441、2人の母の苦行
ラティが大きく目を見開き、マリナの目を見る。
頭の中に一瞬、閃光が走り何かが弾けた。
母が、泣きながら自分を叩いて何かを言っている言葉がよみがえる。
ザッと、まるで聖水でも浴びたように、何かが洗い流された気がした。
「 出来る。ラティは…… 私は出来る 」
「出来る!! お前の手に、桶はある!! 」
「ある! 桶がある! 」
ラティが、思い切り砂に手を差し込み、グッと固まりを握った。
ザザザアアアッ!
砂の中から、それは立派な桶が、ラティの手の中に作り出された。
王とマリナが驚いて目を見張る。
ラティがその桶を持ち、傍らの川に歩み寄るとザブンと入れる。
なみなみとした水が、桶の中にたっぷりと入り、それを持って王の前に行くとドスンと置いた。
「王よ! 川の水でございます! 」
「 お、おう 」
ヴァルケンが驚いて、ラティの狼と人を足したような獣の顔を見る。
眉を動かし、それがただの暗示のまやかしなのか、目をのぞき込んだ。
だが、ラティの目は真っ直ぐに澄んだ瞳で彼を見ている。
「ふむ、お前は何者か? 」
「私は、ラティール・グレイス。心に枷を付けられた者。」
「枷とは何か?」
「母が愛した精霊の同胞に、私を孕んだ罰として、腹にいた時、心の成長を止められた。
火の巫子に出会った時、呪いを解いてやろうと言われた。
火の巫子の復活はあり得ない、だから一生母の罪を背負って生きろと」
「なんと」
マリナが、ポカンと口を開けて見ている。
「えーー、じゃあ僕のかけた暗示は? 」
「おかげで呪いが解けたようです。ありがとうございました」
「わしも火の巫子なんじゃがのう」
残念そうなヴァルケンに、マリナがニイッと笑った。
「現世と、かんけーないし〜」
「そのわりには頼られてばかりじゃが? 」
「だって、王様。先々代よ、頼りにさせていただいております」
マリナが丁寧に頭を下げる。
ククッと王が笑って、ラティの桶から水を杯にとって飲んでみた。
酒じゃ無い、ただの水だ。ガッカリする。
「しかし、この我らがその呪いに気がつかぬとはどういう事かのう」
マリナがラティの目をのぞき込み、腕を組む。
「呪いでは無く、言霊の一種かと。
自力で破れぬ事は無かったのでありましょうが、腹の中からかけられたもので、無垢な心に膨れ上がったのでしょう。
なんと罪なことをする精霊か」
マリナが大きくため息を付いて首を振る。
「あの…… ヴァシュラム様なのです」
ラティが視線を下げて、言うべきか迷いながら告げた。
「 は? 」
「地の神殿で、母が精霊との間に子ができたのでどうしたらよいのかと保護を申し入れたら、激怒されたと聞きました」
マリナたちが、またそろってポカンと口を開けて顔を見合わせる。
激怒とか聞いて呆れる。
自分は人間のガラリアを溺愛してるくせに、狭量にもほどがある。
「…… なるほど…… あの外道の精霊王ならあり得る」
「母はそんな私を育てる事がどれほどの苦行だったでしょう。
貧しさに耐えきれず、私を追い出した母は最後に残っていた一かけのパンをくれました。
あれが最後の愛情だったのでしょう。私に母を責める気はありません。
でも今は、何かとても大きな重しから解放された気分です。
これまで何も出来なかった自分から、何か出来そうな自分を感じます。
ああ、ここに来て本当によかった」
ラティが目を閉じ、手を伸ばす。
「棘よ、剣になれ」
シュッと、難なく手の平から剣が伸びて、それを振った。
「これなら武器に出来ます! 」
「いや、まだ駄目だ、お前は身体の動きが悪い。
目が覚めたら城を出て風の館へ来るが良い、騎士や戦士が山ほどいる。
手ほどきを受けるがよかろう」
「本当ですか?! ありがとうございます! 」
ラティが、見違えるほど自信を取り戻し生き生きと見える。
マリナは、凜々しいルクレシアの横に控える彼の姿が、先見の目にようやく見え始めていた。
マリナがラティを連れて戻ると、親子は砂の上に座り睦まじく話しをしていた。
だがマリナの姿を見ると、終わりの時だと悲しい顔になる。
母が立ち上がり、息子を抱きしめ背中を向けた。
「いや! イヤよ! 離れたくない! 離したくないのです! 」
涙を流し、彼女の顔が激しい感情に歪んでくる。
「私は! あなたと離れたくない!! 私が育てなくては! 私がそばにいなくては!!
