411、悪霊に身を捧げる
夜、
風が吹き、夜空を覆う黒い雲が強い風に流されて行く。
ルクレシアは、寝室へ行くと開いたままの王子の目を閉じ、布団をかけてロウソクの火を消した。
「治療の当てなどあるのですか?」
燭台の灯りの中、ラティが部屋の片隅から聞いてくる。
「無いよ。当てがあるなら家を出た時に頼っているさ」
ラティがハッとして、頭を下げる。
ルクレシアが燭台を持ち、ドアへ向かった。
「キアナルーサ様、お休みなさいませ」
胸に手を当て一礼して、ラティと一緒に部屋を出る。
自室に戻ると、洋服掛けから薄いレースのドレスを取りベッド上に放った。
スッと大きく息を吸い、静かに吐き、リボンタイを解いてブラウスのボタンを外し始める。
「行くのですか?!あんな、正気を失った者の所へ?!」
無言でルクレシアは服を脱いで行く。
後ろでラティが、願うように手を合わせて懇願していた。
それでも、ルクレシアは無言で着替えをしている。
ひたすら、ラティは訴えることしか出来なかった。
「主様、どうか、どうか、行くのをやめてください。
どうか、どうか、お願い、行かないで下さい。
ねえ、ルクレシア!怖くないの?
どうして行くの?ルクレシア!止めて!行かないで!」
泣き叫ぶラティに目もくれず、服を脱いで裸になると、ドレスを着込んで上着のローブを羽織る。
そして鏡の前で髪を解き、薄い紅をさして振り向いた。
「ラティはお休み。私は明日の朝、少し遅れて帰る。
心配はいらない、あれは私を殺す気は無い。だが……
万が一帰らなかったら、死んだと思って城を出よ。
これを持って行くのだ、しばらくは食いつなげよう」
そう言って、ラティの手にズシリと重さのある巾着袋を渡す。
開けるまでも無い、それは金だ。
「こんな物!ラティはいらない!」
ラティは投げ捨てようと頭上に掲げ、思いとどまると涙をポロポロと流してそれを大切に抱きかかえる。
それは、ルクレシアが身体をすり減らして稼いだ金だ。
ラティの為に、危険を顧みず自分を犠牲にして稼いだ金なのだ。
「一緒に、ここを逃げましょう。これからはラティが働きます。
あなたは、御自分のお身体を大切にして下さい。
どうか、どうか、こんな、化け物に身体を投げ出すなど……」
ラティが上着を握ってすがりつく。
だが、ルクレシアはその手をそっと離すと、首を振り、サラサラと衣擦れの音を立てて歩み、ドアを開けた。
「では、行ってくる」
ラティが息を呑む。
行ってしまう。死ぬかもしれないのに!
「あなたが何故!1人でこんな重しを背負わなくちゃいけないんだ!!」
叫ぶラティに、ルクレシアが立ち止まった。
大きく息を付いて、身を翻すとラティを優しく抱きしめる。
ラティが彼の胸の中で、ドレスから香る花の香りに目を閉じた。
どんなに身を落としても、ルクレシアはいつも美しく、そしていつも花の香りがする。
優しい香りの、強固な意地っぱり。
あなたはいつだってそうだ。
「ルクレシア……」
顔を上げると、ラティの頭を撫でて鼻先にチュッと軽くキスをする。
「行ってくるね」
静かに告げ、手を差し出すラティを置いてドアを出て行く。
閉じられたドアを前に、愕然とするラティが、ドサンと金を落とした。
上着を握り、涙を拭くのも忘れてむせび泣く。
守りたいのに守れない。
あんなドロドロの真っ黒の闇のような物に身体を汚されて、それでもルクレシアは逃げることを選ばない。
「うううう、なんで、なんで、なんでこんな事になったんだ。
なんでこんな所に来てしまったんだ。
なんで僕はあの時止めなかったんだ。
ルクレシアは考えていたのに。
なんで……………………
ルクレシアに身体を売らせて、僕はそれでご飯を食べて、当たり前のように食べて。
僕もあいつと変わらない。
何が違うって言うんだ。ルクレシアを不幸に追い込んで、それで暮らしているじゃないか!
僕は、僕は……僕は!!
あああああああああああああ!!!!!
うわあああああああああああああああ!!!」
ラティは自分の無力さに、床をかきむしりながら泣き叫ぶことしか出来なかった。
ひとしきり泣いたあと、涙を拭いて顔を上げた。
「……行かなきゃ」
ラティは袋を取って元あった場所に戻すと、窓から外へと飛び出してゆく。
外の風が酷く冷たく感じる。
空は曇天のようで、月が陰り星が見えない。
爪を立てて四つ足で壁を走り、窓枠から少し出っ張った壁に移り、飛んで屋根伝いに一番上の屋根へと飛び上がる。
屋根を走り、宰相の部屋が見える場所まで足音を消して進む。
闇の中、その部屋だけが明かりを灯し、そしてカーテンを何故か開けている。
ラティがギリギリと歯がみする。
あの男は、向かいの棟のひときわ高い屋根のてっぺんから見ている自分に、まるで見せつけるように、いつもいつも、寝室の窓のカーテンを開けたまま、窓際でルクレシアの服を脱がせ、そして白い肌を汚すように蹂躙し始める。
ルクレシアが部屋に入った。
手を引いて寝室に入り、そして窓を背にして立たせ、キスをしてドレスを脱がせて行く。
ラティが震える。
怖いのか、悔しいのかわからない。
だが、次の瞬間目を大きく見開いた。
宰相が、こちらを向いてニヤリと笑っていた。




