437、小さな牽制劇
コルムの足音が遠ざかり、レスラカーンが顔を上げた。
「ライア、巫子のところへ急ごう」
「はい、何か、話が解せませんでしたね」
「きっと、父は私に話せないことがあるのだ。
それはきっと…… 、恐ろしいことなのかもしれない」
「それは…… 宰相というお立場にあれば、あっても不思議ではないのでしょう。
お聞きになって、大丈夫なのですか?」
「知らねば、弱みとなるだろう。だからこそ、巫子は悪霊の言葉を遮ったのだ。
父上はよく、自分は王の影だと仰っていた。それは、良くない仕事も多かったという事だろう」
手を取るライアが、彼の手をギュッと握る。
館に入ると、居間の方からベスレムの叔父の声がした。
彼はレスラカーンを見ても、軽い挨拶を交わすのみでほとんど声をかけてこない。
期待されていないのだと、肌で感じる。
王族は、皆そうだ。
自分が宰相を目指すと宣言したことさえ、まともに取られていないのは叔父が口にも出さないことを見ると、誰も知らせていないのだろうと思う。
まともに取られていない。
口惜しい。
自分はあれほど働けるのに。
そうだ、目が見えないことなど些細なことだと、私は教えてもらったじゃないか。
「叔父上に挨拶して祭壇の部屋に行こう」
「はい、あ、レスラ様」
レスラカーンが、声を頼りに先になって歩き始める。
ドアの前にいたベスレムの兵が、サッと彼の身体を遮りドンと肩を押した。
「その方、勝手は困る。こちらにはラグンベルク様がいらっしゃる」
その兵が知らないことに驚いて、ライアが前に出た。
考えてみれば、レスラカーンが厨房で働く姿しか見ていないのだ。
「無礼な! こちらは宰相サラカーン様のご子息、レスラカーン王子であるぞ」
「さ、宰相? これはご無礼を! 」
慌ててドアを開く兵に、レスラが気にするなと軽く手を上げる。
中でリリスと歓談しているラグンベルクに、一礼した。
「おお、レスラか。
なんだ? その格好は。働いているのか? 働けるのか? 」
何だか馬鹿にされたような気もして、ライアが一言返そうと息を吸う。
だが、横からリリスがにこやかに話しかけた。
「ラグンベルク様、レスラカーン様は厨房を取り仕切っておいでなのです。
こちらへ来られての働きは、我らの中でも一番でございます。
恐れ多いことながら、お手をかけられた料理の下ごしらえなど、皆とても助かっております。
村人にも、大変な人気を博しておいでです。我ら巫子などかすんでしまいます」
「ほう! それは凄いな。
レスラカーンよ、民草の仕事を知るのは良いことだ。
お前も宰相を目指すのであれば、ここでの経験は糧となろう。
だが、そろそろ切り上げねばならぬ。お前の父を取り戻すぞ!」
何か心がパッと晴れたような気がした。
レスラの背が、ピンと伸びて胸を張る。
「はいっ! 先ほど皆に別れを告げて参りました!
私は、叔父上の下で父上の奪還に動きます! 」
「良し! その意気だ。
お前は昔からしっかりしている、私はお前のことで憂慮したことは無い。
お前は、お前の思うことを口に出し、行動せよ。
期待しているぞ! 」
「はい! では、失礼致します」
「うむ、兵の無礼は許せよ、これらはベスレムから出たことが無い者ばかりだ。知らぬでも不思議では無い」
「あははは! 承知しております!
そのような些細なこと、レスラは小さな虫が止まったほどにしか感じませぬ。
それでは」
一礼して部屋を出るレスラを目で追い、ラグンベルクが茶を飲む。
「お元気になられたでしょう? 」
リリスが笑って語りかける。
「そうだな、あれの明るく笑った顔など久しく見なかった。
民が引き出してくれたか」
「はい。何しろここの村人は、私を育てて下さいましたから」
「辛いこともあったろう」
「なに、そんな些細なこと、小さな虫が止まったようなものでございます」
レスラの言葉をそっくり真似るリリスにラグンベルクがクッと笑う。
「皆、成長している。王家は安泰だ」
「あとは、王子のお身体を取り戻さねば」
「このような姿になるとは、恐ろしい物よ」
リリスの膝の上で、アヒルの姿のキアナルーサがうつむく。
叔父には会いたくないと思ったけれど、リリスと再会を喜ぶ叔父の姿に、焦りを感じてしまった。
こんな姿で、焦りなんて自分でも滑稽だと思う。
なじられるのを覚悟で勇気を出して挨拶したキアナルーサに、リリスから概要を聞いたラグンベルクは小さく首を振り、「心配するでない」と大きな手で撫でてくれた。
大きな方だ。
叔父上のような、人に慕われる器の大きい王になりたかった。
でも、身体を取り戻せるかさえ不確定だ。
取り戻しても死ぬかもしれない。
「叔父上、ガー」
「いかがした?」
キアナルーサを、リリスがそっとベルクの正面のテーブルに降ろした。
「叔父上、父に何かあったときは、ガー
王の座をお願いしたいガー」
リリスの横に立っていたガーラントたちが、驚きを持って怪訝な視線を向ける。
まるで、リリスを推していた自分たちを出し抜かれたような気分だった。
「失礼ながら、今その話は…… 」
ベルクが、ガーラントに手を上げ言葉を遮った。
ガーラントが頭を下げ、無礼に謝罪する。
だが、ベルクは静かにうなずいた。
「考えておこう」
彼の傍らにいたルシリア姫が、その小さな牽制劇にくすりと笑った。




