432、アトラーナ王、籠城
闇落ち精霊が身を落とし、火に向けて血の盾を作る。
ゴオッ!
「ひ!い!」
身を伏せ盾を火に向けると、その火が盾に絡みつくようにぶち当たって散った。
盾は火に焼かれ、煙を上げて蒸発する。
「ぎ、あ、あ、ぐうっ、く、くそっ!」
手の平を向け、血の矢をマリナに向け飛ばす。
無駄なことはわかっている。だが、その隙を縫ってその場を飛び出した。
「い、い、い、致し方、無い!」
歯を噛みしめ、廊下を一気に駆け抜け、階段を飛び出した。
ドーン!ダンダンッ!
受け身も知らず踊り場にそのまま落ちて、弾みで下へと転げ落ちる。
折れた腕を血で直し、痛みも感じずそのまま宰相の部屋へと逃げ込んでいった。
マリナが火に包まれたまま空中を飛んで階段を見下ろす。
すでにそこには王子の姿は無く、余程慌てたのかきちんと履いていなかったのか、サンダルが片方転がっていた。
『 知ってるぞ、あれは灰被り姫だ。アハハハ! 』
追うこともせず、マリナが落ちている靴を笑う。
『 クククク、逃げたか腰抜けめ!戦わないのはそっちじゃないか 』
『 戦わないのに、青は好戦的で困ります 』
マリナの声と重なるように、リリスの困った声が漏れてきた。
『 戦えるのに、赤のやる気が上がらないから僕は困ってるよ。
ごらん、あれがあいつのやり方だ 』
マリナが折り重なる兵の死体に目をやり、手を合わせる。
その目には、突然の死に戸惑う兵達の霊体が、顔を見合わせ立ち尽くしていた。
『 汝ら道を見失いし者達よ、導きに従い輪廻の川を目指したまえ。
心配はいらぬ。心安らかに、時が満ちたのち新たなる生を受けよ。さあ、顔を上げ導きの光を見るのだ」
マリナが兵達に向け光を飛ばす。
兵は軽装の鎧を脱ぎ捨て、顔を上げて光に吸い込まれ消えていった。
リリスが悲しげに吐息を漏らす。
『 ああ、とうとう死者が出てしまいました 』
『 ルークよ、早く眷属を解放せよ。お前の働きを待つ余裕は無いぞ 』
マリナが火の中に消え、リリスの息づかいも消える。
2人の火は青と赤がからみ合うようにしばらく漂い、そして消えていった。
「王よ、道が開きました。お急ぎを」
ドアの中では、アデルが鏡を触媒にして、壁に道を通していた。
グッと手を握る王に、アデルがひっそりと声をかける。
「王よ、これは恥などではありませぬ」
「わかっている」
王が自室を見回し、見慣れた窓からの景色に目をやる。
そして、皆を見回しうなずいた。
「我ら騎士、お供致します」
ザレルが部下と共に頭を下げる。
「うむ、頼りにしているぞ」
「はっ」
王がクルリと壁に空いた道を向く。
果たして何日になるのか、何週間かもわからない。
ロルドーが壁にあった剣をうやうやしく差し出し、王はそれを受け取ると腰のベルトに刺した。
「この年寄りも命尽きるまで、お供致します」
「よし、では行くぞ」
「は」
「お持ちになるものは?」
「無い!」
王が一歩を踏み出し、長年住んだ部屋を後にする。
そして先頭に立ち、アデルの通した道を通って皆と道を渡りきった。
その先にはルークが頭を下げ、数人の騎士や兵士、そして女官や下女たちが待っている。
アデルが道を閉じ、胸に手を当て王に頭を下げる。
王が、大きく息を付き、ルークにうなずいた。
「では、手はず通りに頼む」
「承知しました。では、城の結界を解き、この来客の館へ移動させます。
ニード、速やかに行え」
ニードがうなずいてその場で杖をクルリと回し、カンカンッと床を鳴らす。
「西の要イール!東の要ラーン!北の要ジール!南の要セイラーンよ!我が名をもってその場の任を解き、新たな場に移動せよ!
美しき4姉妹の強固な結束は精霊の中でも最高位を誇るものなり!
汝らの名は語り継がれ、このアトラーナの地の守護女神として崇められん!」
ニードが杖で館の四方を指し、カンカーンッとまた杖を突き鳴らした。
その音と共に、城の四方の結界が光を放ち、地面を舐めるように光がうごめく。
「イール!ラーン!ジール!セイラーン!
我が名をもって新たな結界の場を築け!イールイール・サナガルド・ドーン!」
その呪文と共に光がこの棟に集約してドスンと館を揺らし、その来客の館は強固な守りで魔物は入ることが出来なくなった。
「これで良いのか?」
「食料は三室に貯蔵しました。
この来客の館は生活に必要な場がすべてそろっておりますゆえ、籠城には向いております」
「ふむ、お前達もここには詰めるのか?」
「はい、この地の魔導師が共におりますゆえ、ご安心を。
口は悪うございますが、結界作りでは右に出る者おりません。
このたびの魔物は城内におりましたので、どうにも出来ませんでしたが」
「お前はどうするのだ?」
「はい、私はまだ仕事がございますので。
大事な仕事が」
ルークが、ひっそりと唇に指を当てる。
「私は魔導師の塔の長。火の巫子が登城されるのであれば、迎える準備をせねばならないのです。
私は私の仕事を致します。それはここにいては出来ない事なのです」
「息子は……弟は……どうなっているのだろうか?」
問われてルークがチラリとアデルを見る。
アデルは以前と変わらず、ニッコリ笑っている。
一体これが誰なのかわからない、あのアデルは確かに死んだのだ。
「残念ながら、ただいまの状況は最悪でございます。
手は尽くしますが、現状、火の巫子にまかせるしかありません」
「火の……巫子なら何とか出来るというのか?
その、悪霊を相手にして」
「先ほど襲ってきた魔物を一旦後退させたのは、密かにお見えになった火の巫子のお力。
今は悪霊よりもタチが悪いものが暴れています。
城内で死者がこれ以上増えないように手を尽くします」
「死者?!だと??」
驚きの言葉がルークの口から飛び出し、王の顔から血の気が下がる。
「我が国に……光はあるのか?」
アデルに、苦しい言葉で問う。
「今こそ精霊と人間が団結して立ち向かうのです。
火の巫子が中心となって、人を、精霊を集めています。時を待つのです」
王妃が、両手で顔を覆って泣き崩れる。
自分たちは、あまりに無力だった。




