は常に坊ちゃまを影のようにお守りいたします。
ですが坊ちゃま、あなたにしか出来ない事を聞くのも、これからの障害を取り除く手かもしれません。
まるで、自分の中にもう一人がいるようだと、
坊ちゃまが、昔告げられたことがあるのを、爺は忘れてはおりません。」
「それは…… 」
ルクレシアが、胸を掴み顔を歪ませる。
身を挺しても、弱者を救う、身を売ってさえも。
ラティに十分な食事を与える為なら、恐ろしい魔物のそばにいることもいとわなかった。
それは、異常だと思う。
小さな頃からそうだった。
弱者を見ると、守りたいと強烈に思う。
何度もそれで父上とは、いさかいが起きた。
行きすぎたその行為に、自分ではどうしようもなく、抗えなかった。
それで、心が満たされた。
心を満たす為に、身体がボロボロになっても。
それが、まるでもう1人、自分ではないものが自分の中にいて、自分を支配しているような気がするとさえ思ったのだ。
まさか、本当に自分の中に、そんな異常なほどにお節介で世話焼きの者がいると?
信じられない。けど、爺が言うのももっともだ。
ああ、でも、その私の中の者は、彼は救ってくれなかった。
ランドレールは。
ルクレシアは、うなずいてマリナの背を見る。
あの真っ黒な汚泥の海の中で何が起きているのか。
なにもかもを見透かす彼にはわかるのだろう。
でも、それをはっきりと聞くことが、恐ろしいとさえ思った。
森の中に降りて、ホムラが人の姿に戻ると、リリスをそっと地面に下ろす。
ああ、と、少しホッとしたようによろめいた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、もしかしたら、一番休みたかったのは私かもしれません。」
思いがけず疲れていることに、驚いてリリスが顔を上げる。
「承知しました。」
ホムラが今度は大きなグレーの巨大な猫のような姿に変わり、横たわる。
それはこの世界の馬だ。
「さ、どうぞ、もたれてお休み下さい。」
「えっ、ホムラは本当に便利ですね。」
膝を付いてお腹にボフッともたれると、包み込むように丸くなる。
リリスがあまりの気持ち良さに、うわぁと声を上げた。
「なんて事だろう、僕はホムラといると堕落しそうだ。
でも、今は休ませて貰います。」
もふもふの毛並みに包まれて、ホムラにもたれて休む。
大きく息を吐くと、あっという間に睡魔が襲う。
そうしていると、マリナたちも降りてきた。
「赤、やっぱり君も疲れていたんだね?」
声をかけられ、ウトウトしながらリリスが目も開けられず答えた。
「ああ、彼のことはマリナに任せるよ。
私は少し休む。」
「わかった、日の神はまだ戻らないね。」
「ん、ずっと誰かを説得してる。声が遠くに聞こえるよ。」
「そう、お疲れ、赤。」
そう言った時は、もうすでにリリスは眠りについていた。
短時間でも眠った方が回復するのだろう。
彼はすでに戦い方、回復の仕方がわかっているようだ。
日の神がそばにいるとしても、よく火種が続く。
「あれ?火種が、小さな火種が見える。」
リリスの背に手をかざすと、マリナの手に赤い炎がボボッと燃える。
小さな火の精霊が、姿を現しマリナに頭を下げた。
「ああ、そう、君か。そう、原初の火というのだね?結界から付いてきてくれたのか。
良かった、赤は君が1人いるだけで随分助かっているんだ。
うん、私はいいよ、そのまま赤を助けておくれ。」
赤い炎は、ポタポタとリリスの身体に落ちて消える。
やがて羽ばたく音と共に足音を聞いて、マリナが顔を上げた。




