472、リリスと言葉で殴り合う
リリスが満面の笑みで道を空ける。
何だか解せない。
どっちに転んでもこいつらの思い通りじゃないか。
いや、彼に影響を与えることには手を貸したくない。
彼には夢があるのだ、歪んだ夢が。
リリスの横を通り過ぎる。
廊下に出て、指をかみ立ち止まった。
ならばなぜ、自分はここに来たんだ。
断る為に。断る為に来たんだ。
だから帰宅で間違ってない。
一歩足を踏み出す。
「宰相殿の身体は、もうご存命ではありませんでした。」
リリスがポツンと告げる。
少し驚いて足を止めた。
「バカなことを言う、僕が城を出たときには 」
「身体中血だらけで、正気ではありませんでした。
王子を乗っ取っている物から、操られておいでのようでした。」
振り向いて、リリスを凝視する。
わなわなと総毛立って目を見開いた。
バカな、
バカな、
バカな!!
「 ウソをつくな!! 」
「あなたはあの悪霊を生き物だと言った。
あなたは恐らく同志なのでしょう。あの悪霊の思う行く末を願う同志。
彼はなんと言いましたか?
玉座を得ると? 王を殺して?王家をことごとく殺して?
従わぬ者を殺して?
生きる者を食らって?
悪霊なのです。あれは数百年、怨念を育てた悪霊なのです。
過去しか見ない死者の行く末に、明るい物など何も無い。
ルクレシア様、あなたは長く家を出て、そして帰宅なされたと聞きました。
家族が健在でホッとしましたか?
それは殺された方々も同じなのです。」
「知った風なことを、偽善者め。」
何を言っても聞く気の無さそうな彼に、リリスが大きく息を吐く。
こんな個人の思惑などに付き合っているヒマは無いのだ。
「始まりは偽善でも構わぬ!
傍観することこそ真の悪行、この崖っぷちで一歩踏み出し、誰かが助かるなら喜んで進む!」
「死ぬ気も無いクセに、大きいことを言うな!この詐欺師め!」
「なんとでも言うがいい。
私は背負わねばならないのです。
取り潰された神殿を再度起こすことは、常に崖から一歩足を踏み出しているのと同じ。それでもやらねばならぬ。」
この……
苦々しい顔で、ルクレシアがリリスとにらみ合う。
「お前などに何が出来ると言うんだ。
彼は災厄の時から長らえたのだ。
巫子だと威張る奴らは、ただのうのうと贅沢して、結局は何も出来る奴がいないから、あんな事になっている!
この国は終わりだ!私のような凡人が逃げて何が悪い!」
「逃げるなら逃げるがいい!だが、あなたしか出来ないことがあるから我らは頼むしかないのだ!」
「僕はお前達には一切手を貸さない。大嫌いだ!城の権威を笠に着る奴らなど!」
「個人の好き嫌いなどむしり取れ!我らは城には認められぬ者!自分の足でこの地に立っている!
貴族などと、権威に笠に着ているのは汝の方だ!自らの姿を見て見よ!汚れ1つ無く、使用人は常にあなたにつき従う!汝の思惑はただ悪霊を庇っているに過ぎぬ!」
言い当てられて、グッと言葉に詰まった。
「う、うるさい、僕は、とにかく、僕は、彼の側に立つ。何も出来ない僕には、それしかやることは無い。」
ルクレシアの視線が泳ぐ。
こんな所で言い負けるつもりはなかった。
あの母親にだって、負けたことなどない。
ああ言えばこう言う。瞬時に僕の上を行く。悔しい、悔しい!
この赤い髪の巫子、もの凄く、もの凄く、強情の意地っ張りの、ガチガチの頭の、クソックソックソッ!!
なんて口の悪い、ずる賢い奴だっ!!詐欺師だっ!!
ギリギリにらみ合うリリスとルクレシアに、周囲は驚いて見守る。
リリスがここまで言い合うのを見るのは初めてだ。
マリナもタジタジとしながら、ハッと我に返ってルクレシアに話しかけた。
「違う、違うぞ、汝は凡人などでは…… はっ! 」
突然、マリナの髪がザワつき、辺りを見回した。
「なんだ??なにがあった??!!何かおかしい!!
何かが始まったぞ!」
「青!これは!! 何だ?何かの気配が、ザワつく! 」
「 ぎゃあああああ!!! 」
階下から悲鳴が響いた。
「エミリオ!エミリオ!!」
ミランの声が、館内に響く。
マリナが部屋を飛び出すと、廊下の手すりから階下を見下ろした。
振り返って、ルクレシアに叫ぶ。
「何が始まった?!何を聞いた?!」
戸惑うルクレシアが、突然ハッとして思い出した。
「血判状があると言っていた!」
「それだ!グレン!」
グレンが、サッとマリナを抱いて階下に飛び降りる。
リリスは、ルクレシアに詰め寄った。
「他に誰が?何か知ってることは?何でもいいんだ!
いったい誰を中心に集めてあるんだ?! 」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、確か……待ってくれ、僕もあの時は……」
あの時、王子の姿の何かは、誰かのとは言っていなかった。
前だ!もう少し前!
私を抱きながら、彼はいい餌があるのだと……
思い出せ、思い出せ!
ランドレールは?
なんと言っていた?
“ 奴らはいい餌になる、無駄にそうして血族の血を大切にしてきたからな ”
“ あの偉そうな奴らが、慌てる様はさぞ見物だろうさ。
誰って?大丈夫だ、お前の血族はいなかった。
血判状には貴族の、 ”
思い出した!
「貴族の息子だ!!」
リリスがそれを聞いてマリナの向かった方向を見る。
「駄目だ、紐が見えない。血を辿って切るしか無い。」
リリスが無言でルクレシアの肩を指さした。
自分はどこにあるとは言っていない。
だが、巫子にはきっとアザの位置もわかるのだ。
「何を……!」
ホムラがバッと彼の胸元に向け手を振り上げる。
一瞬で舞い上がったリボンタイがほどけ、下のボタンがポロリと落ちた。
動けない彼の後ろから、ホムラがサッと肩をはだけた。
そこにはランドレールが自分の血を入れて付けた蝶のアザがある。
「赤様」
ホムラがスッと横に控えて指示を待つ。
リリスの身体がまぶしいほどに輝きはじめる。
ルクレシアが戦慄して、よろよろと下がった。
「嫌だ、嫌だ!彼を消すな、消さないでくれ!頼む!」
「ホムラ!城に!」
「承知!」
カーーン!!
リリスが光の球となった瞬間、館に火打ち石の音がこだまする。
エミリオの血の道を断ち切っていたマリナが、ハッと振り返った。
「 赤!駄目だ!僕が行く! 」
「お願い!あああああ!!!い、嫌だーー!!!」
火打ち石の音を残し、リリスの光が肩へ一瞬で消えた。
ルクレシアがその反動で後ろに倒れ、爺が背を支える。
「坊ちゃま……」
「いや、嫌だ、ああ……彼を、殺さないで…… 」
ルクレシアが両手で顔を押さえ、爺の胸に泣き崩れた。