410、命が尽きかけた身体
朝日が昇り、その澄み切った光の中で、夜の闇の中でうごめいていた黒い影が城のあちこちで消えて行く。
ベッドの中、宰相の姿のランドレールが裸で起き上がると、隣に目をやった。
まだ暖かさの残るそこに、ルクレシアの姿は無い。
ベルを鳴らすと、宰相の側近が頭を下げる。
「ルクレシアはどうした」
「彼は王子の側近ですので、戻りましてございます。
お気に召しましたか?」
「ああ、あれは私の物にしたい。
良い、とても良い抱き心地だ」
「王子がなんと仰るか。
確かに美しい青年ではございますが」
「お前にはわからぬ事よ。支度をする」
「は」
最近、ランドレールは王子と宰相の身体を行ったり来たりしている。
王子の身体に死の色が見えて、ランドレールは王子の身体で性を楽しむことが出来なくなったのだ。
それでも、王子の身体は利用価値がある。
死なない程度に使っていた。
宰相が側近に任せて身支度する間に、ランドレールは王子の身体に戻った。
宰相の身体は常に繋がって見ている。
「うおっ、……クソッ」
王子の身体に戻った途端、気分の悪さに苦々しく歯がみする。
だるい身体は死期が近く、戻ると足下から暗闇に引きずり込まれそうな寒々しさを感じる。
口に手をやり息を吐く。
「まだ大丈夫だ、死にきってない。腐ってない」
ベルを鳴らすと、いつもの一分の隙も無い、ぴしりと細い身体にフィットした黒いズボンに、緩やかに風をまとったような白いブラウスを着たルクレシアが、ドアを開け優雅に一礼した。
ランドレールは、彼の生まれの良さから来る優雅な所作が気に入っている。
貴族に総じて見られる気位の高さなど一切見られず、女性貴族のように気品があって、たおやかで美しい。
これが花売りをしていたなど許せないことだが、だからこそ出会えたことには感謝している。
「伽の朝は私が起きるまでベッドを出るなと言ったはずだ」
王子は不機嫌な様子で、彼に枕を投げつけ吐き捨てる。
ルクレシアは枕を避けて、ため息を付きそれを拾い上げた。
「貴様のようにのんびり寝ていたら、私は側近失格の烙印を押されるだろう。
すでに王妃には嫌われ、女官達の覚えは最悪レベルまで落ちている。
僕はこれ以上この城で敵を作るわけには行かないんだ。馬鹿め。
宰相は王子より王に近いところに住んでいる。
だらけた私の姿を見たら、妃にクビを言い渡されるのが落ちだ。
だからさっさと起きろ、僕の迷惑も考えるんだな」
王子の姿のランドレールがチッと舌打ち、起きると服を出すルクレシアを後ろから抱きしめた。
「朝からやめ……」
グイと後ろに引き倒し、その口をふさいだ。
すると突然、グイと押し返される。
「お前の口から腐った臭いがする」
今まで感じなかった不快な、耐えがたい臭いに眉をひそめて言うルクレシアに、思わず突き放す。
後ろによろめいたルクレシアは、怪訝な顔で口に手をやる王子の手を取った。
「どういう事だ?夜の伽も宰相の身体だ。
私は誰の身体でも構わないけれど、何故この身体を使わない。
この嫌な臭いは理由があるはずだ。
話せ、私に隠し事をするな」
王子が手をつき、拳を握りしめる。
「この身体、……命が、尽きかけている」
ルクレシアが息を呑んだ。
「バカな、その身体は次代の王なんだぞ?お前のせいか?そうなんだな?
すぐに、お前は宰相の身体に移れ!この身体は魔導医に診せて私が世話をする」
「うるさい!」
バシッ!!「いっつ……」
王子が顔を上げると、ルクレシアの頬を叩いた。
「この身体だ、俺は王子で無くては意味が無い。
王子である事に意味があるのだ。
次代の王と言われながら、俺は地下の牢に入れられた。
たかが巫子を殺した罪でだ。
誰もが疎ましく思っていたあの火の巫子を、殺した罪だ。
俺はリリサレーンを解放し、妻に受け入れるはずだったのに。
何故だ、何故思い通りに行かない。……何故だ」
また、顔つきが変化して行く。
ルクレシアは唇ににじむ血をペロリとなめると顔を背け、ゆっくり下がって行く。
クルリと王子が彼を見た瞬間、ドアが開きラティがサッと手を出すと彼を外に連れ出しバタンと閉めた。
取っ手に手近の棒でかんぬきをして、ラティがルクレシアの手を取る。
「正気に戻るまで離れた方がよろしいかと思います」
「駄目だ、付かず離れず、だ。
ここで私が逃げたら、あいつは私に裏切られたと感じるだろう。
二度と私は信用されない。
それはあいつに、この城に、最悪の結果をもたらす。
今はその時では無い」
愕然とするラティの前で、ルクレシアが立ち上がるとドアのかんぬきを外した。
バターーンッ!!
勢いよく開いたドアの向こうに、王子が黒い澱を身体からドブドブとこぼし部屋中に満たしながら、肌に黒いまだらの模様を浮かび上げ、狂気の視線で立ちルクレシアに手を伸ばす。
「ううう……殺す……殺す……」
「 ランドレーール!! 」
張りのある美しい声に、王子がビクンと目を見開く。
「ランドレール、お願いだよ、宰相の身体に戻って」
「ル……ク、レシア……」
「この身体で、正気を忘れるあなたを見ていられないんだ。
ランドレール、お願い。夜に必ずあなたの元へ行くから。
お願いだよ、宰相の身体に行って。
僕は力強い宰相の身体で、あなたに愛して欲しい。抱いて欲しいんだ!
あなたのそばに、朝までいることを約束するから。
私の大切なあなた」
ルクレシアが、黒い澱に足を汚して、自ら王子の身体に飛び込んだ。
ブルブルと両手で彼の首を絞めたい、殺してしまいたい衝動を抑え、狂気の表情をした王子がハアハアと息を付き、歯を剥く。
そして震える手で、そっと優しく抱きしめた。
「うう……すまない、すまない、私のルクレシア。
この身体にいては、大切なお前を殺してしまう。
この、身体は、闇の世界に、近すぎる。ううう……地下牢のようだ。
後を頼む、私は、向こうの身体で待つ」
「夜を、待ってて」
ルクレシアが王子の唇にキスをする。
その瞬間、黒い澱は王子の身体に吸い込まれ、そして王子の身体からはガクリと力が抜けてルクレシアに覆い被さった。
はからずも、この国の命運の一端を背負うことになったルクレシア。
彼は命をかけて悪霊の力の安定に心を配ります。
そして、死にかけたている王子の空っぽの身体をどうにかせねばなりません。