守らなくては!! 」
鬼の形相で涙を流す母に、レスラカーンが頬を撫でる。
「お母様…… レスラはもう、大人なのです」
そして、母の手の中でどんどん成長して行く。
やがて、彼の背丈は母を超えて、いつもの姿にまで大きくなった。
「お母様、私はお会い出来て嬉しゅうございました。
お母様、私は、この一時を決して忘れないでしょう。
私のお母様、ずっと待っていただいて、レスラカーンは嬉しゅうございました」
母の顔が、息子の成長を目にして驚きと共に穏やかに変わる。
息子の頬を両手で愛おしく包み、優しく撫でた。
「レスラカーン、私の…… ああ、こんなに大きくなっていたのね。
お父様は、あなたを大切に育てて下さったのね」
「はい、父上は寂しゅう無いようにと心を配って、私を愛情深く育てて下さいました。
お母様の話をそれは毎日聞かせてくださって、私の身近にお母様の姿はあったのです。
お母様、私のそばにいてくださってありがとうございます。
私は、私に出来ることをして、王を支える仕事をして参ります。
お母様の残した真珠が、私の心の支えです。
あれを胸に下げて、お母様の温かな心をいつも肌身に感じています」
「ああ! 真珠! あの真珠は、私の死んだお母様から頂いたもの。
あなたもあれを身につけてくれているのね。
そう! そうなのね、うれしいわ。レスラカーン」
涙を流し、レスラカーンの手を両手で包み、そして抱きしめる。
マリナが、静かに声をかけた。
「レスファーナよ、息子の成長はお前の分身である真珠が見守っている。
安心してお前は輪廻の輪に帰るが良い。
私の目には、いずれお前達が遠い先でまた親子として出会う姿が見える。
命は何度でもやり直すことが出来る。
さあ、川が迎えに来た。
お前の息子には、沢山の力になる者が付いている。
よくぞここまで立派に成長した」
「本当に、こんなに凜々しい青年になって……
私のレスラカーン、あなたを見守っているわ。
たとえ私の魂が生まれ変わっても。私の大切な息子。愛しているわ」
砂の中から、水がどんどん染み出して、やがてそれは川になって流れ出す。
それはサラサラ移動すると、母の足下へと近くなる。
手を伸ばす母親の手を握りながら、一歩、一歩とレスラカーンが離れて行く。
「お母様、さようなら。また、お会いする日まで」
「さようなら、愛してるわ。私のレスラカーン」
母の足下に水がたどり着き、彼女の身体が沈んで行く。
手が離れる瞬間、キュッと握って彼女が手を離した。
ザザザザザザ……
小さな波が彼女を巻き込みながら、そしてゆっくりと彼女は沈んで消えた。
「ああ…… 」
レスラカーンが涙を流し、小さく息を漏らす。
マリナが、彼の手を握った。
「よく、我慢した」
「私は母を、安らかに見送りたかったのです。
ここまで待ち続ける苦行に耐えた母を」
マリナが、彼の背を力づけるように叩いて、また手を握る。
後ろで待っていたラティにも手を差し出した。
「 帰るぞ! 」
「はい」
「はいっ! 」
レスラカーンは消えて行く川を足下に見ながら、大きく深呼吸して前を向いた。




