481、あらがう闇落ち精霊
精神体であるリリスのまとう、穏やかで眠りに誘うような光。
身体が引き寄せられ、頭を重く垂れて、もういいのだと、手を取り誘うような輝きが!
このままでは黄泉に引き込まれる!ラクに、もう十分だと心が折れてしまいそうになる。
精霊は膝を床に付き、うなだれて何度も倒れそうになりながら、この世に必死にしがみついていた。
身体が軽く、今にもキアナルーサの身体から離れてしまいそうになる。
「うう、お、おのれ、光の巫子め!」
「お前の苦しみは良くわかります。
いいえ、私などの考えが及ぶことも無いほどの苦しみがあるのでしょう。
辛く苦しいその思いなど、この世に捨てて生まれ変わるのです。
黄泉へ、黄泉へ行きなさい。
道を違えても、あなたの黄泉への道は閉ざされていない。
黄泉へ行ってラクにおなりなさい。」
リリスの甘い言葉が、更に闇落ち精霊を明るい方へと誘う。
ラクになる。
あの、美しい光の方へ歩み出すだけでラクになる。
甘い言葉に、魂が抜けそうになる。
言葉を出しても、魂の叫びと肉体の叫びが、分離して二重に聞こえた。
「やめろ!やめろ!そんな言葉で騙されるものか!!」
「明るい方へ一歩進むだけであなたはラクになる、さあ、共に参りましょう。」
王子の姿の精霊は、耳を塞いで床に額をこすりつける。
それでも、リリスの声は魂に響いて、覚悟は簡単に揺らぐ。
光の巫子は本来輪廻の巫子と言われる、黄泉を司るもの。
その声は死者に安らぎを与え、魂を黄泉へと導く。
闇落ち精霊は心が軽く浮き上がり、泣きながら必死で抗っていた。
「いやだ!いやだ! ああ! やめて!
やめて!! 私はまだ、かたきを討っていない!!」
「かたきなど、誰も望んではいない。
そうでしょう?
そこまであなたが大切に思っていた方は、あなたにかたきを討ってほしいなど、望まぬ人だ。」
「そうよ、 ああ! そうよ!!」
たとえ何百年たとうと、目を閉ざせば、容易に思い出される。
あの彼の優しい微笑みが、石を優しく包み込むその暖かさが。
あの人は、あの優しい人は、あんな殺され方をしても心に微塵も暗さなど無かった。
でも!だからこそ!!
許せないのよ!!
あの木のうろで長い長い時を生きてきて、あの人に出会い、これほど石の中にいることがもどかしいと思ったことはなかった。
小さな石の中にいる私を、あなたはいつも大切にしてくれる。
小さな、小さな私を見つけて、温かな手で包んで愛してくれた。
あなたは、沢山の書物を読んで、そしてとうとう、私を石から出せるかもしれないと言ったわ。
私はあなたと、いつか触れ合える日が来ることを願った!
願ったのに……
願ったのに……あの日……
あの男は、現れた。
私が欲しいと言って金を差し出した。
断るあの人に、男は剣を振りかざし、私を奪い取ろうとしたわ。
あの人は魔導を使い、そして私は必死で彼に力を送った。
なのに、あの剣を持つ男に、魔導は通用しなかった。
私を持って逃げようとしたあの人は、私の前で血を流し、そしてその胸には剣の先が突き抜けていた。
ああ、ああ、その光景が目に焼き付いて離れない。
憎い、
あなたを殺した人間が、見ているしか無かった自分が、この精霊の国の全てが!!
憎い!!
憎い!!!
ギリギリと歯がみして、奥歯が何本も揺らいで抜けて、口から吐き出した。
闇落ち精霊の黒い霊力が抜けて、王子の身体は腐敗が進みはじめて死臭を放つ。
「は?!まさか、王子の身体は……」
『 赤、言ったはずだよ、あれはもう生気が無いと。 』
リリスがガックリと額に手をやりうつむいた。
もう、もう、復活出来ない所まで来ている。
キアナルーサの姿が、思い出されては息を吐く。
死んではいない、生きている。そのことだけが救いだった。
『 ひどい臭いだ、急に腐敗が進み始めている。 』
「ええ、もう、土に帰るのかもしれません。」
精神体なのに、たまらない臭いにリリスが口を手で覆い、その光が落ちて行く。
初めてかいだものでは無い。
山歩きで何度も動物の死骸には会ったことがある。
だが、その臭いに慣れることなどあり得ない。
一瞬生まれた隙に精霊は立ち上がり、部屋の出口を目指して駆け出し、そして派手に転んだ。
足を見るとすでに駆けることにも耐えられないほど足は腐敗し、いや、すでに足首から先は土へと変わり崩れはじめている。
肌は土色に変わり、指が何本も土に変わって崩れ落ちた。
逃げることもままならず、目を塞いだ血もボロボロと乾いて落ちる。
かすれた声を必死に上げて、リリスに向けて罵り始めた。
「光の中にいるお前などに、何が……ごふっ、ゴホッゴホッ わかる。
奴隷巫子め!お前など、誰も認めないではないか!
足蹴にされて育った奴隷が!同胞に殺されてしまえ!」
罵るしか、もう手が無い。浄化に抗えず、槍も作れず血が乾燥して尽きて行く。
咳をすると土に変わった内臓を吐きだし、巡る血は足先から次第に固まって行く。
駄目だ、ああ、終わりの時が来た。
消える、このまま消えてしまう。
いいや、今なら間に合う。
この部屋の外には衛兵がいるはずだ。それを食えば、まだ、まだ戦える!!
ズルズル這いながら必死で出口に向かう闇落ち精霊に、リリスが指さした。
「逃げるな。」