478、アヒルの王子
目を閉じ、座っていた地の巫子アデルが、立ち上がった。
王が書物を置き、顔を上げる。
「いかがした?」
「王よ、火の巫子が戦っています。
私は行かねばなりません。しばしおいとまいたします。」
「ふむ……」
王がその古い書物を閉じて、表紙に手を置く。
「アデルよ、お前は、何者か?」
アデルがパッと目を見開いて微笑み、胸に手を当て一礼した。
その姿が緩やかに光り、巫子服から純白の精霊の着るシンプルなドレスに替わる。
黒い髪が金に変わり、身長が一回り伸びた。
王が驚き、思わず感嘆の声を出す。
その美しさはすでに、人間離れして輝いて見えた。
「おお……セレス……いや、ガラリアか。以前にも増して美しい事よ。」
「さすが、我が王。
久しくお目にかからず、このようにあざむいた姿でおりましたこと、お許しください。
思わぬ事でアデルに有事あり、私が変わって守護におりました。」
「アデルが?あれとはずっと共にいたのに気がつかなかった。
一体どうした?ケガでもしたのか?」
「あれは地龍でございました。長く生きましたが、魔物に汚されあえなく……」
「アデルがみまかったと申すか?!なんと言う事か。
そうか……残念な事だ、あれは賢く良い巫子であった。
まことに……残念な事だ。
私の知らぬ所で様々な戦いが起こり、そして大切な民が死に、大きく事が動いている。
この国が、変わるときが来たのだろう。
この国は精霊の国と言われながら、すでに精霊の国では無かった。
ガラリアよ……お前には何が起きたのだ?」
「はい、のちほどまたご挨拶に参りましょう。
ここの守りは眷属にまかせます。どうぞご安心を。」
「わかった。」
ガラリアの姿が、ゆらりと霞んで消えた。
王が立ち上がり、窓から外を見る。
そこは結界があって、普段と変わらない景色が、まるで時間が止まったように動かずそこにある。
「まるで、丸裸の王だ。
民なくして王に意味は無い。
だが、この一連の出来事で、民の心は王家から離れた事だろう。
サラカーンを失い、大切な臣下をなくし、城さえ魔物に乗っ取られ、私の存在価値はもろくも崩れた。
これは私に責任がある。
口伝に捕らわれ、精霊との糸を切り、権威ばかりを追い求めた結果がこれだ。
私には何も出来る事がないのだろうか。」
苦悩する王が、ため息を付き椅子にドサリと腰を落とした。
『 いいや、お前にも出来る事があるぞ。 』
ふわりと室内に風が巻き、セフィーリアが姿を現した。
「ヴィアンよ、大国が兵をあげて、こちらに向かわせているぞ。」
「なんだと?!」
それこそ寝耳に水の言葉だ。
信じられない顔で、驚愕して王が立ち上がった。
「兵は国境を越えようとしている。
一万の兵を引き連れているのは隠居した大皇と、そして皇太子。」
「い、一万だとっ?!」
「当然であろう。この城の異変が、近隣諸国に知れても良い時期だ。
貴族はすでにこのルランを離れ始めている。
戦士の半数は魔物に骨抜きにされ、兵も半数は魔物の餌にされて死んでしまった。
城内は至る所に死体が埋まっている。
無事なのは女たちとザレルの指示で登城をしなかった騎士達だ。
お前はザレルに度々注意していたが、お前自身はザレルの言葉に耳を貸さなかった。」
王が愕然と、思わず両手で頭を抱えた。
この状況で戦争など出来るはずもない。
あるのはアトラーナの滅亡だけだ。
「世継ぎの王子は、すでに身体を失っている。
お前はどうするのだ?」
「どういう事だ?!キアナルーサは無事なのか?!」
セフィーリアがうなずき、胸に手を当てる。
胸の中から、アヒルの姿の粘土状のものを取りだし差し出した。
王が怪訝な顔で、彼女からそれを受け取り眉をひそめる。
「これは?一体何だ?」
「消えるしか無かったこの魂を、火の巫子が辛うじて救ったのだ。
殺めようとしたお前が救われるとは、これも運命であろうな。
アヒルは動けず固まっていたが、とうとう大粒の涙を流してその顔を小さな羽で覆った。
「うう……」
「まっ、まさか?!!」
「父上……父上!ガー、申しわけありません、ガー!」
「一体……いつからなのだ?!」
「ゼブリスを、城から突き落としたのが最後の記憶ですガー
魔物に操られてガー、沢山過ちを犯しましたガー」
「馬鹿な…… 馬鹿な!
ゼブリスだと??それほど……以前から?だと?! あれは、お前では無かったと??馬鹿な!!」
すぐに気がつかなかった、そのことにショックを受ける。
考えてみれば、ゆっくり会話も交わす事など無かった。
世継ぎだといいながら、リリスと会ったあとは余計に気弱さにうっとうしさを感じて、横に置いて仕事を見せる事さえせず、遠ざけていたのは自分だ。
それが、その行動が、この子に不安を呼ぶ事などわかっていたのに。
「父上、僕の身体は、もう……駄目なんですガー、ううっ、ううっ
ごめんなさい、ごめんなさい、ガー、ガー!」
王は、まるで粘土のように柔らかいそれを、震える手で優しく抱きしめた。
「お前に責は無い、この、父が全て悪いのだ。この王たる父が。
何と、言う事だ。」
見よ、 見よ! その結果が…… これだ!!
魔物に付けいる隙を与え、私がこの子の一生を台無しにしたのだ。
この大切な二人の世継ぎを、私が!!
あまりに、私は子へ無関心であった。
「すまぬ、すまぬ……」
王は絶句して、涙を流し、あまりの不幸に胸が張り裂けそうになっていた。




