412、僕は代用品でしかない
確かに宰相の視線は、ラティを見ている。
寒々しいほどのその笑いに、ラティの毛がザワザワとざわめき、身体中の針が服を突き抜ける。
「殺してやる、殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺して……」
“ 我らの力は、ここぞという時の物 ”
目を大きく見開き、思わず、一歩引いた。
ミザリーの言葉がフッと頭に浮かび、しゃがみ込むとうめき声を上げて頭を押さえる。
あの部屋に飛び込んで、それでどうすると言うんだ。
それはきっと、ルクレシアは望まない。
彼は覚悟してあそこにいる。
「ううううう……ラティは、なにをしているんだ。何を。
こんな所で見ていることしか出来ない。
どうすればいいのかわからない。
僕は、僕は、あまりに子供だ。
くそう、くそう、くそう、くそう、くそう!!」
握る拳に、涙が落ちる。
どうすることも出来ない悔しさだけが、彼を満たしていた。
屋根に突っ伏すラティの姿に、宰相の身体のランドレールが、クククと笑う。
ルクレシアが怪訝な顔で顔を背けた。
「なに?何を笑っている」
「お前の守は可愛らしいな」
思わぬ言葉に、ルクレシアが宰相をにらみ付ける。
「あれに手を出したら許さない」
「はっ!許さないだと?お前に何が出来る。男に尻を突き出すだけのお前に。クククク、とんだ笑いぐさだ」
ゲラゲラと、下品に声を上げて笑い、彼を侮辱する。
彼は慣れてしまった侮辱にも、意地だけはあった。
「笑えばいいさ、僕の価値は僕が決める。お前には何も決定権は無い」
フンと宰相が吐き捨て、裸にしたルクレシアの身体をベッドに突き飛ばす。
細い足首を握り、グイッと左右に広げた。
「お前に何の価値があるというのだ。何もしない、何も出来ない。こうして股を開くだけだ」
乱暴な宰相の身体のランドレールに、顔を手で覆いたい気持ちを唇をかみ必死で押さえる。
様子がおかしくなって、日を追って乱暴になるばかりだ。
逃げ出したくなる。本当に。
「お前に何がわかる。
お前なんかに股を開く恐怖がわかるか?
他に誰がお前の相手をすると言うんだ。僕は道具じゃない!さわるな!部屋に戻る!!」
ルクレシアが声を荒げる。
ランドレールが、ヒッと小さく悲鳴を上げて足から手を離した。
震える手で、彼の足を撫でながらベッドに上がり、泣きそうな顔でルクレシアの頬をそっと撫でた。
「怒ったのか?許してくれ、許してくれルクレシア。私が悪かった。
お前を侮辱する気は無かった。ああ、お願いだ、許しておくれ」
「許さない、許すものか」
「すまない、すまない、私を許してくれ。リリサレーン、愛しているんだ。
ルクレシア、愛してる。私のリリサレーン」
狂おしい表情で、キスを額に、両頬に、そして唇に落として来る。
ルクレシアは覚めた目で彼を見て、そして目を閉じた。
いつだって……、いつだって、僕は僕じゃない。
彼が愛しているのはリリサレーンという妹だ。
僕は代用品でしかない。それでも……
可哀想な悪霊、お前には慰めが必要なんだ。
ラティがひとしきり泣いて、泣いて、歯を食いしばって身を起こす。
艶めかしいルクレシアが、白い蛇のようにあの男に巻き付いて見える。
美しいあの方は、命がけであの男を押さえているのだと、あの女のミスリルは言った。
そんなの、思ったこともなかった。
自分は子供だ。心が子供なんだ。
苦しそうにのたうつ白い蛇を見ながら、ポロポロとラティの目から涙が流れる。
ルクレシア、僕なんかを拾わなければ良かったのに。
何度そう思っただろう。
“ 助け手を探せ ”
そんなもの、この僕が見つけられるわけが無い。
ミスリルの気配さえつかむことが出来ないこの僕に。
「ああ……ルクレシア、僕はあなたが好きだ。
大切なあなたが……こんな……こんなこと……見てられないんだ」
ただ見ているしか無いラティが立ち上がり、クルリと踵を返して屋根を走り、そして飛び降りるとまたルクレシアの部屋に窓から飛び込んだ。
彼が脱いだ服を抱きしめ、柔らかな花の様な香りに幾度も彼の微笑む顔を思い返し、うめいて涙を流す。
涙が止まらず嗚咽を漏らすと床に伏せた。
「ルクレシア……僕は、どうすればいいんだろう」
うっ、うっ、ううううう、うっ、うっ
泣きながら床に転がっていると、泣き疲れていつのまにかウトウトしてくる。
『 おいで 』
ハッと、飛び起きて部屋を見回す。
はっきり聞こえた声。
『 お…ぃ……で 』
目を閉じ、耳を澄ませると小さく消えそうな声が聞こえてくる。
ラティは獣の耳をピンと立て、どの方向かくるくる回して探る。
そっとドアから部屋を出ると、衛兵と目があった。
この人間じゃ無い……
近くの部屋のドアの前に、小さな小さな光の点が浮遊している。
それが、スッとドアの中に消えた。
導かれるように、その王子の部屋と並びを同じくする角部屋へ向かう。
なぜか、衛兵は自分を無視していた。
取っ手を持ち、カチャリと引いてみる。
それは難なく開き、ここへ来て初めて見る少年2人がそこにはいた。




