465、次期当主の指輪
弟のフィランシアが顔を上げ、ルクレシアと目が合うと横を向いてそらした。
うつむいて、思い切ったように一歩前に出る。
「に……兄様、僕も、参りましょう。
巫子様の仰る、国を救うなどと大がかりなことを、兄様1人が背負うなどと、僕は納得出来ません。
どうして兄様が、そんな事……
それに最近の風の丘は、有象無象の集まりだと聞きます。
兄様がいじめられないか心配です」
「僕も納得はしてないよ、フィランシア。
だから、どういう事なのか聞いてくるよ。ありがとう。
いじめられたら、この巫子様の背に隠れるさ。
お前はいざという時には、父様と共に皆を無事に避難させることを考えるんだよ」
「でも……」
15の弟が、うつむいて唇を噛む。
自分が戻ることに相当葛藤があったらしいことを聞くと、ルクレシアは思わず彼の頭を撫でようと伸ばした手が止まる。
彼だけは、自分が戻っても泣き顔を見せない。
時々隠れるように避けているのを知っていた。
自分でして来た行いは、自分に返る。いましめでしかない。
弟は、自分を受け入れようとしているのだ。
気軽に触れるのはやめよう。
いや、もしかしたら……
家を継ぎたいのかもしれない。
父は自分に継ぐようにと言ったが、1人苦い顔をしていた。弟の気持ちを尊重したい。
自分の手を見て、ギュッと握った。
「行って参ります」
「うむ」
「ま!待って!」
歩き出すルクレシアのあとを、弟が追って彼の上着をギュッと掴んだ。
見上げて唇を噛み、何か言いたそうにしている。
「待って下さい、兄様」
「どうしたんだい?フィランシア。言い忘れたことがあるなら、話してごらん」
「……あの、これ、これをお返しします。僕はこれを付けるに値しない」
弟が、次期当主が代々着けていた古い指輪を中指から外す。
ルクレシアは家を出る前、密かに家を頼むと彼にこの指輪を譲っていた。
「いや、これはお前が持っていてくれるかい?
これを着けるのは、僕はまだ早い」
「いいえ、僕は兄様がいないときの代理です。
兄様が帰ってきたのに、僕がこの指輪を付ける必要は無いんだ」
苦汁を飲むような表情ばかりのフィランシアは、この中途半端な状況が苦しいのだ。
指輪が重くて仕方が無い。
兄がいるのに、まだ時期では無いと言われて指輪を返さない自分が、どう思われているか、誰の視線も怖かった。
ルクレシアが、苦々しく指輪を見る弟からそれを受け取る。
そして父に返した。
「父上、この指輪にはトゲがあるようです。
職人によく磨かせて、しばらく保管してください。
父上のお決めになった者にお渡しを。
誰にも不服など無いでしょう」
「わかった」
「兄様……」
フィランシアがポロポロ涙を流す。
痩せて色褪せて帰ってきた兄様は、堕ちて朽ちて帰ってきて、もう駄目だと思っていた兄様は、
以前とちっとも変わらない。
僕の、自慢の兄様は、
やっぱり兄様なんだ!
フィランシアが兄に飛びつき涙を流す。
ようやく肩の荷が下りた気がした。
「フィランシアは相変わらず頑張り屋さんだね。
あれはただの指輪だよ。
父上もほら、まだまだお隠れになりそうもない丈夫さだ」
「うっ、うっ、うぐっ、ひっく、ほんとだ」
美しい兄弟が、抱き合って明るい顔で父を見る。
クスクス微笑む使用人たちに父が咳払いすると、弟が父と並んで頭を下げた。
「兄様、行ってらっしゃいませ」
「うん、じゃあ、行ってくるよ」
大型の猫のような馬、ミュー馬2頭立ての馬車に乗る。
巫子と向かい合って座り、爺は隣に座った。
ガラガラ音を立てて、馬車は走り出す。
館の門まで抜ける林の中を通りながら、家を出たときの嫌な思い出ばかりが思い出される。
ルクレシアが窓に頬杖をつき、外を眺めてため息を付いた。
「みんな何でこんなに優しいんだ。
もう少し、家に泥を塗ったくらい責めて責めて、なじってくれた方が気楽なのに。
これじゃ昔と少しも変わらない。
私は薄汚い花売りをしていたんだぞ?」
クスクス、シオンが笑って身を乗り出し、向かいに座る彼の膝に手を当てる。
「だって、あなたを育てた家ですよ?
あなたそっくりではありませんか、何も不思議では無い」
眉をひそめて首を振る。
「家、家か。
どうしてあんな身分の高い家に生まれてしまったんだろう。
ああ、僕はどこに行っても、いろんな物を背負わなくてはならない。
重いんだよ、重い。
僕は普通に生きたいだけなのに」
「ホホ、何をおっしゃる。
あなたの機転の良さは、まさに家長に向いていますよ。
諦めて家長におなりなさい。
ダンレンド家は先々代から続く交易で顔が広く豊かだ。
他国との通事を取り持って、貴族として最高の侯爵まで上り詰められた。
あなたが代をお継ぎになったらその豊かさを何にお使いになるか、私には手に取るように見えますとも」
爺は無言で話を聞いている。
ルクレシアは不服そうに息を吐く。
何を話しても適当なことしか言わない巫子は、口だけは達者でイヤになる。
恐らくこれから会うその火の巫子という奴は、自分たちに手を貸せと言うのだろう。
あの小姓の子たちもみんな死んだに違いない。
巫子だと崇められても、みんな何も出来ないじゃないか。
もうまっぴらだ。
「くだらない。無力の私に何を望むと言うんだ。
もう、息をして生きているだけの私に」
彼は、色々指示されても、すべて断るつもりで風の館へ赴いていた。