450、王になる気は無いですか?
セラムが悲鳴を上げ、身体がガクリとリリスの手の中から崩れ落ちる。
リリスはあっさりと彼から悪気が抜けて、ガッカリとため息を付いた。
『 ああ、逃げられました。
さすが300年も怨念を抱えているだけあります。判断が速い 』
「赤様!何と気の短い方だ!ああ、これでバレた」
『 隠し通すなど無理なこと。ほんの少し早くわかっただけというものです 』
背後からバタバタ足音がして、近くにいた兵が集まってくる。
「魔導師の長様!こちらで悲鳴が?!これは?!」
燃える髪に驚く兵達の前で、リリスが足を地に着け実体化するとセラムの胸に手を当てた。
『 心の臓が止まっています。でも、魂は無事です。
大丈夫、今なら間に合います。
迷えし者よ、汝、川に入るべからず、生者の国に帰れ。
迷える者に火の祝福を 』
ポウッとリリスの手に火が生まれ、その輝きがセラムの身体に吸い込まれて消える。
ふうっと息を吹き返したセラムの顔が穏やかになり、ゆっくりと目を開けた。
「は……」
『 ご気分はいかがですか? 』
キョロキョロ見回して、燃える髪でのぞき込むリリスの顔を見ると、ポロポロと涙を流し震える手で手を合わせた。
「私の……声が……」
『 聞こえておりましたよ。ご無事で何より 』
「あ、ありがとう、ありがとうございます。ありがとう」
リリスがうなずき、振り返ると兵達が言いようのない表情でリリスを見る。
リリスはそうっと唇に指を立て、小さくうなずいた。
『 まだ、なのです。まだ 』
「巫子様……皆、お待ちしております」
『 はい。よく耐えておられます。もう少しお待ちください 』
「はい、あなた様のお姿が見られただけで、希望が持てました」
兵が、その場にいた者達が、急いで集まって来た者達が、皆頭を下げる。
泣き出す者もいて、皆の切羽詰まった心境がわかった。
『 皆様に火のご加護を。
よく頑張っておられます、ありがとう 』
「我らはいつでも命をかけます。
どうか、この国をお救いください。共に戦わせてください」
1人の若い兵がリリスの前に出て、胸に手を当てる。
リリスは首を横に振って、彼らに控えるよう手の平を向けた。
『 ありがとう、そのお気持ちには感謝します。
ですが、良いですか?落ち着いて聞いて下さい。
勇気あるあなた方1人1人は、大切なこの国の財産。
命を大切に、今は、危ないときは逃げるのです。
今は勇猛に戦うときではありません。
我らが対峙しているのは、人では太刀打ち出来ぬもの。
時が来たとき、あなた方のお力をお貸し下さい。
それまで待つのです。勇猛果敢なアトラーナの兵士達よ 』
ハッと、息を呑んで、一同が膝を付き頭を下げた。
下級兵士だからこそ、ランドレールは手を付けなかった彼らだ。
だが、ここまで不気味な者の徘徊する魔物の城で、それでも彼らは残ってここを守っているのだ。
目の輝きが、一瞬で変わった。
皆が顔を上げたとき、それは先鋭の兵士達になっていた。
「お待ちしています。我らが巫子よ。
あなたの為に、我らは戦うことをお誓いいたします」
『 そのお気持ち、受け取りました。感謝いたします 』
リリスがうなずき、お辞儀する。
横で、ホカゲが彼に声をかけた。
「巫子よ、先を急ぎましょう」
『 はい 』
リリスの髪が、炎を収めて赤い髪に変わる。
それは城内の誰もが知る少年。時にかたりの罪人として問い詰められようと、凜とした姿は話の種になった事もある。
ああ、やはりザレルの養子になった、あの赤い髪の少年だったのだと、兵士達は初めてその正体を目にした。
「リリス殿……巫子殿、どちらへ?我らに護衛をお任せ下さい」
「お守りいたします!」「どうか!」
守護者のいない様子に、次々と声が上がる。
だが、笑って静かに首を振った。
『 封印された仲間のところへ行くのです。
あなた方は来てはいけません。
良いですか?先ほども言ったはず。
我らにとっても、あなた方にとっても、今最善の事は来るべき時に向けて、命を、 』
「大切に、ですね?」
先ほどの若い兵が、声を合わせる。
ウフフッと笑って、リリスが浮いて見せた。
『 それにほら、私は身体を持ってきていないのです。どうぞご心配なく 』
兵達が、ホッとして顔を見合わせ笑った。
「では、我らは持ち場へ戻ります。
巫子殿、いつ何時でもご用ある時はお呼び下さい」
『 はい、承知いたしました 』
先を進み始めたリリスに、灰で追うゴウカが耳打ちした。
「 2人、付いてきます 」
『 良い、皆が好意的だとは思っていない。
今は隠す事は最小限にしなければなりません。
信用しない者を信用する者はいないのです 』
「 我が巫子よ、仰せの通りに 」
ゴウカの声が後ろに下がる。
彼をチラリとホカゲが見下ろし、フフッと笑った。
勇ましいことだ、本当に。
「王になる気は無いのですか?」
『 ありません 』
ホカゲが思わず立ち止まり、追い抜くリリスに苦笑する。
「相変わらず……即答ですね。巫子となって皆にかしずかれても、お変わりなく」
『 かしずかれる立場だからこそ、おごってはならないのです。
私の出が奴隷だと、皆が知っています。
そのような私にかしずくなど、本当は誰がしたいと思うでしょう。
王族は、王族としての誇りがあってこその王座。
下賤な私に務まるはずもないのです 』
ホカゲが首を振った。
「下賤などと、2度と口にしてはなりません。赤様」
ゆっくり振り返るリリスに、ホカゲがハッキリと口にして反論する。
「下賤な者は、巫子にはなれないのです。
たとえ身分は落とされても、あなたは心の中は気高く高貴なままだった。
だからこそ、あなたの言葉に皆は背を押され、支えられ、命をかけてもいいと口にするのです。
誰もあなたを下賤だとは思っておりません」
『 でも 』
「赤様、お慕いしております。神官一同。
そしてあなたを支えようとする皆も。お慕いしております。
誰もあなたを下にする事無く、あなたは常に我らの頭の上で輝いておられる。
それで良いのです、それが当たり前なのです、日の神の巫子よ。自信をお持ちになって下さい」
複雑な顔のリリスに、ホカゲは膝を付き彼の手を取り額に当てた。




