474、血判状
「 リリ……サ…… 」
震える右手を宙に伸ばす。
身体は次第に硬直しつつあり、すでに動かすことさえ困難になっている。
それでも、もう自分は玉座などどうでもいいのだ。
ルクレシアさえ、無事で生きてくれれば、それで良い。
「 私の、ルク、レシア…… 」
ルクレシアの名を語るときだけは、苦悶の顔が穏やかに変わる。
「忌々しい、血のケモノとなるがいい。」
闇落ち精霊が舌打ちして、血の槍を胸にある血判状へと打ち込んだ。
それはランドレールの胸に刺さり、血判状をつらぬいて、宰相の胸を刺し穿つはずだった。
シュウウ ……
血の槍は貫こうと宰相の胸に突き立ったまま、先からじわじわと煙となって消えて行く。
「なぜだ、なぜ刺せない?!なぜ……はっ!」
宰相の胸が、ほのかに輝いて見える。
まるで卵の殻の向こうから、卵が割れるのを防ぐように。
「まさか、なんで……どうしてお前は、そう、私の邪魔をする!」
オオオオオオ……
ウオオオオオオ…………
血判状の一滴一滴の血から、それぞれの魂が恐怖の声を上げる。
黄泉に引きずり込まれるような叫びが、深く考えず血判状に血を落とした貴族の息子たちの、心臓を掴まれているような今の状況を語っていた。
「クソッ!おのれ、どこから来た!共に刺し貫いてやる!」
闇落ち精霊が目を大きく見開いて、全力で槍に血を送る。
王子の髪を逆立てて、両手を伸ばし手から血のムチを伸ばして槍に巻き付ける。
ドクンと闇落ち精霊から大量の血が送られ、煙となった槍の先がまた形成された。
ギャア、ア、ア、ア、ア、ア…………
切っ先が血判状に食い込み、沢山の悲鳴が上がった。
闇落ち精霊がニヤリと笑い、ドクドクと槍に血を送る。
「死ね、共に死ね、お前がランドレールに食われるならば、最高の餌になる。
死ね死ね死ね死ね死ね死んでしまえーーーーー!!!」
宰相の胸に押し込む槍が、ズブリと血判状を突き抜ける。
ギャアアアアアア…………ヒイイイイイ……
死の淵でもがく声が響いたとき、その胸から一条の光が漏れた。
「まっ、まさか!!おのれ!!」
血の槍が押しては光が押し返して先を煙に変え、また槍の切っ先が形成され、煙となって、形成されることを繰り返し、闇落ち精霊と光の力が拮抗する。
「なぜだ!なぜ巫子が悪霊の中を通って出てくる!
貴様、神に仕える巫子だろう!この!」
ハッと気がついた。
光が漏れ出てくるのはランドレールの右側、浄化された半身だ。
「クククク、わかったぞ。」
闇落ち精霊がくいっと手を返し、槍を操作する。
ズズズッと血の槍が、左側へと移動した。
左半分へ移動した方から、先の欠けた血の槍が元に戻って行く。
ズブリと血判状が貫かれ、その切っ先は宰相の身体へとめり込んだ。
ギャ、ア、ア、ア、ア、ア!!いや、だ、あ、あ!!!ひ、い、い!!
無数の悲鳴が上がり、貴族の息子たちの命が強制的に剥ぎ取られて行く。
ランドレールの眠っていた右目がカッと開き、ブルブルと震えながら右手を宙に掲げた。
「 おおおおお、おおおおおおお…… 巫子よ、巫子よ!
我を、我を、我をぉぉぉ、 救い、 たまええぇ ーーー 」
「バカなことを!悪霊が巫子に救いを求めるだと??!!」
手を伸ばした宰相の右手の平の中に、光が生まれ、それが次第に大きくなって行く。
カッ!
「ギャアアッ!!」
一瞬で広がる、刺すようなあまりのまぶしさに、闇落ち精霊は両目を押さえた。
「おのれぇーーーっ!!!日の巫子めーっ!ぐあああ!!」
油断して顔を覆う闇落ち精霊が、王子の身体を瞬時に黒く染めて光を遮断した。
光の中からは手が現れ、その手が血の槍を掴む。
シュウシュウシュウ……
掴んだ所から煙を上げ、そこから血の槍が次第に形を変えて行く。
「マズい、マズいぞ。」
下がりながら闇落ち精霊がつぶやき、瞳の無い黒い目で玉座へと走った。
「 今度こそ、逃がさぬ。 」
リリスの声が響き、光に包まれたその半身が現れると、槍が光り輝き、バラリとらせんに分解してゆく。
「槍よ、血の槍よ、汝に罪は無し、我が手の中で武器となり、我が力となれ!」
ブルリと震える槍がグルグルらせんに渦巻きながら、大きく震えて宰相の胸から引き抜かれた。
抜いた瞬間、その槍はらせんが1つにまとまり、針のように鋭く銀に輝く1本の槍となる。
「浄化せよ!精霊のなれの果て!」
そしてリリスは、ドアへ急ぐ闇落ち精霊の背に向けて、思い切り投げた。
ヒュンッ! ドスッ!!
「 ギャーッ! 」
槍に右胸を貫かれたまま、つんのめって倒れ、壁際までザッと勢いよく滑って行く。
リリスはその間に、急いで血判状へ手を伸ばした。
早く、血判状を燃やさねば!
血判状は、すでに紙ではなく透明の何かに文字とそれぞれの血が移してある。
それは命とつながり、ひどく重くて指さしただけでは燃えない。
光から片手を伸ばし、上の一枚に触れると、端から火が付いて消えて行く。
もどかしいほどゆっくり燃える様に、両手を伸ばして一気に無効化しようとしたとき、バッと闇落ち精霊がリリスに手を向けた。
新たな血の槍が手の平から真っ直ぐにリリスに向かう。
「くっ!」
瞬時にリリスが横に払って蒸発させ、もう一枚の血判状に触れる。
一体何枚あるのか、重なる文字は幾重にも重なって、血は先ほど落としたように血の臭いが漂ってくる。
気持ち悪い、なんて私欲に満ちて禍々しい血判状。
血生臭さが鼻について、集中出来ない。
血に宿る私欲が渦巻き、それは昔見たことがある、ザレルが若い騎士達に託された真っ直ぐな気持ちの血判状とは、雲泥の気持ち悪さだった。