469、彼は僕を愛していて、僕は彼を愛していた、ただそれだけ
リリスは何を言っても怒らない。
怒ったら負けだと知っているのだ。
顔色1つ変えず、この年で落ち着きすぎている。
ルクレシアは、恐らくは彼が一番言われたくないだろう言葉を口にした。
「即答で否定しない所を見ると、奴隷かな?」
リリスが苦笑して、少し視線を落とす。
「やっぱり、わかりますか?うふふ、ちょっとビックリしました」
「わかるよ、その手と靴だ。
靴を見ればすぐにわかる。服は襟の色が変わってる。
親が余程のケチか親無しだ、金が無くて換えが無かった。
ご覧よ、地の巫子を。
白い服は汚れが目立つ。汗で色が変わりやすい。
なのに彼の服は古い汚れが無い。あれが本当の高貴な人間の服だ。
君は身分が急に上がって、それに追いついてない。
僕は花街で暮らしたんだ。すぐにわかる」
「花街?!」
周囲から驚きの声が上がり、爺が眉を動かした。
リリスがうなずいて、ルクレシアの手を握る。
お互いガサガサの手だった。
「ご苦労をなされたのですね。私も苦労しました。
でもそれは、無駄では無かったと思います。
良い事をお伝えいたしましょう。
苦労を重ねたことは、あーだったこうだったと、とかく語りたくなるものです。
ですが、こうしてお付きの方ができてしまった今、私とあなた様の苦労は、語る場所を選ぶのが大切なのだそうです。
そうしないと、お付きの方に思わぬ恥をかかせてしまうのだそうです。
私は恥をかいてもいといませんが、周りの方が顔を背けてしまうのは気の毒でなりません。
だからね、お互い気を付けましょう。
靴と服は失敗しました。教えていただきありがとうございます。
あとで、ようく、よーーーく、洗わねば!」
神妙な顔で、何度もうなずくリリスに、思わずプーッとルクレシアが噴き出した。
気がつくと、みんな苦笑している。
「なんだろ、君可愛いね」
「ダメダメです。立派な大人だね!が目標でございます」
ルクレシアが振り向いて、爺にニッと笑った。
「すまない、自分のことしか頭になかった」
「おお、いえ、爺は若のご成長が嬉しく思います」
ハンカチ取り出して、目頭を押さえる。
爺は相変わらずだ。
「そうだ、ここに宰相殿のご子息がいらっしゃると聞いたんだけど。
先に会っておきたい」
「ご子息様は、後ほどゆっくり話を聞きたいと仰せなのですが」
「気持ちはわかる。でも、僕の知っている宰相は、すでに違う物だった。
僕が彼の父親について話せることは無いだろう。
僕はただ、渡したい物があるだけなんだ」
ルクレシアは息子と部屋でじっくり語り合う気はない。
サッと来てサッと帰る。
相手に未練を残させない、それを目処にしている。
早く帰って家族と城下を離れ、これ以上、城に関わる気は無いのだ。
コツン
レスラカーンが、杖を鳴らして廊下の影から出てきた。
唇を噛んで、ライアに手を引かれて前に出る。
「渡したい物とは?」
「あなたが、息子殿か?」
爺から袋を受け取り、手を差し出すライアが受け取る。
ライアは袋を見ると、驚いて顔を上げた。
「父君の装飾品です。王家の指輪もございます」
レスラカーンが震える手を出し、指輪を受け取る。
それを撫でて、確かめた。
「これは?何故持っている?」
「あなたの父上の身体を乗っ取っていた、ランドレールに貰ったのだ。
城を脱出するとき、これを売って生活費にせよと」
「父の身体が乗っ取られたことは知っている。だが、何故お前に装飾の全部を渡す必要性がある!」
「それは…… 」
ルクレシアが、うつむいて目を閉じる。
あの時のランドレールの姿が、手のぬくもりが、昨日のことのように思い出される。
“ 私のルクレシア ”
ああ、あなたはなんて酷い人だろう。
ほら、こうして僕は、あなたのしてきたことの後始末までやらされる。
あんな、あんな物、別れて清々したと思っていたのに。
僕は、朝が来るたびに、あなたが隣にいないことを寂しく思うのだ。
ああ、 私の、 私のランドレール
ルクレシアが、最後の口づけを思い出すように唇を指でなぞる。
頬からポタポタと、涙が伝って落ちた。
「 それは、 それは…… 言えないんだ …… 」
声が震え、泣いていることに気がついてレスラカーンが愕然とする。
指輪を握りしめ、うつむいて、そして踵を返した。
「わかった」
「レスラカーン様、よろしいのですか?」
うなずき、ライアの手を引く。そして、廊下を去って行った。
彼の潤んだ声に、これ以上を聞いては駄目だと、なんとなく思った。
それは、聞いたら自分が傷つくのだと。
彼は、彼は、恐らく、父の……
いや、父の身体を乗っ取った者の……
あんなものと? 恋仲に、 だって?!
あんな、気持ち悪い、悪意の固まりと??!!
信じられない!!
あんな物が、恋を?愛を??語っていただなんて!!
信じられない!!
身震いして、耳を覆った。