436、レスラカーン、厨房を出る
風の丘の村には、その頃、マリナの要請で沢山の騎士や戦士たちが到着していた。
レナントが先に着き、継いでベスレムからも援軍が来たのだ。
丘の周辺の草地にはテントが張られ、丘の庭の宿泊所にも兵がいっぱいの人数配置される。
セフィーリアの持ってきた食料は、多少偏りはあるがたいそうな量で、しかもその後も続々と送られて、あとは厨房で賄えなくなった分は彼等に随伴してきた支度人が慣れた様子で石を積んでかまどを作り、準備を始めた。
とは言え、あまりにも人数が多く、まかないは村の女たちも総出で出迎えた。
「やれやれ、どうなることかと思ったよ、ちゃんと料理人も連れてきてるんだねえ。
ちゃんと食べて、疲れを落としてもらわないと」
「巫子様に恥かかせちゃいけないよ、こんなに食べ物集めてくださったんだ。
みんな頑張ろう」
皆が心を一つにして、団結してうなずき合う。
昼食を終え、村の夫人たちがホッと胸をなで下ろしている。
そして、レスラカーンを見た。
それに気付かずレスラが、鍋を洗いながら彼等に返す。
もうすっかりこの仕事も板に付いていた。
「彼らは日数かけて来るからな、途中は野宿で飯も簡単な物だが食わねばならぬ。
なに、ここにいるのも数日だ。巫子殿がもうすぐ動くと仰っていた」
手尺で水を汲んで流し、洗い残しが無いか手で探る。
そうしていると、横からヒョイと鍋を取り上げられた。
「え? なに? …… え? え? 」
着けていた前掛けを外され、頭の頬っ被りもパッと取られてレスラの手を女が拭いてくれる。
一体何がどうなっているのかわからず、顔を左右に振った。
「まだ、きれいに洗えてないと思うのだが? 」
「レスラちゃん、洗い物はいいから、王子様に戻りなよ」
「え? でも、今が一番忙しいではないか」
「大丈夫、あたいらに後は任せな。
レスラカーン様、いっぱい粗相してすいませんでしたねえ、お疲れ様でございました」
「お疲れ様、どうぞご自身のお仕事にお戻り下さい」
「お疲れ様、レスラちゃん。ありがとうございました」
「楽しかったよ、レスラちゃん」
「目の保養になったねえ、ハハハ! 」
作業の音が止み、声が途中で曇って皆が頭を下げているのがわかる。
ああ、その時が来たのだと、レスラカーンは目を閉じ、そして顔を上げニッコリ笑った。
「そうか、とうとうこの時が来たのだな。
ありがとう、みんな。私はここで初めて役に立つことが出来た。
ここでの経験は私の人生で宝となるだろう。
アルデ、レナ、ミスラ、ベン、ボート、ライラ、ジョシュア、ジーナ、マキ、みんな、ありがとう。
さよならは言わない、私の大切な国民たちよ。
また会おう」
「また、待ってるよ。この風の村で」
「またおいで、いつでも」
みんなが最後に手を握って、背を叩き、頭を撫でる。
ライアが差し出す杖が手に触れ、それを握って頭を下げた。
「世話になった、みんな。じゃあな!また来る!」
浮かぶ涙を拭いて、笑って手を上げる。
「「 またね!私たちのレスラちゃん! 」」
みんなも鼻をすすりながら、声を返す。
初めは右も左もわからず、危ないので外での作業ばかりだった。
仕事をすることに抵抗が無かったとは言わない。
だけれど、父のことを考えると、気持ちばかり焦ってどうしようもなかった。
ここがあったからこそ、自分は落ち着きを取り戻したのだと思う。
「ここに来て、本当に良かった」
「ありがとうございます、そう言って頂けるなんて、風の丘の村の誇りだ。
どうぞ、ご武運を」
皆がそろって頭を下げる。
「ありがとう。私は私に出来ることに手を尽くす」
「では、レスラカーン様、巫子殿がお呼びでございます」
「わかった、行こう」
ライアに手を引かれ、厨房を出て顔を上げる。
沢山の人の気配に、以前と違って臆することは無い。
堂々と庭を突っ切り、歩いて行く。
「良い、方たちでしたね」
「ああ、私は初めて生きていると感じたよ」
「そのような…… そうでしたか。
私もお仕えして、ここでのレスラカーン様のお姿に、今まで甘やかしてしまったことを反省しておりました」
プッと2人で噴き出して笑う。ふと、歩みが止まった。
「右から…… 少しお年を召したベスレムの方です」
ライアの足が止まりポンと腕を叩くと、レスラが叩かれた方を見る。
その方向から、豪快な男の声が聞こえた。
「これは! レスラカーン様とお見受け致します。
私は昔、お父様にお仕えした事があるベルナード・コルムと申します。
お小さかったので、きっと覚えてはいらっしゃらないでしょう」
「覚えているよ、コロコロコルム」
「おお! わはははは!! そう呼ばれておりましたな、お懐かしい」
「そうか、ベスレムに行ったのか。久しいな、よく遊んでくれた。
あの頃、父はお前のことをとても残念に思っていたが、元気でよかった」
「お父上には良くして頂きましたが、お母様のことでは、騙したあの魔導師に一糸も報いること出来ず申し訳なく。
魔導師の塔も代替わりされたという事で、ホッと致しました」
レスラカーンが、話がわからずゆっくり顔を右に傾げる。
だが、話を合わせて聞き出そうと思った。
「父からは残念だったと聞いたが、お前が責任を感じることでは無い。
だが、何か出来たことはあったのか? 」
「いえ、やはり塔の長となると手出しも出来ず、お父上には密かに相談されましたのに、私も歯がゆいばかりです。黄泉で、お母様の苦しみがラクになられたことをお祈りしております」
後ろからコルムを呼ぶ声がする。
彼は頭を下げると、その場をあとにした。
やはりなにか、…… 父は自分に隠している。
あの時、悪霊も何かを言いかけて言葉を遮られた。
青の巫子は、何かを知っているのだ。
それが何か恐ろしいことのような気がして、レスラカーンは覚悟を決めた。




