408、ミザリーが動く
この世界の月は、まるで歪んだ空間の狭間のように日本から見える月よりも大きく空に浮かび、夜も明るい。
特に満月の夜は白夜のように明るく、昔から、森の精霊たちは白夜に祭りを行うと言い伝えがあるので、人間はあまり夜に出歩くことをしない。
特に女性は、白夜の森では精霊に魅入られミスリルを授かると言い伝えがあり、外を出歩く者もいなかった。
アトラーナの本城、ルランの城のひときわ高い屋根の上で、メイド姿の女が1人立っていた。
右の手を広げ、周囲を探るように手の平を巡らせる。
王族の住むひときわ大きな棟と、王子が住む棟は隣接して建っている。
アトラーナの王族は、世継ぎの王子は物心つくと、側近を与えられ王妃の近くを離れて別棟に住まう。
それが習わしとなっていた。
その、王子の部屋の方角から、深夜1人で王家の棟へと歩む青年の姿を感じて、女はタッと屋根から屋根へ飛び移り、3階の渡り廊下の方角へと走った。
廊下の影に潜んで様子を探る。
その青年は、男性でありながらふんだんなレースを使った薄衣のドレスをヒラヒラと風に舞わせて、上から長いローブを羽織った姿のルクレシアだった。
王族の棟と王子の部屋がある棟を繋ぐ木の渡り廊下は吊り橋になっていて、風が吹くとルクレシアのドレスは風を含んで後ろに大きく膨らんだあと身体にまとわりつき、ローブが翻って、彼が裸体だという事が薄く透けて確認出来る。
王弟と王子の側近が、肉体関係があるという噂は本当らしい。
いや、ここまで露骨だと隠す気もないと言うことか。
突然現れ、王に許しも無く王子は、この1度しか登城したことの無い貴族の息子を王城に招き入れてしまった。
この侯爵の息子は、酷く素行が悪いことで有名だ。
勝手に家を出て、花売りのように街で身を売って生活していると言う噂が耳に入っていた。
それが突然王子の側近だ。
それは自分がお仕えする王妃にもショックを与え、酷く落胆させた。
彼女は王妃のミスリル、ミザリーだ。
ミザリーは王妃が幼少時、婚約した時から仕え、輿入れにもついてきたミスリル。
王妃の懐刀と言ってもいい存在だ。
王妃にリリスの力になれと命を受けた物の、王子の変貌から何かしら王家を侵食する魔物のような物の存在を予測し、これまでは王妃を守ることを優先して動いていた。
だが、魔物は “女には手を出さない” 事が最近確信出来たのだ。
それは、かえって彼女には都合のいい事実だった。
しかも、宰相の気配が変わり、レスラカーンが城を逃げ出したことを把握すると、王妃は彼女を動かすことを決意した。
「ミザリー、私の元を離れて、あの侯爵の息子を調べなさい。
彼が来てからだわ、サラカーンが男色に走るなんて。
私の王子が無事なのか確認して。
もちろん、城下の……風の丘のあの子も……
私は王の元に行きます。
アデルに守って頂くから、心配いらないわ。
この城で起きていることを私は知りたい。
でも、壁にも魔物の耳があるようで怖い、怖いわ、気が狂いそう。
ミザリー、出来るだけでいいわ、あなたに託します」
王妃が現状にどれほど心を痛めているのかと思うと、ミザリーは胸が張り裂けそうになる。
一体周りで何が起きているのかわからない現状が、アデルが来たことで少しだけわかるようになってきた。
それでも、もうすでに王の周りも魔物憑きに固められ、動かせる者が少ない。
ならばと、王の意向もあって王妃はミザリーに託したのだ。
ルクレシアが王家の棟に入るドアに手を伸ばした時、スッとその手に女の手が重なった。
驚いて手を引こうとする彼の口を塞ぎ、ミザリーはそのまま彼を床に引き倒してナイフを突きつける。
「しばし語って頂きます」
「お前は、誰だ?」
「誰だと問うて、答えると思うのですか?」
ククッとルクレシアが笑う。
「私が何をしに行くかわかるだろう?早く行かねば彼が怒り出す。
お前は王家に差し向けられた者だろう?
ならば、彼がなんなのかはすでにわかっているはずだ」
ルクレシアには、恐怖を感じない。
彼は小さくため息を付くと、するするとドレスをたくし上げていく。
彼の細い足があらわになり、そして性器が見えようとする。
ミザリーはそれに目もくれず、動揺する様子も見えない。
ルクレシアは隙を見て逃げようという作戦をあきらめて、ドレスからパッと手を離し両手を大きく広げた。
「チッ、好きにすればいいさ、不感症。
僕は性を売って生活しているんだ。
男に、女のように股を開いて生活している。知っているんだろう」
「存じております」
「私はあいつと繋がっているぞ、私に語るはあいつに筒抜けだと知れ」
「そうでしたか、では、あなた様がおっしゃるあいつ、それが何なのか正体を教えて頂きたく存じます」
簡単に喋るはずが無い。
ミザリーはそう思う。
だからこそ、ナイフを握る手に力が入った。
「なんだ、そんな事でいいのか。
あいつの名はランドレール、昔死んだ王子だって言ってた。
悪霊だよ、人を呪って操るんだ。
これでいいのか?他には?」
「 は…… 」
あまりにもサラリと話すので、ミザリーが仰天する。
次の質問など、考えていなかった。
城内で一番無知なのは王と王妃かもしれません。
アデルが語るのは最低限。
それは、アデルの心遣いです。
自分の周りが魔物に侵食されていく、誰を信じていいのかわからない。
いつも魔物に見られているかもしれない。
その不気味さに耐えながら生きるのは、常人では凄まじいストレスになると思うからです。
でも、知らないことがかえって王と王妃にはストレスになっています。
知るストレスと知らないストレス、どちらが軽いのかは誰もわかりません。




