467、その場の全員、互いにムカつく
ピリピリとした雰囲気に、ルクレシアが馬車から出てきて爺に声をかけた。
「爺、僕はケガをしていない、少し驚いただけだ。
先を急ごう、僕は用を済ませて早く帰りたい」
「しかし、無礼にもほどがありますぞ」
「よい、彼らは身を守っているだけであろう。
こちらには複数の貴人がいらっしゃると聞く。
その犬を門番と考えるなら、出会ったときに問うべきであった」
「は、承知いたしました。
若様の寛大なご配慮に感謝せよ。先導するが良い」
『 感謝いたします 』
リリスがぺこりと頭を下げ、少し大きくなった犬さんの背に横向きに座り馬車の前を行く。
爺が馬車に乗ると、その後を追って馬を歩かせた。
「なんとも気味の悪いことで」
ダグラスが小窓の向こうでつぶやく。
爺が彼の後ろの小窓から、犬に乗るリリスの後ろ姿を見ていた。
リリスの姿は穏やかに輝いて、犬さんの頭を撫でると犬は嬉しそうに小走りになる。
「若様、あれは、どうも本物の巫子ように感じます」
「そう、爺が言うなら間違い無いんだね」
しばらく行くと、リリスが振り向き空を指さす。
その瞬間、彼の姿が何かをくぐるように消えた。
「な、なんだ?」
「これが結界であろう、続くのだ」
「わかった。ああ、心臓に悪いことばかりだ」
ダグラスが、胸をさすり道を行く。
するとパッと周りが明るく開け、人の気配を感じた。
「なんだ?様子が変わった」
ザワザワと、人の声が遠くから聞こえてくる。
子供が数人丘から駆け下り、笑いながら町の方角へと走って行く。
「これは!まさに強固な結界!
だが、外界から村1つ切り離すなど聞いたこともない!」
リリスの周りには子供たちが集まりはじめ、犬さんの頭を撫でる子もいる。
リリスの身体が透けて触れることができないので、子供たちはスカスカと手で透かしてキャッキャと笑い、頭を下げる大人に怒られていた。
丘に登ると、驚いたことに兵達の姿が多く、リリスに礼をしたあと貴族の馬車に軽く会釈する。
広場には建物が並び、少し離れた場所にも宿営のテントが見える。
森の近くでは、兵達が剣で組み合い訓練する姿もあった。
「ふむ、なるほど。決起を待っていると噂は本当のことでしたな」
ルクレシアが眉をひそめてシオンを見る。だが何故か、指を噛んで小さくなっていた。
「どうした?何故震えている?」
ビクンと彼を見上げる目は、それまでのシオンとはまったく違っている。
小さくなってしまったシオンに、爺がルクレシアの隣に座ると顎をさすった。
「なるほど。あなたの中にいた方が、この結界で追い出されてしまわれたか」
シオンが唇を噛んで、小さくうなずく。
そして顔を上げ、窓から館を見上げて嬉しそうに声を上げた。
「巫子が!地の巫子がいらっしゃる!」
その姿は、まるで子供だ。
余程高位の者が中にいたのだろう。すでにここにいるシオンは別人だった。
「シオン、落ち着いて座るのだ。立つと危ないよ」
「はい!ルクレシア」
にっこり、可愛らしく笑う。
苦笑してしばらくすると、館の前でゆっくり馬車が止まった。
ダグラスが、御者台を降りてドアを開ける。
爺が先に降りると、周囲を見回した。
「こちら、ダンレンド家のご子息であらせられる」
騎士や兵がその場で胸に手を当て軽く頭を下げる。
侯爵家は貴族でも最高位で、騎士や兵は頭を下げるのが礼儀だった。
「ダンレンド?侯爵家か?ご子息だって?」
ヒソヒソ話す、ここにいる誰もルクレシアの姿を知らない。
彼は登城を嫌い、ほんの数回親に連れられ挨拶に行った程度だ。
ただそれが、あること無いこと噂を呼び、素行が悪いらしいと有名だった。
騎士らしい剣を下げた者、十数人が軽く頭を下げ、先ほどの炎をまとった犬が正面に座った。
「良く、おいで下さいました」
開け放された玄関のドアから赤い髪の少年が、明るい声を上げて黒子のような白衣の2人の神官を従えて現れ、炎の犬の横に立つ。
爺の手を借り、ルクレシアが馬車から降りてきた。
怪訝な顔をして、赤い髪の少年の前に立つ。
眉をひそめ、彼の顔をのぞき込んだ。
サッと前に出ようとする神官たちを、リリスが手で止める。
「本物?」
「はい、今度は本物でございます。火の巫子の赤、リリスと申します。
先ほどは失礼致しました、ダンレンド様」
「ルクレシアでいいよ。ふうん、君が僕に会いたいって?何の用?」
「それは……」
「なんだこいつ、無礼な奴だな。
我らはまだしも、ここは風の女王の館だぞ?何故礼を尽くさぬ」
険しい顔で、横からリリスに借りた服の上に真っ白な巫子服の上着を着たイネスが現れ、2人の間に割って入った。
イネスを見るなり、ルクレシアがくすりと笑う。
「風の女王なんていないじゃないか。
百合の紋章?君は地の巫子?巫子だらけなんだな。ああ、そうだ。
偉いばかりで役にも立たない巫子様がた、はじめまして、ご機嫌よう」
ルクレシアが、胸に手を当て、片足を引き丁寧に頭を下げる。
「こいつ!」
怒るイネスに、サファイアが彼の前に出た。
周囲がピリピリと緊張する。
ここまで露骨に悪意をぶつけられたのは、久しぶりでカッと来た。
剣に手を置く兵もいて、爺がルクレシアの横に立ち、険しい顔で一同を見回す。
「無礼はどちらであるか。
汝ら、貴族に対する礼も知らぬと見える!」
圧倒的な数の兵を前にして、爺は1人一歩も引く気は無かった。




